SOW@ @sow_LIBRA11 前に、家が観光産業だった方に聞いたんだが、数も多いが当時のこういった社員旅行などは、とにかく「土産をめちゃくちゃ買った」そうな。 今とは比べ物にならないと、数と単価が違いすぎるんだよな。 twitter.com/knightma310/st… 2023-03-19 21:05:27
しかし 泣くだろな寂しくって…会いたくって… もちろん!そうなるのは拙者のほうだが…… 関谷ひさしさんという漫画家さんの作品を拝見しました。 1928年(昭和3年)に生まれ、太平洋戦争を経て終戦後は新聞社で四コマを描いて漫画家デビュー。 その後は2008年2月・80歳で亡くなられるまでマンガを執筆されていたという、 昭和の時代を生きた漫画家さんの一人です。 主に昭和30年代に活躍され、当時の雑誌「冒険王」で発表された 「ジャジャ馬くん」のヒットを皮切りに、先生のマンガを好きで読んでいたという方の間では 「ストップ!にいちゃん」という作品を代表作として挙げる方が多いようです。 今回ご紹介するのはその先生が、70歳の頃から亡くなられる直前までの10年をかけ、 作品を完成させたというまさに遺作となったこの作品をご紹介します。 しかし決してノスタルジーとか記念碑的な意図で採りあげるものではありませ
昨日の骨董市にて、紙もの業者の鬼太郎(おにたろう)さんの お店で購入した幼稚園の「出席カード」。 昭和30年代のものと思われます。 裏表紙は、先生を囲んで「かごめかごめ」をしている園児たちの微笑ましい挿絵。 拡大してみると、先生がいじめられているようにも見えますが、「うしろの正面だあれ?」という合言葉を久々に思い出しました‥‥☆ 中を開くと、至るところにさり気なく可愛い絵が添えられています。 そして特筆すべきは、各月全て童話や昔話のシチュエーションになっているということ。 シールもそれぞれのシーンに合わせたものになっています。 では、1月から順にご紹介! 「ねずみのそうだん」 誰がねこに鈴をつけるか、という会議中。 話しを聞いているねずみたちのシールが可愛い。 (赤い数字は日曜日。) 2月は「かもとりごんべえ」 裏面に載ってるお話しによると、このあとごんべえさんが人々の頭の上に落ちて目から
1 子どもたちの「読み」 「ごんぎつね」は長い期間、教科書に採用され、多くの日本人が読み親しんだ作品です。つぐないの半ばで、ごんが兵十に撃たれて死んでしまう場面は、多くの人の記憶に残っていると思います。 兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうをとって、火薬をつめました。そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口をでようとするごんを、ドンとうちました。 ごんは、ばたりとたおれました。 兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。 「おや。」 と兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。 「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。 多くの小学生がこの物語を読み、学習する時に
リンク Wikipedia ガラスの仮面 『ガラスの仮面』(ガラスのかめん)は、美内すずえによる日本の少女漫画作品。1976年から現在まで長期連載が続いており、2014年9月の時点で累計発行部数が5,000万部を突破した大ベストセラーで、平凡な一人の少女が眠れる芝居の才能を開花させ、成長していく過程を描いた作品である。「ガラスの仮面」は隔週誌『花とゆめ』(白泉社)に1975年(昭和50年)発売の1976年1号から30年以上連載されている。長期連載となった本作だが、美内すずえは2巻程度で終わらせる構想であった。1982年(昭和57年)頃(劇中劇「ふ 1 美内すずえ @miuchibell 『別冊花とゆめ』休刊のお知らせに驚かれた方々。本当に申し訳ありません。雑誌連載の方向性が決まれば、またお知らせします。ただ『ガラスの仮面』は、必ず最終巻まで描き続けます。 これからも宜しくお願いします。tw
クルクル🐾※TL追えてない @krttn78 今どきの子は、反抗期がないとかおとなしいとか言われることがよくあるんだけど、反抗するほど抑圧されてないんだと思う。昭和の子育てって、今なら虐待レベルになるようなものも普通に行われてたから、子供からすると自我と尊厳を守るために親や先生と戦争するしかない、みたいなとこあったもんな…。 2020-08-27 08:38:41 クルクル🐾※TL追えてない @krttn78 まあうちの息子もいわゆる反抗期に入って、なんでも親に反抗や抵抗するけど、やっぱりあの時代は独特だったよなあと思う。理不尽や不条理に対して学校の窓ガラス割るしかない子もいたんだよね。 2020-08-27 08:48:11
リンク t.co 漁師たちの戦争 徴用船の悲劇(1) 利用された操船の技 | カナロコ 日中戦争さなかの1940(昭和15)年9月。1本の記事が、神奈川日日新聞(現神奈川新聞)の紙面に載った。「三崎の漁船が揚子江で撃沈され、船員たちが犠牲になった」-。旧日本軍に徴用された漁船が、三崎か かいづかわたる @junni_800 【徴用船を考える】 「漁師たちの戦争 徴用船の悲劇」神奈川新聞カナロコ kanaloco.jp/article/75869/… 前の戦争の内容ですが、なし崩し的に起こる事態に対する官僚的対処はあまり変わっていないと感じるので、大変参考になると思いました。 まとめてみました。(下10連失礼) 2014-08-12 14:32:43 かいづかわたる @junni_800 ①日中戦争さなかの1940(昭和15)年9月。1本の記事が、神奈川日日新聞(現神奈川新聞)の紙面に載った
発端となったのは、「田舎の風景に佇む白いワンピースの少女にノスタルジーを感る」という話題でした。 「夏の葬列」(青空文庫より) これについて、教育出版刊行の中学生向け国語科の教科書に掲載されております山川方夫「夏の葬列」の影響がかねて指摘されている旨の発言をさせていただきましたところ、「民間人の、それも子供を米軍の戦闘機がわざわざ機銃で射撃するなんてことがあったのだろうか」(概要)という、否定というよりも今ひとつピンとこないという反応を数件見かけました。次のTweetは、そうした反応を受けての発言となります。 森瀬 繚@R・キャンベル作品集近刊 @Molice 「夏の葬列」に描かれる、民間人の子供に機銃を撃ち込んでくる米軍機の存在を疑問視する向きがあるようですが、佐藤さとる氏の実体験がベースだという『だれも知らない小さな国』の戦時中エピソードにもあって、こちらは子供達が鬼ごっこのような感覚
昔(昭和戦前頃まで)の漁師は全裸で作業したり町中を歩いたりしていた。自分は、それは粋や伊達でそうしていたものだと思っていた。(注1) だが、それだけではなかったことが、 @bandy_u バンディー http://twitter.com/#!/bandy_u 氏の調査結果で明らかになった。以下引用。 藁チン文化についてちょろっと調べてる。思った以上に奥深くて、ちょっと窮屈な感じ。 なんで全裸でチンポに藁1本結んだだけの姿で漁に出たり、ましてや街中を歩くのか理解できなかったけど、「着る服を持つような身分不相応なことはしておりません」という低い身分、隷属的な立場の表明だったんだ。 勝手に網子(どこかの網元の下で働いている漁師)が、勝手に褌だの半纏だのを着て町を歩こうものなら、それは「許されざる行為」だったらしい。全裸でいるべき身分の人間が服を着て町を歩いたり電車に乗ったりしようものなら、警官か
「新人類」の「老害」化、のこと、再び。 自分も40代手前で「あ、こりゃこのままいったらえらいことになる」と痛感して勤めを辞めたが、「上の世代」(いわゆる団塊とその直後くらいが主標的)とつきあいながら事態を好転させてゆく目算がまるで持てなかった分、「下の世代」(主に団塊ジュニア界隈)への信頼や期待は無条件に地続きだったかも。 「これまでの世代と違う」という世代的自意識なり自覚みたいなものは、自分たちのみならず「下の世代」に対して当時は無条件に地続きだったんだろう、と。で、それは「戦後」の「若者」信仰の構造とも基本的に地続きだったらしいんだが、それはその頃には当然まだ気づかれることもなかったわけで、な。 辛抱して踏みとどまって「上の世代」とつきあいながらそれぞれの現場を維持し守ってきた同世代はその後、50代になってからいきなり組織なり職場の側からハシゴを外され始めたりしたわけで。と同時に「下の
にしい @Nishii_dec9 【世が世ならあったかもしれない】 情報をテレビや新聞からしか得られなかった時代に、新型コロナウイルスが流行したら…というお題で作りました。 pic.twitter.com/9cy7b1PaoQ 2020-03-16 23:15:45 忘川河の彼岸 @sophist2016 @Nishii_dec9 BGMや、政府広告の女性ナレーションが、まんま昭和クオリティで笑いました。地方のスポット広報番組ってこんなんでしたよね。 特に昭和50年代。 2020-03-18 09:11:14 にしい @Nishii_dec9 新型コロナウィルスが猛威を振るっていますが、僕にできることは何だろうかと考えました。僕たちは歴史のなかで生きていることを重く受け止めなければなりません。僕なりのやり方でこの事態に向き合い、一刻も早い終息を願います。 #有事に関する定時報告放送 #昭和
「安心して帰れる場所」がある子は頑張れる 「安心して帰れる場所があるか」、これは子どもの自己肯定感を育てる上で、非常に大切なことです。単に「安心して過ごせる家」という物理的な話だけでなく、精神的な意味も含んでいます。 落ち着ける家庭という居場所は、子どものチャレンジ精神を育んでくれます。何があっても受け止めてくれる、帰る場所があるとわかっていれば、子どもは思い切って外に冒険に出ることができるのです。 勉強にしろ、運動にしろ、芸術にしろ、外の世界は厳しく、いつも勝てるとは限りません。むしろ負けることのほうが多いでしょう。そんなとき、家に帰ってホッとできるかどうか、次の冒険への英気を養うことができるかどうかは、非常に大切なことです。 頑張り続けられる子というのは、そのような帰る場所を持っているもの。親の役割は冒険に一緒に付き添うことではなく、負けて帰って来たわが子を温かく迎え入れることなのです
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