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社会と考に関するkarotousen58のブックマーク (12)

  • 大人の側がまず変わらなあかんのよ。「ケアしケアされ、生きていく」ために【竹端寛さんインタビュー】 | D×Pタイムズ | 認定NPO法人D×P(ディーピー)

    現代社会において、自己責任はなぜこれほど常識化してしまったのでしょうか。スマホや電子化が進み、社会はますます便利になっていくように感じますが、その一方で誰もが生きやすい世のなかになっているようには思えません。 昨年、D×Pタイムズで配信した記事「政治家に届いていますか? 年金、物価高、同性婚…生きることに不安を抱えている若者の声【調査結果】」では、若者が日の将来に大きな不安を抱えていることが明らかになりました。 今回は、昨年秋に刊行された『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマー新書)において、現代日をケアの奪われた「昭和98年的世界」だとし、ケア中心の社会を取り戻すべく「他人に迷惑をかける」ことの重要性を説く、兵庫県立大学准教授の竹端寛さんにお話を伺いました。 生きづらさを抱えた若者との出会い ──竹端さんは以前からD×Pをご存知だったんですよね? 今井さんがイラク人質事件の一人

    大人の側がまず変わらなあかんのよ。「ケアしケアされ、生きていく」ために【竹端寛さんインタビュー】 | D×Pタイムズ | 認定NPO法人D×P(ディーピー)
    karotousen58
    karotousen58 2024/01/27
    “「違いを知るための対話」と「決定のための対話」”“いまの社会の問題点は、斜めの関係の少なさなんじゃないかな。親子だったり先輩後輩だったり、上下の関係はあるのだけど”場を提供してこなかった大人“”
  • 「切りたい」から「お手伝いしたい」へ:幼児の「社会参加の技法」の習熟 - 生活の観察

    台所でコマコマと家事をしている僕のところにときどきやってきて、「なにかお手伝いしたい」と四歳児が言う。もっと具体的に「お皿一緒に洗いたい」と言うこともある。包丁なんかを洗っているときは「ちょっと包丁が危ないからなあ」と僕が返したりすることもあるからか、先んじて「お皿洗うの見たいだけ」と言ってくることもある。 ついこのあいだまで、自分がやりたいことをそのまま表現していた。たとえば「お皿洗いたい」「切りたい」「(炊飯器に)お米入れたい」とか。それがいつしか「お皿一緒に洗いたい」「なにかお手伝いしたい」と、目の前で行われている作業に対する理解と四歳児と僕の関係を読み込んだ表現になっていたのに気付いた。 特に「なにかお手伝いしたい」は興味深い表現だ。台所仕事は分類しようと思えばいくらでも細分化して表現できるし、目的によってその工程もさまざまだ。しかもその工程は我が家の台所の設計や道具の配置に最適化

    「切りたい」から「お手伝いしたい」へ:幼児の「社会参加の技法」の習熟 - 生活の観察
  • 「泣き寝入り」という言葉の暴力

    #Appendix2.「泣き寝入り」という言葉の暴力 1999年2月19日朝日新聞論壇掲載 高橋りりす投稿 性的被害について語られる時、必ずといっていいほど使われる言葉に、「泣き寝入り」がある。 私は十六年前、米国の大学院に留学中に指導教官からセクシュアル・ハラスメント(性的な人権侵害)を受けた。学内のセクハラ相談窓口に訴えたが、納得のいく対応をしてもらえずに終わった。 帰国後、辛かった経験を反性暴力運動に役立ててほしいと考えた。だが、「裁判も起こさずに泣き寝入りをした人の話は聞く必要がない」と言われ、運動家たちに受け入れてもらえなかった。いま私は、この体験をもとに一人芝居「私は生き残った」をつくり、演じている。 運動家たちの態度を、私は当初、「泣き寝入りをしないで裁判を起こして下さい」という弁護士の言葉を短絡的に解釈した結果だととらえていた。しかし、「泣き寝入り」という言葉自体に問題があ

  • ブルマの興亡史 - 本しゃぶり

    古代ローマ史には「人類の経験のすべてがつまっている」と言われる。 ではブルマの歴史には何がつまっているだろうか? ブルマを覗くと慣習との戦い方が見えてくる。 束縛するファッション ここしばらく「#KuToo」の記事をよく見た。 スーツも革も嫌いな俺としては、この風潮を歓迎する。ハイヒールやパンプスのような非合理的なファッションは、労働の現場から消え去ったほうがいい。そもそも会社の指定したにより足腰を痛めたならば、それは労災である。労災のリスクが高い服装を強制するのはどう考えてもおかしい。 しかしながら、この時代にまだハイヒールやパンプスを強制してくる会社の意識を変えるのは難しい。合理的な思考をする会社ならば、すでにを自由化しているか、逆にかかとの高いを禁止しているはずだからだ*1。今も頑なにハイヒールを求めるということは、そこにある種の信仰を見出しているのだろう。 どうしたら非合理

    ブルマの興亡史 - 本しゃぶり
  • 「地域」はどこにある? | 黙らなかった人たち 理不尽な現状を変える言葉(荒井裕樹) | WEB asta

    「地域」という名の地域はない ――「地域の絆を見直す」 ――「地域の活力を取り戻す」 ――「学校で地域の事情を学ぶ」 ――「防犯で大切なのは地域の目」 毎日のようにどこかで見聞きする「地域」という言葉。特に出没頻度が高いのは、役所の書類かも知れない。もし仮に「行政関連書類 頻出単語ランキング」みたいなものがあったとしたら、かなり上位にい込むと思う。 でも、この言葉。あまりにも使われ過ぎていて、最近では意味の輪郭がぼやけてきている気がする。「書類」に好んで使われるということは、実は裏を返すと「都合の良い言葉」でもあるわけで、そういったものには何かしらのカラクリがあることが多い。 試しに「地域」を辞書で引くと、「区画された土地の区域。一定の範囲の土地」(『大辞泉』)と出てくる。つまり「地域」とは「一定の範囲の土地」のことなのだけれど、ぼくらはだれも住んでいない土地のことを指して、わざわざ「地

    karotousen58
    karotousen58 2018/06/11
    “この「ピクッ」という感覚は何だろう?「ピクッ」としてしまう自分って何だろう? 自分を「ピクッ」とさせるものは何だろう?それが何かは、自分自身で考えなければならない。”
  • 「感動か笑いか、だけではしんどい」24時間テレビとバリバラに出演 義足の女優が語るリアル

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    「感動か笑いか、だけではしんどい」24時間テレビとバリバラに出演 義足の女優が語るリアル
    karotousen58
    karotousen58 2016/09/01
    「感動か笑いか」というより、「誰かが一方的に、『期待される障害者像』を作り上げる」「『その像に合致した障害者と接することで健常者も成長』的美談の流通」が問題と私は捉える。健常者中心文化についても要再考
  • (特活)アフリカ日本協議会:アフリカNOW No.76(2007年発行)

    AJFがいつ、どうやって設立されたのか、何をめざしているのか、問い合わせ先、入会するにはどうすればよいのか、AJFに関心を持った方はご覧下さい。 あなたの寄付がAJFの活動強化につながります AJFへの寄付について AJFとは? 入会案内 会報:アフリカNOW 活動日誌(2012年~) ボランティア募集 特別顧問:林達雄メッセージ 会員が関わっているウェブサイト 問合せ連絡先 AJFへの寄付について 【投稿】ろう者たちの「王国」史を追いかけて AJFは、季刊の会報「アフリカNOW」を発行しています。AJFの活動紹介にとどまらず、アフリカに関する最新情報を伝える、日で出会えるアフリカを紹介する内容の記事を掲載しています。 【アフリカNOW No.76(2007年発行)掲載】 亀井伸孝:関西学院大学社会学研究科COE特任助教授。理学博士。専門は人類学・アフリカ研究。1996年からカメルーンを

  • 【私事・私感】ノゾミカナエタマエ —売り物になるか見世物になるか— | 天の古井戸

    義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入 これまた賛否両論の事例である。私としてはやはり、動機や方針、結果、効果、効用はどうあれ、「生来のもので自分が望んだわけではない、自分の意志や努力では治したり変えることのできない特徴や欠陥を『売り』にして世間に認知してもらうこと」に対しては、たとえその人が望んだことであったとしても、とうていポジティヴな評価はできない。まして、それに性的な要素が含まれていればなおさらである。 ある特徴なり欠陥なりを貶めるか蔑むか、避けるか排除するか攻撃するか、認めるか萌えるか楽しむか笑うか持て囃すか羨むか、いずれにしても、それらが結局は世間(の多数派)の評価にもっぱら依存していて、それに依存しなければ社会的にも認知されてアイデンティティを持つことができず、しかしそれ以外の手段が実質ほとんど無く選択肢も与えられていないという状況において、無邪気にそれをアピールして居

    【私事・私感】ノゾミカナエタマエ —売り物になるか見世物になるか— | 天の古井戸
    karotousen58
    karotousen58 2015/11/01
    第2,3段落が特に重要。「観察や分析の対象とされるのは障害者、それらをするのは健常者。観察や分析は、健常者中心的価値観に基づく。障害者の視点や経験は反映無。」状態温存での肯定的評価なら、障害者の権利阻害。
  • 「社会的弱者をつかって作られた作品で感動すること」は悪いことなのかに対する僕の回答 - 珈琲をゴクゴク呑むように

    あなたは感動ポルノという言葉をご存じだろうか。 これを提唱したのはオーストラリアのコメディ兼ジャーナリストのステラ・ヤング氏で、端的にいえばこれは「ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためのモノ扱いすること」である。 どういうことだろう?感動ポルノとしてよく使われるものの具体例を下記にあげてみよう。 ・周りからいじめられていた知的障害者が家族の愛で生き抜く話 ・不治の病を抱えた少女の純愛ラブストーリー どれもよくあるイイ話である。でも、そもそも何でこれらがいい話になるのか考えたことはあるだろうか? 感動ポルノの何が悪いのか ステラ・ヤング氏は講演の中でこう指摘している。 ----------------------------------------------------- こういった行為の問題は、健常者が良い気分になれるように障害者がネガティブな存在としてモノ扱

    「社会的弱者をつかって作られた作品で感動すること」は悪いことなのかに対する僕の回答 - 珈琲をゴクゴク呑むように
  • カムアウトをしない「自由」はない、あるのは「不自由」だけ(インディペンデント・マガジンpe=po掲載原稿) - macska dot org

    (同性愛者らが)カムアウトをするべきかどうか、あるいはカムアウトするとしたらどういうタイミングでするかは、人の判断に任されているべきである−−それは、まったくその通りだと思う。勝手に「あの人は〜だ」とアウティングしてしまうのは、良いか悪いかと言えば悪いに決まっている。 でもそのアウティングについて、レズビアンの小説家で活動家のサラ・シュルマンは、1990年にThe Village Voiceに掲載した短い文章「Outing: The Closet Is Not A Right(アウティングについて−−クロゼットは権利ではない)」で、次のように書いている(超意訳)。 同性愛者の有名人を無理矢理クロゼットから引きずり出すことが道義的にどうであるかについては、わたしはよく分からない。しかしわたしが分かるのは、そうした行為を「プライバシーの侵害」と呼ぶことは、歪曲であり不誠実だということだ。ほと

    カムアウトをしない「自由」はない、あるのは「不自由」だけ(インディペンデント・マガジンpe=po掲載原稿) - macska dot org
  • そんなものに頼らず、自らの言葉で語ればいい。 - 兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary

    そんなものに頼らないといけないのか。 マナーや道徳は別に受け継がれてきたかどうかによって価値が決まるものではなく、受け継がれてきたからといって素晴らしいわけではない。 headlines.yahoo.co.jp 私たちの守谷しぐさ。 http://www.city.moriya.ibaraki.jp/kurashi/kyoiku/shidoshitsu/15031301.files/moriyashigusa-a4.pdf ここに書かれていることを話すのに江戸しぐさを参考にする必要があったのだろうか。江戸しぐさなど関係なく、日々の気づきから得られること、それを教師や生徒がそれぞれに考え、話し合い、ことばにするなりすることが大事なのではないかと思う。来それでよかったはずだ。 道徳冊子をわざわざ作るのは、道徳の教科化に対応してだろうと思う。 まあ、そもそも道徳を教科化しようとしてるのは、学校

    そんなものに頼らず、自らの言葉で語ればいい。 - 兎ノ森とツクラレシ花 Usagino-Mori’s Diary
  • 子供のハーネスに違和感を感じる感性を否定するのも危険な気がする。 - ゆる解離ライフ

    2015-03-04 子供のハーネスに違和感を感じる感性を否定するのも危険な気がする。 ハーネス=悪 という図式もおかしいけど ハーネス=善 というのもそれはそれで危険かもしれません。 もちろん、多動のお子さんにとってハーネスは必要なものです。 多動児にとってハーネスは命綱です。世間の皆様のご理解をお願いします。 - うちの子流~発達障害と生きる 多動児にとってハーネスは命綱です。世間の皆様のご理解をお願いします。 - うちの子流~発達障害と生きる ですが、子供にハーネスをつけなきゃ育てられない現状に慣れてしまうのもどうでしょう。 もちろん、どんなに環境を整えてもハーネスが必要な子もいますし、ハーネスがあることで皆が安全で安心できるならとても良いことです。 でもそれとは別に、例えば住宅街の道路は車が入れないようにするとか、のびのび遊べる環境を整備するとか、母親だけでなく社会全体が子供を育て

    子供のハーネスに違和感を感じる感性を否定するのも危険な気がする。 - ゆる解離ライフ
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