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ブログと映画評に関するhhasegawaのブックマーク (13)

  • 受動的な創られたヴィラン~『ジョーカー』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

    『ジョーカー』を見てきた。『バットマン』の悪役であるジョーカーがどうやってジョーカーになったのかを描いた作品…というのは建前で、ほとんど別の映画である。 wwws.warnerbros.co.jp ゴッサムシティに住むアーサー(ホアキン・フェニックス)はピエロの仕事をしながら母ペニー(フランセス・コンロイ)の介護をしている。アーサーは突然笑い出してしまうおそらくトゥレット症と思われる症状を抱え、精神的にも不安定でカウンセリングと投薬を受けているが、それでも憧れの仕事であるスタンダップコメディアンを目指して頑張っていた。しかしながらゴッサムシティが荒廃するとともにアーサーの人生はどんどん下り坂になる。ピエロの仕事の最中に悪ガキどもに襲われ、仕事はクビになるし、市当局が福祉を打ち切ったせいでカウンセリングも投薬も受けられなくなる。度重なる不幸のため限界になったアーサーをどんどん狂気が蝕んでいく

    受動的な創られたヴィラン~『ジョーカー』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/10/30
    「ビデオがテレビ放映されて人気になる下りは明らかに今のバイラルビデオのそれなのだが、バイラルビデオなんかない時代にこんなことあるかなぁ…という印象」むしろ意識的に仕掛けられた時代錯誤と考えられまいか?
  • 山本寛『評論家はなぜ偉そうなのか』

    寛オフィシャルブログ Powered by Ameba アニメーション監督・演出家山寛のブログです。 もう身分的に立場が保証されていると勘違いしている前田久などのコバエは放っておいて、じゃあなぜ評論家が偉いのか?考えてみよう。 それはもう一点しかない。 「批評した相手に貢献した」からだ。 例えば無名の料理屋がある。 そこへふらっと料理評論家がやってくる。 べて気に入る。そして雑誌や何かで吹聴する。 するとそれを見たお客でごった返す。 そこで初めて、店主は「先生、話題にしてくれてありがとうございます」と言えるのだ。 それはギブ&テイクの関係から生まれた敬意に過ぎない。 海原雄山とて北大路魯山人とて、「大家に認められる」ことがステータスとなるから、偉そうに振舞えるのだ。 前田久ごときの小物では何度死んでも決してできない。 蓮実重彦も映画評論家の役目をこう語っている。 「とにかく一人でも

    山本寛『評論家はなぜ偉そうなのか』
    hhasegawa
    hhasegawa 2019/07/08
    「蓮『見』重彦」…。氏名誤記には厳しかったはず。それはともかく、確かに「客を劇場に向かわせる」自負は口にしていたとはいえ、基本的には批評自体が独立の作品としておもしろく読めることを重視してきたのでは。
  • REALKYOTO - 2017年フランス大統領選挙の後で

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    hhasegawa
    hhasegawa 2017/05/12
    例外状態下の決断を描くファシズム的ファンタジーという系列の『シン・ゴジラ』評なら、ゴジラを国家成立の前提となるホッブズ的内戦と見るこちら(http://bit.ly/2ezkL5y)の方が精密か?
  • シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日録

    前口上 シン・ゴジラは映像の快感に満ち満ちた作品であった。何度となく繰り返される政治家や官僚たちの会議、自衛隊による整然としたゴジラへの攻撃、ゴジラを襲う無人在来線爆弾と高層ビル、そして鳥肌が立つほど美しいゴジラの熱線放射。どれもこれも素晴らしかった。 作を特異なものとしたのが、作品が社会現象として捉えられ、多くのシン・ゴジラ論が語られた点にあるだろう。教義の映画のレビューではなく、特集連載を掲載した日経ビジネスオンラインを典型として、「シン・ゴジラ論壇」は活況を呈した、あるいは呈するように仕向けられた。今しばらくこうした状況は続きそうな様子である。 おそらく2016年を振り返るとき、無視できない作品となったシン・ゴジラであるが、わたしは8月頭に一回目を見たときから耐え難い違和感があった。しかしながらそれを文章化することにはためらいがあった。わたしがためらいを感じたのは、違和感という名の

    シン・ゴジラ論のあとのシン・ゴジラ論 - Valdegamas侯日録
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    hhasegawa 2016/10/15
    その「政治」理解において好対照といえる@hokusyu82氏の記事(http://bit.ly/2ezkL5y)と併読が推奨される『シン・ゴジラ』論。本来ならともに商業媒体掲載で読みたいが...。
  • 国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去

    地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた ――ヨブ記41.33 近代国家を聖書に出てくる大怪獣リヴァイアサンに喩えたのはホッブズであった。ホッブズによれば、人間の自然状態は万人の万人に対する闘争であり、そこに安息は無い。従って人間たちは自らの権利を国家へと委譲する契約を結び、国家の保護を得る。保護と服従の関係が、国家と国民の関係を規定する。国家はその領域において唯一の主権的共同体である。 カール・シュミットは、『政治的なものの概念』において、国際社会を複数のリヴァイアサンが競合する多元的な空間として考えている。国際間においては、国家の国民に対する保護は、他の国家からの保護でもある。むしろ国民は他の国民に対抗するために国家をつくる。国民の結集は、「政治的なもの」によって行われる。つまり、友と敵の存在論的な区別によって行われる。国家の主権者は、政治の概念に即して、国家の敵を正

    国家/内戦/シン・ゴジラ - 過ぎ去ろうとしない過去
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    hhasegawa 2016/09/13
    引用されている『スタシス』からさらに敷衍すれば、国家=リヴァイアサンに対するゴジラは内戦=ビヒモス(ベヘモット)ということになろうか。そして、両者は相互補完的、ひいては表裏一体の存在とされるのである。
  • ドイツ第三帝国と大日本帝国に占領されたアメリカを描く海外テレビドラマ『高い城の男』 - カナザワ映画祭公式ブログ

    フィリップ・K・ディックの原作は十何年も前に2~3回読んだけれど、細部だけ覚えていて、ストーリーをいまいち覚えていない。ユダヤ人は絶滅して、ソ連はドイツに何発も核爆弾を落とされロシア人は全員断種のうえ奴隷化とかそういう細部のヒドい描写だけ覚えている。 ドラマの方は映画館から物語が始まる。その後も映画フィルムが物語のキーに。オープニングタイトルにはエーデルワイスが流れていてカッコいい。 鉤十字と総統閣下の肖像がベタベタ貼られたニューヨーク。 すっかり老けきった総統閣下。 あるミッションを受け、ロッキー山脈の中立ゾーンに向かうレジスタンス青年。 仲間のベテランっぽいオッサンたちは全員捕まり射殺か拷問に。 たった一人生き残ったレジスタンス青年はトラック野郎に変装し西へ向かうのだった。 一方西側のサンフランシスコでは…。 ど下手な日風街頭描写。これなら『ベイマックス』のサンフランソーキョーをデザ

    ドイツ第三帝国と大日本帝国に占領されたアメリカを描く海外テレビドラマ『高い城の男』 - カナザワ映画祭公式ブログ
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    hhasegawa 2015/01/20
    リドリー・スコット『高い城の男』一部公開。ところで主人公格Nobusuke Tagomiは邦訳で「田上信輔」だが、執筆時期と通商官僚という設定から考えて「信介」だと思う。与党推奨ドラマになったりして。
  • アメリカ人がヨーロッパで脳天気に『グラン・トリノ』を撮る〜『グランド・ブダペスト・ホテル』 - Commentarius Saevus

    『グランド・ブダペスト・ホテル』を見てきた。私、たぶんウェス・アンダーソンの映画って『天才マックスの世界』しか見てないような気がするので、二目ってことになる(っていうかなぜ『天才マックス』しか見てないんだろ…)。 舞台は東欧の架空の国、ズブロフカ。ここは昔は帝国の中心地、そのあと共産圏、今は東欧のまあなんかああいう国、ということらしい。1930年代に威容を誇ったグランド・ブダペスト・ホテルの運命を、伝説のコンシェルジュであるムッシュ・グスタフ(レイフ・ファインズ)とそのロビーボーイ、ゼロ(トニー・レヴォロリ、年取ってからはF・マーレイ・エイブラハム)を中心に、殺人事件恋愛話を絡めて語る、というもの。タイトルに「ホテル」が入っているが、所謂グランド・ホテル形式の話ではなく、ホテルの従業員を中心にした物語である。 この映画の面白いところは時系列である。基的に、この映画には以下四つの時間の

    アメリカ人がヨーロッパで脳天気に『グラン・トリノ』を撮る〜『グランド・ブダペスト・ホテル』 - Commentarius Saevus
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    hhasegawa 2014/09/15
    ほぼ同意ながら、ズブロフカは東欧ではなくほぼオーストリア、それも「世紀末ヴィーン」の残照としての戦間期のそれに等しいということでは? つまり、舞台は箱庭的ヨーロッパというより端的にハプスブルクの残骸。
  • 『映画 けいおん!』 ガイノイドが席巻する日本 そして「けいおん!論争」

    「あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります」 目の前でiPadを操作しているインタビュアーに、宮崎駿はこのように言い放った。 そして、「これはツールであり、資料を取り寄せ調べることも出来る」というインタビュアーに対し、こう付け加えた。 「あなたには調べられません。なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。」 この、いささか不当にも聞こえるハイテクツール批判に根ざした宮崎駿の考えというのは、インターネットによって得られていると思っている知識が、現実から直接与えられるあれこれに比べ

    『映画 けいおん!』 ガイノイドが席巻する日本 そして「けいおん!論争」
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    hhasegawa 2014/06/12
    「力強い作劇や、テーマ性を打ち出すことを目指しているようには全く見えない」毎度のことながら、スペクタクルの刺激に慣らされた愚劣な頭が微細なドラマを見ることができない精神薄弱を告白するだけではないのか?
  • 月に帰るクィアな処女〜『かぐや姫の物語』 - Commentarius Saevus

    『かぐや姫の物語』を見てきた。話は誰でも知ってる『竹取物語』だし、絵画的な魅力の詰まった画面の処理とかフェミニズム的な物語、仏教的な要素などについては既にたくさんレビューが出ているのでもうあまり書くこともないだろうと思うのだが、ひとつ気付いたのはかぐや姫っていわゆるひとつの「クィアな処女」だったということである。今まで全然そういうことは考えたことなかったのだが、月の人で結婚を拒むという明らかな特徴があるのになんでそんなことに気付かなかったんだろう。 「クィアな処女」(queer virgin)というのはTheodora A. Jankowski, Pure Resistance: Queer Virginity in Early Modern English Drama (University of Pennsylvania Press, 2000)に出てくる概念である。ジャンコウスキの定

    月に帰るクィアな処女〜『かぐや姫の物語』 - Commentarius Saevus
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    hhasegawa 2014/01/12
    この映画のかぐや姫は帝は拒絶しても最終的に性的なもの自体を拒絶しはせず、むしろ反性的な月の秩序とのあいだに対抗関係が成立するのでは。私の解釈はこの(http://bit.ly/1agiL5a)通り。
  • 同僚のおばちゃんをいじめることはなぜナチスに加担することと共通点があるのか〜『ハンナ・アーレント』 - Commentarius Saevus

    シネマカリテでようやく『ハンナ・アーレント』を見てきた。最初のうちは大混雑だったそうだが今はそうでもなくゆっくり楽しむことができたのだが、とにかくむちゃくちゃ良い映画である。哲学論争なんてなかなか映画化しにくい題材だと思うが、演出も演技も映像もよくできていて、先週見た『ゼロ・グラビティ』なんかより十倍はフェミニスト的でかつ面白い。 ストーリーのほうは哲学者アーレントがアメリカに渡り、『イェルサレムのアイヒマン』を書いた時期に焦点をあてたもの。アーレントがナチスに加担した師ハイデッガーや抑留の暗い記憶に悩まされつつもこの有名な著作を仕上げ、これによってユダヤ人コミュニティをも含むいろいろな人々からいじめや中傷を受けるのに果敢に応戦する、というものである。今からすると『イェルサレムのアイヒマン』における「悪の凡庸さ」(ホロコーストみたいな悪辣な迫害や殺戮というのはモンスターとかソシオパスみたい

    同僚のおばちゃんをいじめることはなぜナチスに加担することと共通点があるのか〜『ハンナ・アーレント』 - Commentarius Saevus
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    hhasegawa 2014/01/06
    いい映画でもあるのだが、アーレント本はアイヒマンの主体性までは否定せず門地も学歴もない人間でも立身できるSSでの積極的勤務を「悪の凡庸さ」としており、「命令に従っただけ」という描き方はどうかと思った。
  • 円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ―女は聖母になる。そして同時に魔女にも。 ―カール・シュミット 魔法少女の運命、すなわち罪と罰のエコノミーに対して、純粋なる暴力がふるわれた。罪はまどかによって引き受けられた(annehmen)。それによってあらゆる罪は贖われた。つまり、あらゆる時間の魔法少女は、常にすでに救済されることになったのである――しかし、ほむらは自身のソウル・ジェムを自ら砕き、魔女となる。彼女は救済を拒む。「円環の理」の救済を。 なぜ?我々は今や新たな考察をくわえる必要に迫られている。ほむらの「叛逆」とは何か。そのためには、「叛逆」の対象、「円環の理」とは何かを明らかにしなければならない。過去と未来を超越する”Jetztzeit”の概念も、時間(Zeit)の概念、すなわち過去と未来の概念を、その語の内に指示している。だが、今や時間は消失した。なんとなれば、時間の両端が結ばれてしまったのである。つまり、「円環」とし

    円環と双極性――暁美ほむらの「叛逆」についての試論 - 過ぎ去ろうとしない過去
    hhasegawa
    hhasegawa 2013/12/08
    『まどマギ』というゲルマニスト的作品を、バッハオーフェン、クラーゲス、ベンヤミンの母権論の系譜から解読する(しかも最新研究に目配りを欠かさない)点で、今後も言及され続ける画期的批評となることであろう。
  • 映画「風立ちぬ」を批判する - 紙屋研究所

    宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。お盆で帰省し、子どもを見てもらっている間に夫婦で。 ちょっと長くなると思うので、最初に結論書いておこうか。 恋愛要素は男目線で気持ちがノッた。 飛行機にかける夢についてはロジックがまったく詰め切れられておらず、面白くなかった。 零戦をつくった責任について無邪気すぎるという点が最大の批判点。 えーっとネタバレもありますから、読む人は承知して読んでほしい。 あらすじを知らない人はここを読まないだろうけど、一応。零戦(零式戦闘機)の設計者として有名な堀越二郎という実在の人物の半生を描き、それに堀辰雄の小説『風立ちぬ』のラブストーリーをまじえ、菜穂子という少女との恋愛をからめて虚構化した作品。 ジブリの公式のあらすじ解説はこちら。 http://kazetachinu.jp/story.html 恋愛要素は男目線で気持ちがノッた 菜穂子との恋愛は、(;゚∀゚)=3ム

    映画「風立ちぬ」を批判する - 紙屋研究所
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    hhasegawa 2013/08/19
    ここで(http://bit.ly/17vY1Eb)分析されるように零戦設計の政治的責任については作中で絶えざる介入があるのだが、その隠微さゆえに大半の視聴者に理解されないのが「後期作品」の宿命か。
  • 『風立ちぬ』〜『イングロリアス・バスターズ』の後にこんな第二次世界大戦映画を作っていいとでも思ってるの?(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

    科学史鑑賞会『風立ちぬ』を見た。 id:nikubetaさん、id:kosuke64さん、 id:emeroseさんも参加。 一言で言うと『イングロリアス・バスターズ』の後にこのような第二次世界大戦ものの歴史映画を作っていいとでも思ってるんだろうかと思った。これはもちろん褒めてない。私には日のアニメーション周りのサブカルチャーとか全然わかんないし宮崎駿の作家性にもはっきり言って興味がないので、とにかくこの映画歴史ものとしてひどいなと思ったのである。 実は私は堀越二郎のことも堀辰雄のことも全く知らなくて、科学史関係者と見に行ってちょっとレクチャーしてもらって歴史的背景を知った感じなのだが、なんかまあ航空史とか全然知らなくてもこの完全に失敗したパラレル歴史叙述は何なんっていう感じだった。 まず、ドリームヴィジョンの使い方があまりにも安易というか…一応、主人公の堀越が三菱に入って軍事用の飛行

    『風立ちぬ』〜『イングロリアス・バスターズ』の後にこんな第二次世界大戦映画を作っていいとでも思ってるの?(ネタバレあり) - Commentarius Saevus
    hhasegawa
    hhasegawa 2013/08/07
    「美と政治の結合」についてはカストルプ(ほぼ=トーマス・マン)が「魔の山」の下には現実=政治があると警告することで示唆されている。結末の死んだ妻の回帰は堀の小説中のリルケ「レクイエム」引用の回収では?
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