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人生とIT業界に関するraimon49のブックマーク (20)

  • 〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか

    ※『世界』2023年3月号収録の記事を、増補改訂のうえ特別公開します はじめに ネット上の匿名掲示板サイト「2ちゃんねる」(現在は「5ちゃんねる」)の創設者、ひろゆき、こと西村博之が人気を博している。 1999年5月にスタートした2ちゃんねるのほか、2007年1月にスタートしたニコニコ動画など、ネットの普及期にいくつかのサービスの立ち上げに関わり、起業家として成功した彼は、2010年代後半からユーチューバーとして活動し、視聴者からの相談に答えるライブ配信番組を通じて人気を博した。さらにその間、ビジネス書や自己啓発書を次々と出版し、ベストセラーライターとして名を馳せるかたわら、テレビ番組にコメンテーターとして出演するなど、マスメディアでも広く活躍するようになる。 その人気はとくに若い世代に顕著で、若者や青少年を対象とする調査では、憧れる人物などとして頻繁にその名が挙げられるほどだ。その配信番

    〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか
    raimon49
    raimon49 2023/03/11
    >彼の反知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするもの
  • ドリコム勤続20年~ベンチャーやお金の話~ | 外道父の匠

    という感じで、特別に学歴が高いとか、小さい頃からコンピューターに触れてきたとかなくて、強いて言うなら3歳からゲーマーだったというくらいです。あとわざわざ北海道を出たのは、雪と寒いのが嫌いだからです。 振り返ってみると、入社からたった4ヶ月程度で退学を決心してて狂気ですね。決心した後は、まず社長に相談して、当時のバイト代だと生きていけないので、もう1つバイトしようと思います~って話したら、即断で社員になればいいじゃん。って流れになり、当時は役員とバイトだけだったため、めでたく正社員第一号になりました。 んで親に電話して、やりたいことが見つかったことと、今辞めれば後期の学費かからないよ!とか意味不明な説得したりして、なんとか了承を得ました。友達には全員に勿体ないと言われましたが、逆にこれが正着なんだと俄然やる気でました。 今現在、当時の生き残りは俺と社長だけですが、要所で即断即決できるってのは

    ドリコム勤続20年~ベンチャーやお金の話~ | 外道父の匠
  • 14年間続けたソフトウェアエンジニアを辞めて、婚活戦士に転職します|dancingpandor

    新卒でキヤノンに入社してから、カヤック、オランダのIT企業と2回転職したものの、14年間ずっとソフトウェアエンジニアとして働いていました。 しかし、4月末にオランダのIT企業を退職したタイミングでソフトウェアエンジニアを辞め、婚活戦士に転職することを決意しました。 転職を決意した理由4月で39歳になりました。 もともと結婚願望があり、社会人なりたての頃に考えていた予定では、30代前半で結婚し、40歳になる頃には子供が2,3人いるはずでした。 しかし、33歳のときにうっかりオランダ移住を決めてしまった影響もあり、39歳になった今でも、結婚や子供以前に、恋人すらいないという危機的状況です。 正直なところ、オランダに移住しても何かしらのサムシングはあるやろうと楽観してましたが、現実はナッシングでした。 (例えば、マッチングアプリの場合、オランダで1年間でマッチする数は、日で1日でマッチする数と

    14年間続けたソフトウェアエンジニアを辞めて、婚活戦士に転職します|dancingpandor
  • 「いつかGitHubで働きたい」10年来の空想を現実にしたソフトウェアエンジニアの紆余曲折な人生 - Findy Engineer Lab

    長永健介(@kyanny)と申します。現在はGitHubで働いています。10年前、「いつかここで働きたい」と夢見た会社です。 私は子供の頃から「考えること」が好きでした。難しいこともくだらないことも、真面目に考えて自分なりの意見をまとめる癖がありました。成長するにつれて私の思考様式は洗練され、Webとブログに出会ったことで「書く」という手段に昇華されました。書くことで考えていることを言語化し、言語化した自分の考えを読みながらさらに考えを深める ── この活動を繰り返すことで、起こりうる問題に備えたり、問題を多角的に見つめて活路を見出してきました。 とりわけキャリアの選択において「(思考|志向)を言語化する」習慣が大いに役立ちました。この記事では私のキャリアにおけるいくつかの選択と、その時々で考えていたことについて紹介します。 望んでなかった「けものみち」を変えた日記の言葉 Shut the

    「いつかGitHubで働きたい」10年来の空想を現実にしたソフトウェアエンジニアの紆余曲折な人生 - Findy Engineer Lab
  • 株式会社 東芝を退職しました

    2009年から新卒&修士卒で約12年勤めていた株式会社 東芝を退職しました。 正確には2021年の9月末には退職していて、10月からは別の会社で働いております。 東芝では様々な方々にお世話になり、色々な経験を積むことができました。ありがとうございました。 やっていたこと ソフトウェア技術センターという研究所の機関でソフトウェアにまつわる色々な研究、開発をずっとやっておりました。雑に括るならソフトウェア工学という分野全般です。あまり公開できる情報は多くはないのですが、ソフトウェアメトリクスの研究、社内のソフトウェア開発環境の整備や、深層学習を使ったバグ検出の研究などをやったりしておりました。 組織としてのサイトはこちらのリンクから確認できます。近年取り組んでいた活動が大体はまとまっていると思います。ここに載っていないものでも、事業部から委託を請けて色々な開発活動も行っている部門となります。

    株式会社 東芝を退職しました
    raimon49
    raimon49 2021/12/31
    >なお昇進を諦めてしまって開発者ポジションに留まるという選択肢もありました、しかしそうした場合ほとんど給料は上がっていかないことになります。 / 悲しい…
  • とにかく次の10年を生き残りたい - 怠惰を求めて勤勉に行き着く

    ついに2020年になってしまった。 この10年はとにかくネイティブアプリ開発にすべてを投資した。 京都GTUGのイベント情報によれば、第1回Androidハッカソンは2009年9月5日に開催されている。このハッカソンのためにドコモ HT-03Aを契約しに行ったのがAndroidとの出会いだった。当時APIレベル3、コードネームCupcake、バージョン1.5である。加速度がホントにJavaのコードから取れてびっくりしたのを覚えている。 実に丸10年の月日が過ぎた。スマートフォンの普及率は20-30代で90%を超え、今後も低くなるということはないだろう。当然、それらスマートフォンで動作するネイティブアプリ開発の需要もしばらくは続くに相違ない。ただし、開発の前線から見える情景は少しずつ変わってきているようにも感じられる。 3-4年前だとネイティブファースト(特にiOS)が当然であり、ウェブが存

    とにかく次の10年を生き残りたい - 怠惰を求めて勤勉に行き着く
    raimon49
    raimon49 2020/01/10
    自分も嗅覚が鈍いから、普及してから付いて行く感じのムーブになっている。
  • 「成長できる環境に身を置く」ことが本当のスタート。就活に失敗したニートからCTOになったエンジニアの話 - Findy Engineer Lab

    id:Songmuです。現在は、Nature Remoというスマートリモコンや、Nature Remo Eというスマートエネルギーハブなど、電力系のIoT製品を開発しているNature株式会社で取締役CTOを務めています。 サーバーサイドからインフラにかけてのソフトウェアエンジニアリングが得意領域で、ISUCONというコンテストで3回優勝したり、Mackerelというクラウド監視SaaSのプロダクトマネージャーを務めたりもしていました。PerlGoを中心に、多くのツールやライブラリをGitHubに上げています。 今でこそCTOという立場にありますが、私はあまり、他人のお手になるような人生を送ってきていません。「将来こうなりたい」といったしっかりとした長期目標を立てることもなく、その場その場で適当に、時には真面目に生きてきた結果が現在です。うまくいったこととて、多分に生存バイアスがあり、

    「成長できる環境に身を置く」ことが本当のスタート。就活に失敗したニートからCTOになったエンジニアの話 - Findy Engineer Lab
    raimon49
    raimon49 2019/12/23
    IT技術書などへの寄稿文を読んでも文章が上手な人だなぁと感じるので、その辺りも個人のBlogを継続して育ててきた恩恵なのだろうな。30歳までのどん底キャリアをこうやって晒して、さらに読み易い文章というのは凄い。
  • プログラマ60歳定年説、FA宣言 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    タイトルは釣りです、すみません。無駄に長いのでお忙しい人は、どーぞ、飛ばしちゃってください。 自分は今年の9月で満60歳になる。60歳というと多くの日企業の御多分にもれず定年である。定年後に何をするのかしないのか、ここで簡単に記してみる。 日の伝統的な大手企業(経団連に属するような企業)では、定年などの制度がしっかり整備されているので、先輩たちがどんな暮らしをしているかおおよそのロールモデルがある。一方で自分が今所属している企業は20年ちょっと前に創業したネット系である。規模は大企業だが相対的に若い企業なのでそもそも50代の従業員がそんなにいなくて定年退職した人も数えるくらいである。 日において職業プログラマの世界では、特にフリーランスではなくて会社に所属している場合、35歳定年説というのが炎上系のネタとしてよく議論される。特にSI系の場合、多重下請け構造の中で歳をってプログラミン

    プログラマ60歳定年説、FA宣言 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 最終回 エンジニアはどこに行くのか | gihyo.jp

    この連載「継続は力なり─大器晩成エンジニアを目指して」は、今回で最終回を迎える。この連載では、エンジニアとして長くやっていくために有用だと思うトピックを紹介してきた。ちなみに連載が掲載されているWEB+DB PRESS誌上での山の挿絵は、エンジニア人生の長い道のりを表している。 さて、この山登りの最後には何が待っているのだろうか。筆者にはわからない。われわれはロールモデルが少ない世代だからだ。上の世代のエンジニアが成功して、引退して悠々自適な生活をしている。そのような特殊な事例はWebのインタビューで見つかる。しかし、ごく平均的だったエンジニアがどうなったかはわからない。われわれの上の世代は、Web以前の人々なのだ。ブログを書いたり、Twitter技術的なことにコメントしたりする人は少ない。だから現在ちょうど引退を迎えるような年齢のエンジニアが、何を思い、どのように生きてきたかを知る

    最終回 エンジニアはどこに行くのか | gihyo.jp
    raimon49
    raimon49 2018/06/28
    >「⁠自分は去年と比べてあまり成長していない。スキルを維持する1年だった」と感じる場合は,能力が落ちているということだと。毎年新しいことを学んで能力が上がったと感じている状態を続けて,ようやく現状維持
  • ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話 - 最速配信研究会(@yamaz)

    この記事は Supership株式会社 Advent Calendar 2016 - Qiita の1日目の記事になります。遅くなりました。 Supership CTO室室長 @yamaz です。 ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話を書きます。 スケールアウトを立ち上げる前、私はヤフージャパンに務めていた。 当時私は結構な給与をもらっており、かつそこそこの立場におり、かつ仕事も面白く、普通なら辞めないような立場だった。 だけど思うところがあり、会社を辞めその後会社を作ることになった。今回はそのあたりの話をしようと思う。今から10年ほど前の話だ。 きっかけ きっかけは上司からの命令だった。 「Adsense作って。2人で」 なんとなくそれっぽいものを作ったものの、エンジニアとしての自分に疑問を持つ結果となった。 AdSenseのすばらしさとのギャップ AdSenseはすごいプロダク

    ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話 - 最速配信研究会(@yamaz)
  • 「自分で人生を決めない」ことが、決定的に業界の進化を遅らせているのかもしれない - メソッド屋のブログ

    先日ブログを書いたら大いに炎上した。いろんな方がいろんなブログを書かれていたようだ。しかし、私は一切読んでいない。なぜならそこに関心がないからだ。ウォータフォール vs アジャイルの比較は私の関心ではなく、私の関心は「どうやったらソフトウェアに関する新しい考えや技術が、日でも早く導入されるようになるか」だからだ。人生は短い。自分の時間配分は自分で決めているので 申し訳ないが、今後も読まないだろう。自分の人生は自分で決めるのだから。 simplearchitect.hatenablog.com 実は、この炎上の過程でいろんな仮説を考えることができた。なぜ、日のソフトウェア産業は、海外に大きく後れを取ってしまっているのか?どうすれば、進化する手助けができるのだろうか? 自分の現在の仮説はマインドセット、つまり「考え方」が根的な原因ではないか?という気がしてきた。 私が最近研究しているのは

    「自分で人生を決めない」ことが、決定的に業界の進化を遅らせているのかもしれない - メソッド屋のブログ
    raimon49
    raimon49 2016/06/24
    個人の選択という点では記事に書かれている通りだと感じる。炎上した方の記事は、思うにウォーターフォールを腐すようなタイトルが良くなかったのでは……。
  • 理想的なエンジニアでありたい - kurainの壺

    前回のエントリにかなり反響があって、友人達が数ブクマして終わりという想定もしていたので、少々驚いている。 エクスキューズを全く入れなかったのもあって、いろんな感想を持たれた。 フワッとした文章で論点もはっきりしてないので、 941 さんのブコメはもっともだと思う。 ただ、一番言いたかったことは、 "プライベートを犠牲にしなきゃ、理想的なエンジニアになれない" って発想が嫌だってことだ。 結構ブコメで"好きだからやっているんだ"っていうコメントが多くて、そんなのは僕も知っている。 僕もコーディング大好きで、なんの制約もなければ体力の続く限りやることもあるだろう。 自分の時間の内であれば、コードを書くのも勉強するのも犠牲なんて思わない。 でも、それでいいの? 持続可能なの?って話なんだ。 独身のひとは、好きなようにすればよいかと思う。その人だけの人生だし。 でも、テレビゲームしたり、漫画読んで

    理想的なエンジニアでありたい - kurainの壺
    raimon49
    raimon49 2015/11/02
    ワークライフバランスについてとても良いこと書いてある一方で「できない同僚に遭遇したことが無い」というのは贅沢な環境だなと素直に羨ましかった。
  • そんなにプライベートを犠牲にして大丈夫? - kurainの壺

    最近読んだソフトウェアエンジニアのキャリアの話が、みんなプライベートの時間も勉強しなきゃダメだという論調で、ちょっと私は疲れている。 hrnabi.com www.pasonacareer.jp paiza.hatenablog.com 曰く環境変化の激しいWeb系エンジニアは、プライベートを犠牲にして勉強しなければ最先端にはいられない。高給取りにはなれない。わりとみんな信じていることのように聞こえる。しかし当だろうか。犠牲にするって、どのくらい犠牲にすればいいんだろう? 犠牲と比例して、技術力が伸びたり、給与が増えたりするんだろうか? あっという間に知識が陳腐化するという仮定においては、時間の自由が大きい若い人ほど先端の勉強に時間を割くことができて、もっとも有能になりやすい。実際若くて有能な人は増えているように思う。それでも、オッサンたちがマネージャーにならず、第一線で働くことは可能な

    そんなにプライベートを犠牲にして大丈夫? - kurainの壺
  • ITエンジニアの幸せな未来とは? - さくらインターネット創業日記

    Something went wrong, but don’t fret — let’s give it another shot.

    ITエンジニアの幸せな未来とは? - さくらインターネット創業日記
    raimon49
    raimon49 2015/02/26
    >「幸せ」と「不幸せ」の話と同じく、「働きやすさ」が改善したからといって「働きがい」が産まれるわけではないという話です。
  • Living as engineer

    Living as engineer

    raimon49
    raimon49 2014/09/29
    良いスライドだった。消耗してる時に読み返したい。
  • 「働くのは世のため人のためです」と僕がよく言う理由:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ

    どうでもいい話であり駄文です。 「働くのは世のため人のためです」と僕はよく言います。理由は、心からそう思ってないので、そう言い続けないと、ただでさえダメな自分が さらにダメになるからです。自分の人生を長い目で考えると、自分のためだけに働くと、いろいろなものを失うからです。特に、圧倒的に友達や大事な人をなくすからです。 ぼくは、若いときにメーカーでゴリゴリのソフトウェア開発をしていました。残念ながら、日の目を見なかった商品をいくつも開発しましたし、独立してからも、 そういった開発を何度かしました。おそらく日の目を見なかったソフトウェアやハードウェアに費やした時間は5年以上ありました。もう、自分の人生の残り時間を考えると、 お金より、社会に影響を与えるものをつくりたいなと思います。 ただ、残念なことに、大きな会社は無駄な開発も多ければ、社会に影響を当たる開発も多いです。一方で、小さな会社では

    「働くのは世のため人のためです」と僕がよく言う理由:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ
  • 1の死と0のつぶやき - tsuge development page

    金子勇さんが亡くなられた。 アクセスアップの便乗のような形で書くのは意ではないので、少し時間が経った今、この記事を投稿する。 金子勇さんについて書こうと思っても、俺は直接面識が無いのであまり存じ上げない。 彼のWebサイトに辿り着き、 http://homepage1.nifty.com/kaneko/index.htm そこで当時珍しかったAnimeBodyという作品を見て驚いた、という程度しか記憶にない。 http://homepage1.nifty.com/kaneko/anibody.htm AnimeBodyも含め、彼の書き込みや作品を見て、漠然とこんな事を思っていた程度だ。 こういうプログラマー当の天才なのだろう。 俺は凡才の中ではよく出来る程度なのだろう。 1の死 金子さんの死というものは、日IT業界において途方も無く大きいものだと思う。 もう俺もITというかSE業

    1の死と0のつぶやき - tsuge development page
    raimon49
    raimon49 2013/07/26
    0側の人間 共感した
  • エンジニアtype 技術者のキャリアを考えるWebマガジン - 転職@type

    エンジニアtypeは、各種エンジニアをはじめ「創る人たち」のキャリア形成に役立つ情報を発信する『@type』のコンテンツです。

    エンジニアtype 技術者のキャリアを考えるWebマガジン - 転職@type
    raimon49
    raimon49 2012/03/03
    会社をハックする、仕事に使う道具を決められる喜び、部下に気持ちよく仕事をしてもらうのがマネジャーの仕事。チャンレンジした結果がダメでクビになったらしょうがない。良い話。
  • 「ぼくはこうしてプログラミングを覚えられなかった」 - ( ꒪⌓꒪) ゆるよろ日記

    大学は情報系だったけどサークルとバイトばかりやっていた プログラミングが大好きだけど同じくらい好きなものが他にもあった 人に自慢できるほどプログラミングに時間を費やしていなかった 最初に就職した企業がいわゆるブラック企業と呼ばれるSIerだった 新人研修で教えられたプログラミング言語がJava その会社では、同期入社が100人いたが、2年後には半分になっていた(俺も2年半で辞めた) SIerでよくわからないレガシーシステムの機能追加なんぞをやっていて、そのシステムは(というか日のエンタープライズ系の業務システムはほとんど)シンプルとはほど遠い設計だった オレオレフレームワークを書いてドヤ顔キメていたことがある 次に、ベンチャー企業(だったところ)に入ったが、コードは中国人が書いていて、管理ばかりやらされていた 「プログラマ35歳定年説」とかよくわかない言説に踊らされて、プロジェクトマネー

    「ぼくはこうしてプログラミングを覚えられなかった」 - ( ꒪⌓꒪) ゆるよろ日記
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    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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