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岩崎夏海に関するn_pikarin7のブックマーク (7)

  • id:kawangoさんは悩みがあるならぼくに相談しに来るといいんじゃないか? - ハックルベリーに会いに行く

    人間というのは、往々にして他者の中に自分を投影して見たがるものだ。特に、悩んでいる人というのはそうだ。人が、誰か他人の中に悩みを感得するというのは、往々にして自分に悩みがある時だ。「この人は、こんなことでこんなふうに悩んでるんじゃないか?」そんなふうに想像する時は、往々にして、自分がそのことで悩んでいるのである。 id:kawangoさんは悩みがあるのではないだろうか?そしてまた、いみじくもご自分で仰ったように、「逃避したい現実がある」のではないだろうか?だから、ぼくの中に現実から逃避している人物像を見た。kawangoさん自身をぼくに投影して、ぼくを媒介にして、kawangoさんご自身の内面をご覧になったのである。 そういうことは、往々にしてある。特にぼくに対しては、そういうことをする人が、往々にしている。人は、ぼくの中によく自分自身を見出す。多くの人が、ぼくを通してそこに自分を感得する

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/14
    悩みを相談しに行くとき、人は、自分の求めている答えを出してくれるような人を無意識に選んで行くのだ、って心理学の小ネタ。このエントリの釣り要素。ゆうメンタルクリニックに相談しに行けばいいんじゃないかな。
  • ぼくが今日はてな東京本社にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは今日はてな東京社にお邪魔してこの前みたいにまた川崎さんとお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。すると川崎さんも、それを聞いてくれた。また川崎さんも話してくれた。川崎さんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。 それで結局ぼくは川崎さんから聞いた話をブログに書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくは川崎さんとの2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてなの東京社にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいは

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/12
    痛かったら「これはさすがにきつかった、勘弁してほしい」て書けばいいのに。あと、自分に原因は?会うのはあれだと思うんで、誰かハックル氏とチャットしてログあげたらいいと思う。
  • 子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と尋ねられた時の母の答 - ハックルベリーに会いに行く

    母の教え「殺したっていいのよ。人に迷惑をかけなければね」

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/09
    そのへんの子に聞かれたら「…殺したいの?」/自分の子に聞かれたら「誰を殺したい?言ってみろ、俺がぶち殺してやる。」 かなぁ。まあ、べつにOKだけど、社会契約上だめだよ、でいい気がするけどなあ。
  • 自殺を止めようとすることこそが傲慢だ - ハックルベリーに会いに行く

    生き方のtipsの一つとして、「自殺を止めようとすることこそが傲慢だ」という視点を持つことがだいじだ。そうした視点を持つことによって、自殺にまつわる感情のねじれは驚くほどに解きほぐされる。まず止めようとする側。自殺を止めようとすることを「良くないこと」だと感じるから、自殺を止めなくなる。それでよしんば自殺されても、後悔しなくなる。仕方ないと思うようになる。一方止められる側。最初は、相手に止めてもらえないことに不満を感じるだろう。けれども、その理由が「自殺を止めるのは傲慢だ」という彼の信念の欲するところによることを知れば、絶望の度合いは薄くなる。少なくとも見捨てられたわけではない、というのは、気持ちをだいぶ楽にしてくれる。 自殺というのは、してもいいけどしてはいけないことだ。そうして、世の中のほとんどのことは、してもいいけどしてはいけないことである。多くの人は、そこのところを経験的に、ほとん

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/09
    [自殺][考察]ゲーデルはともかく、自殺は「とめてもとめなくてもいい」んじゃないかなぁ。いいか、だからこそ、俺は君が死にたいなら死んでも止めに行く。一昨日行ってやる。価値じゃない。尊厳だ。
  • なぜ自殺をしてはいけないか? - ハックルベリーに会いに行く

    なぜ自殺をしてはいけないかというと、自分の命は自分のものではないからだ。自分の命は借りものなのだ。ここを勘違いしている人が多いけれど、自分の命はこの世界から借りているものなのだ。自分の生きている時間は、この世界から借りているものなのだ。 だから、自殺というのは「殺人」に他ならないのである。他殺なのだ。自殺は一つの「他殺」だから、してはいけないのだ。 では、なぜ「殺人」をしてはいけないかというと……詳しくはこちらをご覧下さい。子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と尋ねられた時の母の答 関連情報時代の野蛮人 inspired by自殺をしてはいけない理由

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/09
    したいならしてもいいけど、しなくてもいいんじゃない?いつかきっと来るし。あと、するならそのまえにちゃんとつけてよね。いい?
  • 『面白さと狂気 - ハックルベリーに会いに行く』へのコメント

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    『面白さと狂気 - ハックルベリーに会いに行く』へのコメント
    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/09
    会いに来い企画が釣りなら焼死だろうなー。真実であることを祈る。
  • 面白さと狂気 - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?最近、狂気についてよく考える。面白いものに、やはり狂気は不可欠だからだ。正確に言うなら、正気と狂気、その混ざり合った中に、面白さというのはある。その絶妙のバランスやミスマッチが引き起こす矛盾、あるいは不確かな境界線に、魅力というものの真実が隠れている。だから、面白いものを作りたいなら、あるいは面白い存在になりたいなら、正気の中に、ちょっと狂気をまぶすことだ。蕎麦屋のカレーに入ってる蕎麦つゆのように、隠し味としてほんのちょっと、ギリギリ分からないように(あるいは確信犯的に分かるくらいに)狂気を含ませておくことだ。 問題は、「それをどう含ませるか」ということだ。何かを面白くしたければ、正気の中に狂気を含ませなければならない。常識を突き抜けた、狂った感覚を混ぜなければならない。モーツァルトのように、狂った感覚でピアノに向き合わなければならない。ゴッホのように、狂った感覚でキャ

    n_pikarin7
    n_pikarin7 2009/06/09
    なんだやっぱりわかってやってるのか。釣りか。はぁ…面白さあるいはブクマ数のために、はてな民の迷惑を厭わないのは止めてほしい。というか、、、
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