飯田泰之氏による朝日新聞1面の記事「高成長の幻を追うな」(編集委員・原真人)に対する批判ツイートとその反応をまとめました。
※とある件が起きて、以前Facebookで書いた文章を一部編集 最初個人宛として書こうかと思ったけど、面倒なので一般論として書く。 人は楽しいところに集まる。でも、その楽しいところから勝手に疎外された!と思う人(いわゆる「けまらしい」)は一定数いるから、楽しいところを批判すれば、一定の喝采はあびる。でもその喝采を浴びせてくれた人って、批判者に何か与えてくれる訳じゃない。 具体的にいえば、喝采を浴びせてくれた人たちは金を払ってくれない。だって単に自分が気持ちいいと思える意見があったという確認がしたいだけで、金を払ってまでは欲しくないから。もちろん労力だって払ってくれる訳がない。 ウェブは皮肉屋に一定の注目を集めるけど、その注目は労力や金といった高いコストには還元されないのだ。 賛成ばかりで気持ち悪いから、反対の意見を言ったんだ、皮肉屋はよくそういうが、それには信念を感じられない、賛成されてい
はじめに【全力か?】 ITメディアの記者が初音ミクさんを批判 「男性の女性への願望を歌わせてキモい」 http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52387824.html について 岡田有花本人の弁明や たくさんの岡田有花ファン・友人からの擁護も読んでみた。 岡田有花さんはキモオタ達に叩かれてるけど、実はキモオタの仲間であり理解者らしい。 でもそれってほんと? 2chはタイトルで煽ったまず、 岡田有花の発言をより直接的表現に変えてタイトルにしているし 怒りを収拾するのではなくむしろ煽ろうと言う意図が明らか。 岡田有花は初音ミクをDisったのではない「メジャータイトルの1部が、男性の願望を女に歌わせていて気持ち悪い」という話だったのに 「ミクさんを叩いた」という話にずらしてしまっている。 「わかってるじゃん。じゃああんたも岡田有花さん陣営に来るのね
尖閣沖衝突事件について日本人が日本側から見るのは自然なことだし、この地域の実効支配が日米安保条約つまり実質米軍に支えられているにもかかわらず日本からナショナリズム的に強行論が出てるのも、戦後が遠くなる風景でもある。しかしこの事件、中国側から考えるとかなり奇妙な事件でもあった。 前回のエントリー(参照)では詳しく言及しなかったが、今回の中国「漁船」の領海侵犯には奇妙な点がいくつもあった。 公務執行妨害となったのは一隻だが、他にも「漁船」は繰り出していて船団を形成していた。また中国としては自国領という主張があるにせよ日本が警戒している領域で堂々と大きなトロール漁の網を打っていたことや、警告を受けてから体当たりをくらわせるといった点も異例だった。 しかし日本という文脈を外せばそれほど異例ではない。この数年、中国「漁船」には対米的に異常な活動が目立っていた。昨年の事例としては、2009年5月6日付
時代の変化というものに対し、若年者はすぐさま流れに乗るかのごとく追随するが、齢を重ねて年長者になると自分の人生経験という一定の杓子に固執してしまい、新しいものを受け入れるような柔軟性が失われてしまう事がある。それらの者が、「新しい時代」の先端を行くようなものを若者が行っているのを見た際、良くこの言葉が発せられる。当人も若年の時、年長者から同じ事を言われたのは全く覚えていないようで、それが現代に至るまでこの言葉が受け継がれている土台になっている。 現在ではこの言葉の使用も若年化が進んでおり、幼稚園の年長(5・6歳)も使用している。しかし使用する状況は同じで、年少・年中の新しい考えについていけなくなった園児が使用しているようである。 言葉の矛盾[編集] 基本的に年長者が若者を侮蔑するときに用いられる言葉だが、この語自体に大きな矛盾が指摘されている。 つまり、年長者たちは近頃の若者たちの振る舞い
※2010年8月24日補記:本記事は当ダイアリーのものとしては珍しく、大きな反響を呼びました。Webで公開して「これほど多くの人に見られるとは思わなかった」という言い訳をしても通用しないとはもちろん考えていますが、実際そう考えがちになってしまうのは事実です。そのあたりの脇の甘さはご勘弁いただくとして、以下のように反省しましたのでご覧ください。 「もふもふウサギ」エントリの落ち穂拾い(暫定版) 日を改めて、本記事の改題と改稿も行う予定です(なお記事の「削除」は行ないません)。 - 以下本文 - つい先日、動画投稿サイトYouTubeに以下のようなアニメ作品が投稿された。 戦争漫画家として有名な小林源文氏の作品を3DCGアニメ化した"Cat Shit One - THE ANIMATED SERIES"だ。 簡単にあらすじをいうと、「G.I.っぽい民間特殊部隊員のウサギ二匹が、アラブのテロリス
高橋源一郎 @takagengen 本日の予告編・今日は久々に「路上演奏」というか「午前0時の小説ラジオ」をやります。タイトルは「門外漢の言」。今回は「ぼく」や「わたし」ではなく「おれ」にしゃべってもらう予定。というのも、ほんとうのところ、素の自分に近いのは「おれ」だからだ。 2010-07-10 22:57:03 高橋源一郎 @takagengen 予告編2・今回の「路上演奏」は、もともと、おれを批判している一部の現代詩人に応えるものだ。だが、そんなほとんど誰も読まないテーマについて、こんな「公」の場でしゃべっても意味なんかないと思う。だから、おれは、その問題を、誰にとっても意味あるものに「翻訳」しながらしゃべるつもりだ。 2010-07-10 22:58:39
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090616 ここに書いてあることですが、週刊朝日のぼくのコラムをどう読めばこんな感想が出てくるのか、意味不明です。 そもそも該当コラムでは、ぼくは「1Q84」にはっきりと否定的です*1。他方、村上春樹について、いままで正当な評価がされてこなかったことは、それとはぜんぜん別の次元でよく言われていることです。リンク先のブログの著者が村上批判を書いてマスコミで干された経験があるだかないだか、という話は、ぼくのコラムとは100パーセント関係がありません。 つまり、ぼくは今作については村上春樹を批判しています。しかし村上春樹の文学については、いまこそ正当な評価が必要だと感じています*2。それは両立する立場です。ちなみに、次号思想地図では、「村上春樹以後」をめぐる座談会を行う予定です。 とにもかくにも、リンク先の記事のぼくへの批
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