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内田樹に関するn_pikarin7のブックマーク (16)

  • 「責任を取る」ことなど誰にもできない | プレタポルテ by 夜間飛行

    内田先生、「責任」について教えて下さい 「責任」とは何でしょうか。「責任を取る」とは、どういう状態を指すのでしょうか。 「私が責任を取る」「お前が責任を取れ」「誰も責任を取らないからいけないんだ」……、社会人の日常生活からメディアの上まで、「責任を取る」という言葉はあちこちに散見されます。しかし、当の意味で「責任」を取ることができることなどどれほどあるのでしょうか。 ビジネスをしていて、何らかのミスで損失を出してしまったという場合、それは「損失分を埋める」というかたちで責任を取ることは可能かもしれません。 しかし、何らかのミスで相手にひどい怪我を負わせてしまった、あるいは命を奪ってしまった、という場合、傷を負わせてしまった人は、当に「責任」は取ることはできるのでしょうか。 あるいは、原発事故のように広範囲、長期間にわたって負の影響が出てしまった場合、原発事業の責任者(もうこれが誰だか分

  • 選書しました - 内田樹の研究室

    技術評論社の安藤さんから「若い読者のための選書60冊」を頼まれた。 屋さんで『最終講義』の刊行イベントとして、お薦めのを選んで、それを並べて、あわせて買って頂こうという趣旨のものである。 を選ぶのはたのしい仕事なので、さくさくと60冊選んだ。 もうフェアは終わってしまい、「どんなを選んだのか知りたい」という人からメールがあったので、ご参考のために掲げるのである。 こんなのでした。 「日および日人論」として読むべき(35) 『福翁自伝』(福沢諭吉) 『明治十年 丁丑公論・痩我慢の説』(福沢諭吉) 『氷川清話』(勝海舟) 『柳北奇文』(成島柳北) 『勝海舟』(子母沢寛) 『竜馬がゆく』(司馬遼太郎) 『坂の上の雲』(司馬遼太郎) 『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人) 『澁江抽斎』(森鴎外) 『断腸亭日乗』(永井荷風) 『「坊っちゃん」の時代』(関川夏央・谷口ジロー

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2011/09/29
    全部読んだらどのような人材になるのでしょうか?
  • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

    大阪維新の会が教育条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育政治的中立性とは、来、教育法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2011/08/22
    人口が減って、先生たちに余裕がでてきたら、もうすこしましになるんじゃないかと思っている。維新の会も日教組も、子供の(りっぱな大人になる)権利を守ろうとしていない。
  • コピペはダメだよ、について - 内田樹の研究室

    卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。 「出典の書誌情報を明記しなさい」 この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。 それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。 「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺をべるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。 しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。 それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。 自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。 自己

  • 基地問題再論 - 内田樹の研究室

    さる新聞社より電話取材で、またまた普天間基地の話。 鳩山首相が沖縄に行ったが、はかばかしい成果がなかったことについて、その政治責任をどう考えるかというお訊ねである。 「はかばかしい成果がある」というのはどういう場合を指すのか、まず新聞社はそれを明らかにすべきであろうということを申し上げる。 他人の仕事について「はかばかしい成果が上がらなかった」というコメントを下すためには、「はかばかしい成果」は何かをまず明らかにする必要がある。 だが、メディアは普天間基地問題について、「こうすべきである」という具体的な提言をなしていない。「米政府も政権与党も沖縄県民もみんなが満足するソリューション」を提示せよと言っているだけである(だが、そのようなソリューションは存在しない)。 何度も言っているように、基地問題は変数が多すぎるために「正解のない」問題である。 私たちに出来ることは、「変数」を列挙し、そのう

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    n_pikarin7 2010/05/07
    主権なんて結局、建前なんだよ。ぶっちゃけ、北朝鮮や中国に対して、アメリカの力を借りつつ軍事的に優位に立てていれば良いわけ。で、普天間は無くても大丈夫なわけ。分かってますかね。
  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

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    n_pikarin7 2010/01/09
    生きていくという本質はデインジャー。でも例えば、政権交代の原因はクレームじゃなきゃ何。責任者出て来い、代われ、という。健闘を祈る?放り投げて「どうにかしようぜ」って思わない奴は速やかに死ぬべし
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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    n_pikarin7 2009/12/16
    仕事においていろいろ考えてイヤになってた。読んで気持ちがストンと収まった。
  • いま、学校教育に求められているもの - 内田樹の研究室

    兵庫県立教育研修所にて、去年に続き、県立高校の二年次校長のための研修会で講演。 県下の高校の校長先生たちにまとめて「営業」できる機会なのであるが、今回は入試部長として行っているわけではない。 お題は「今、学校教育に求められているもの」。 鳩山内閣の教育政策への期待から始まり、公教育への財政支出の対GDP比の話、消費文化と原子化の話、ブリコルールの話と、話頭は転々したが、メインテーマは「学校は子どもを成熟させる場である」ということである。 学校教育についての評言のほとんどは、それがどういう「利益」を「受益者」である子どもたち、および「金主」である家父長たちにもたらしているかを基準になされている。 けれども、学校教育義は「利益」によって表示されることはできない。 その人類学的使命は「子どもを大人にする」ということに尽くされている。 「大人」とは人間の社会的活動の意味を考量するときに「それを

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    n_pikarin7 2009/09/19
    学校教育制度の話しと言うより、学校を経由しながら人間としての成長するときの、個人にかかわる話な気がします。君は君が君を探すんだよと。あと、メンター、かな。
  • 教育のもたらす利益について - 内田樹の研究室

    経済協力開発機構(OECD)は8日、加盟国の06年国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合について調査結果を公表、比較が可能な28カ国で日は3・3%と下から2番目だった。 平均は4・9%。1位はアイスランドの7・2%、デンマーク、スウェーデンが続き、北欧が上位を占めた。日は最下位だった05年調査の3・4%より0・1ポイント減少。 日は小中高までの初等中等教育は2・6%で下から3番目、大学などの高等教育は0・5%と各国平均1%の半分で最下位。 全教育費に占める私費負担の割合は33・3%と韓国に次いで2番目に高く、平均の2倍以上だ。 日は、高等教育への財政支出対GDP比率が先進国最低の国である。 文科省はこれを5%にと要望したが、財務省に一蹴された。 教育は私事であるから、公的支援には及ばないというふうに考えておられるのであろう。 教育は自己責任で行え、と。 行政を頼るな、と

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    n_pikarin7 2009/09/10
    教育をビジネスの語法で語ってはならない 教育は人々を「社会化」するために作られた制度である。
  • 夏の終わりに - 内田樹の研究室

    毎日締め切りに追われている。 『日辺境論』の締め切りまであと3日だが、明日は稽古、明後日は歌仙会で終日ふさがっているので、書けるのは実質今日一日しかない。 でも、今日締め切りの『プレジデント』の書評があるので、それをまず書かなければいけない。 毎日のように講演依頼と取材依頼と寄稿依頼が来る。手紙で来て、ファックスで来て、メールで来て、電話で来て、人が来る。 もちろん片端から断っているのだが、それでも断り切れないものが澱のように堆積して、気がつくとスケジュール表は醜く汚れている。 結果的にひとつひとつの仕事の質は劣化するばかりで、こんな手抜き仕事ばかりしていれば、遠からず私に対する業界的評価は地に落ちるであろう。 それで仕事の依頼が減るのは大歓迎なのであるが、が売れなくなると退職後のたずきの道が立ちゆかぬ。 仕事は減らしたいが、は売りたい。 「痩せたい、でも、べたい」という二律背反

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/09/06
    すぱっとしている。ただ、どうなんだろう。もう一つ別の道に舵を取るという選択はないのだろうか。
  • ブリコルールの心得 - 内田樹の研究室

    土曜日はひさしぶりのお稽古。3週間ぶりに身体を動かす。 滝のような汗。 さすがにお盆なので、稽古に来る人は少なく、20人ほど。 いつもの半分である。 日曜日は多田塾甲南合気会の「第0回演武会」。 来年第一回をやる予定なので、予行演習である。 29人が演武する。 私も回らぬ舌で説明演武をする。 身体は動かしていないけれど、このところ『日辺境論』にずっと武道のことを書いているので、理だけは進んでいる。 その「理」の部分を話す。 理だけ進んで身体がついてこないということはあまり起こらない。 というのは実際に身体能力の発現を阻んでいるのは大半が脳内のファクターだからである。 身体はいろいろなことができる。 意識化して操作する運動と数桁違うくらいの種類の運動をこなすことができる。 それができないのは脳が「人間の身体というのはこういうふうに動くものである」という思いこみによるリミッターをかけているか

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/08/18
    100均やホームセンターに行くと頭パンクしそうになる。半年弱むやみにブクマして、タグで絞って読むようになった。・・・子どもたちの学びの場合の具体例がほしいが、無理ではないか。
  • 反省しない人々 - 内田樹の研究室

    海の日。 世間は休みであるが大学は開校日である。 どうして国民の休日に大学の授業があるかというと、文科省が「すべての曜日半期15回必ず授業をやるように」と強く要望しているからである。 月曜日は休日に当たっていることが多いので、15回やろうと思うと、8月中旬まで補講をしないといけない。 亜熱帯の日でどうしてお盆のころまで授業をしなければならないのかと思うのだが、日人の壊滅的な学力低下に対して文科省はとりあえず「15週確保」しか思いつかないのである。 14週を15週にしたくらいで学生の学力が上がるなら誰も苦労はしない。 15週にして学力が上がるなら、20週にすればもっと上がる道理である。月月火水木金金一年365日休みなしで授業をすればさらに学力は上がる道理である。 もちろんそんなことをしても学力低下は止まらない(やれば、わかる)。 教室で眠る生徒や、遊ぶ学生や、そもそも学校に来ない子どもが

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/07/21
    「つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい」と締め括って」いない様。元の毎日社説http://bit.ly/12UbHEは、中教審案に賛同なのか反対なのか、どうも破綻した文な気が。ともかく同意ですが。
  • 夢の中へ - 内田樹の研究室

    夢の中で村上春樹の新作を読む。 主人公の「僕」は大学教師を辞めて、千葉の国府津にある小さな電機メーカーの企画開発部に就職することになる。 昭和30年代にある天才的な科学者が創立した会社らしく、「僕」はその会社の倉庫で会社創業時のカタログを発見して、それを読み始める。 このカタログがぶ厚くて、なにしろカタログそのものに工具セットが付録でついているのである(村上春樹の小説にもその「付録」が付いている)。 工具セット付き小説。 おまけにカタログは乱丁で、頁があちこちに飛ぶ。 読者は次の頁を探しながら、昭和30年代に、あるマッドサイエンティストの脳裏に宿った「夢の家電」の数々を眺めることになる。 それは今のそれとはちょっと違う「電子炊飯器」(なぜか二重蓋になっている)とか、そういうもの。 そこまで読んだところで目が覚めた。 へえ、『1Q84』と同じ構造じゃないか(ちょっと違うけど)。 過去のある時

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/07/21
    なぜこのような制度を私たちの祖先は採用したのか。なぜ-「そうではない制度」が採用されなかったのか。「そうではない制度」としてはどのようなものが可能だったのか、といった一連の問題について考える知的な構え
  • ナショナリストとパトリオット - 内田樹の研究室

    河合塾での講演のあと、廊下でナショナリズムについてひとりの予備校生から質問された。 たぶん、彼の周囲でもナショナリスティックな言動をする若い人たちが増えてきており、それに対してどういうスタンスを取るべきか決めかねているのだろう。 若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。 それは帰属する集団がないからである。 人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。 パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。 ナショナリストはそうではない。 彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。 彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっ

  • 忙しい週末と批評家の責任について - 内田樹の研究室

    土曜日、合気道稽古のあと、北野のホテル・トアロードのニュー香港にて、甲南合気会・神戸女学院大学合気道部・杖道会主宰の結婚祝いのパーティ。 みなさんにおみやげのアンリ・シャルパンティエのお菓子を買うことにしたので、人数を訊くと、全部で79名。 武道関係者のみならず大学院聴講生のマダムたちもお見えになっていた。 永山くんがシャンペンの瓶のふたをナイフで切り飛ばす大技のソムリエ芸を繰り出して開会。 司会はいつもの谷口・谷尾コンビ。 全部で出し物が12個あるという(2時間の宴会なのに)。 披露宴ですべての出し物を禁じたので、その腹いせというか欲求不満が嵩じたのか、歌に、踊りに、芝居に、演奏にとまことに盛りだくさん。 ひさしぶりにヤベ・クー・おいちゃんトリオの「あてがきパロディ・ミュージカル」を見る。 今回のパロディネタは『天空の城ラピュタ』で、「あてがき」されたのは会の「夫婦」たち。 ヤベのムスカ

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/07/02
    規範批評てやつですね。過去の作品と比べて自分はおもろなかったという印象(批評)なんでしょうね。独自に、この批評は不味いだろって考えだしてるのかしら?これはやっぱりすごいのかな、うーん。
  • 成熟のために - 内田樹の研究室

    今週も忙しい一週間であった。 月曜、部長会、ゼミ、杖道稽古。 火曜、三宅接骨院、BP取材(村上春樹論)、ゼミ、指定校説明会でお詫びと講演(変なの) 水曜、新大阪歯科で歯の治療、下川先生お稽古。 木曜、教育実習生の受け入れ校の問(啓明学院で尾崎校長と久闊を叙す)、光安さんのところで夏仕様に髪切り(ほぼ丸坊主)、メディア・コミュニケーション演習。 金曜、静岡県立静岡高校で社会科教員のための研修会で講演。 教育関係の講演がこのあともしばらく続く。 「教育現場から市場経済の思考と語法を一掃せよ」と書いたせいで、あちこちの学校から「その話をしてください」と言われる。 話をすると、どなたも「深く共感」してくださる。 深く共感してくださるということは、私と「ほとんど同じ意見」だということである。 同じ意見をお持ちなら、私を招くには及ばない。 それでも私が講演に招かれるのは、その「同じ意見」を「公言する

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