花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴[編集] 中国大陸[編集] 岡山県勝田郡広戸村村長・花谷章の息子として生まれる。津山中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し[1]、同年12月、歩兵少尉任官。歩兵第54連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した[1]。当時の日本陸軍としてのエリート街道を歩んだ花谷は極端にエリート意識が強く「幼年学校出身者こそ将校の梢幹であり、中学校出身者は幼年学校出身者の補完に過ぎない」と公言しており、中学出身者を『Dコロ』と呼んで差別していた。そのため、中学出身の部下には厳しく当たり、ことあるごとに「中学出は駄目だ」などと鉄拳も交えて厳しく罵倒したため、