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考え方と障害に関するkarotousen58のブックマーク (5)

  • かわいそうなんかじゃない | NHK | News Up

    「お前たちは兄貴の分まで頑張らないと」 子どものころから違和感がありました。 「支援したい 助けたい」 周囲からの目線は大人になってからも変わりませんでした。 どうすればありのままを見てもらえるか。 たどりついたのは“その呼び方”を使わないことでした。 (ネットワーク報道部記者 秋元宏美) 3年前に誕生したブランド「ヘラルボニー」。 ファッション、インテリア、アート作品を手がけています。 “加工されていない芸術”を意味するArt Brut(アール・ブリュット)というジャンルで、高いアート性と品質のよさが評価されています。 価格はネクタイは12万円台、ブラウスは3万円台。

    かわいそうなんかじゃない | NHK | News Up
    karotousen58
    karotousen58 2021/12/12
    “才能がなくたって、ありのままの姿が肯定”に、違和感あり。障害を持つ人が経験する制約のうち、かなりの部分が「差異に対する社会的意味づけ」で起こる「否定的感情」や「意味づけを相対化することが困難」では?
  • マイノリティは“お飾り”か? 車椅子の私が就職後に体験した「誰も得しない」状況がつらすぎた | 文春オンライン

    「トークン(お飾り)」という概念をご存じだろうか。 筆者は『サウスパーク』というアニメで「トークン・ブラック」という名の黒人のキャラを見てこの言葉を知った。これは登場人物の大半を白人が占める映像作品への人種団体などからの批判をかわすため、申し訳程度の端役で黒人を出すことを風刺している。 トークンとして中高大を過ごしたきた筆者 この例では人種だが、集団に多様性があるように見せる効果や目的を持つ、選別されたマイノリティを「トークンマイノリティ」「トークン」と呼ぶ(※注1)。 トークンについては米国で長年研究が為され、生じうる様々な摩擦、そのメカニズム、問題の構造、処方箋に至るまで多くの議論が蓄積されてきた。 筆者は重度脳性麻痺と発達障害を持つ障害者で、中学・高校・大学・社会人の計13年以上トークンとして過ごしてきた。従って僭越ながら筆者の自分語りを通じて、トークンと多様性を巡る議論のミソを感覚

    マイノリティは“お飾り”か? 車椅子の私が就職後に体験した「誰も得しない」状況がつらすぎた | 文春オンライン
    karotousen58
    karotousen58 2021/11/16
    “集団に多様性があるように見せる効果や目的を持つ、選別されたマイノリティを「トークンマイノリティ」「トークン」と呼ぶ”
  • エマ・ワトソン演説と「弱者男性」問題について - 弁護士三浦義隆のブログ

    1. エマ・ワトソン論争の概観 2. エマ・ワトソンの主張は矛盾はしていないが救済にはなりにくい 3. 「弱者男性」「キモくて金のないおっさん」問題に解決策はあるか 1. エマ・ワトソン論争の概観 3年前に女優のエマ・ワトソン氏が国連でしたフェミニズムに関するスピーチの話題が、なぜか今さらネット上で再燃しているようだ。 logmi.jp ワトソン氏はこのスピーチの中でいろいろなことを話しているが、今話題になっているのは、 男性もジェンダー・ステレオタイプから自由になってよい(あるいは、なるべきだ)」 と主張している部分。 ワトソン氏は、 「弱いと思われるのが嫌だから」と言って、男性は心が弱っているのに助けを求めようとしません。その結果、イギリスの20歳から49歳の男性は、交通事故、ガン、心臓疾患よりも自殺によって命を落とす方が圧倒的に多いのです。「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功し

    エマ・ワトソン演説と「弱者男性」問題について - 弁護士三浦義隆のブログ
    karotousen58
    karotousen58 2017/07/30
    横道にそれるが、"解決策のない問題というのは、そもそも問題でないか、あるいは少なくとも問題として考える意義に乏しいことになろう。"が気になる。「障害の社会モデル」と関係がありそうと、私には思えるから。
  • 相模原の事件について - Arisanのノート

    相模原の事件について、容疑者が衆院議長に送ったとされる手紙の全文が、黒塗りつきだが公表されているようだ。 http://breaking-news.jp/2016/07/26/026100 これを読む限りでは、また報じられている容疑者の言動を見ても、日ごろマスコミやネット上にあふれている政治家や文化人、一般の人々による、差別的、排外主義的な発想・発言の寄せ集めという以上のことを感じない(それらは、近年に突然出てきたものではない)。 つまり、この容疑者が語っているような思想は、まったく酷いものであることは確かだが、今の日ではなんら特異なものではなく、むしろ支配的な言論だといえる。 その証拠に、首相をはじめ政治家たちは、容疑者が明言しているという差別主義的な犯行の理由に関して、明確に反対のメッセージを出そうとはしない。その理由は、そうすることが自分たちの進めている政策や、今後進めていきたいと

    相模原の事件について - Arisanのノート
  • 「社会参加」と「社会的排除」。 - hituziのブログじゃがー

    社会参加は、社会的排除の反対語。そういう とらえかたで、ほんとうに いいんだろうか。 マイノリティの社会参加を すすめるというのと、社会的排除を やめる、あらためる、あるいは 社会的排除を 批判するというのとでは、やっぱり意味あいが ちがってくると おもう。 不公正、不公平が まずあって、それに対して、対策を たてる。改善する。なくす。たとえば、バリアフリーというのは そういう概念。 たとえば、障害者の社会参加というような表現は、それは すばらしい ことば、大事な理念であるようでいて、じつは、そこには ある種の いやらしさが あるように感じる。排除してきた これまでの歴史があって、それを 改善する、やめるということであるはずなのに、「仲間に いれてあげる」というようなパターナリズムが そこには あるんじゃないか。ふくんでしまってるんじゃないか。それって、ぬすっとたけだけしいことなんじゃない

    「社会参加」と「社会的排除」。 - hituziのブログじゃがー
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