タグ

softwareと人生に関するraimon49のブックマーク (6)

  • 株式会社 東芝を退職しました

    2009年から新卒&修士卒で約12年勤めていた株式会社 東芝を退職しました。 正確には2021年の9月末には退職していて、10月からは別の会社で働いております。 東芝では様々な方々にお世話になり、色々な経験を積むことができました。ありがとうございました。 やっていたこと ソフトウェア技術センターという研究所の機関でソフトウェアにまつわる色々な研究、開発をずっとやっておりました。雑に括るならソフトウェア工学という分野全般です。あまり公開できる情報は多くはないのですが、ソフトウェアメトリクスの研究、社内のソフトウェア開発環境の整備や、深層学習を使ったバグ検出の研究などをやったりしておりました。 組織としてのサイトはこちらのリンクから確認できます。近年取り組んでいた活動が大体はまとまっていると思います。ここに載っていないものでも、事業部から委託を請けて色々な開発活動も行っている部門となります。

    株式会社 東芝を退職しました
    raimon49
    raimon49 2021/12/31
    >なお昇進を諦めてしまって開発者ポジションに留まるという選択肢もありました、しかしそうした場合ほとんど給料は上がっていかないことになります。 / 悲しい…
  • 私のアリスソフト史1(1987-1988)

    自分の初アリスはタウヒード(まだチャンピオンソフト時代) それ以前の話は貴重です タウヒードは当時としてはシナリオ凝っててボリュームもあって面白かった 初期アリスのゲームがタウヒードの音楽使いまわし多かったので 音楽作る予算ないのかと思っていましたが 予想以上にヤバいチャンピオン時代の状況 良くそこから持ち直すことができたなと アニメやゲームみたいな展開だ 返信削除

    私のアリスソフト史1(1987-1988)
  • 「楽しい・おもしろい」を選び続けた先に今があった GMOペパボ VPofE 兼 技術部長とOSSとの20年間 - Findy Engineer Lab

    皆さん、はじめまして。GMOペパボ株式会社の執行役員 VP of Engineeringと技術部長を兼任している柴田(@hsbt)と申します。私はOSSのプログラマーとして、プログラミング言語Ruby体と周辺ツールの開発にも携わっています。 今回、「私の選択」と題した寄稿の機会をいただいたので、一定規模の組織のエンジニアリングマネージャーのトップ、OSSのプログラマーの一人として普段考えていることをご紹介したいと思います。稿が皆さんのキャリアやソフトウェア開発への取り組みへの一助となれば幸いです。 OSSとの出会い ─ コミュニティと仕事との関わり tDiaryとの出会いがOSSとの関わりを決めた ソフトウェアを届けるために必要なこと Rubyの開発で必要なことを全てやる プロダクトの成長に必要なことは全てやる ソフトウェアを届けることにフォーカスする 技術だけではなくビジネスについて

    「楽しい・おもしろい」を選び続けた先に今があった GMOペパボ VPofE 兼 技術部長とOSSとの20年間 - Findy Engineer Lab
  • 「源ノ角ゴシック」構想は25年前から--“フォント愛”あふれる米アドビ書体チームに聞く

    今やフォトレタッチからビジネス文書の作成、映像制作やDTP、さらにはウェブ制作に至るまで、あらゆるプロフェッショナルシーンに活用できるソフトウェアを提供しているアドビ。それらのソフトウェアに欠かせない、しかしあまり意識することのない要素の1つがフォントではないだろうか。写真の加工やドキュメントの作成時に普段何げなく使っている日語テキストだが、日語をグラフィックとして正しく表現するには、正しくデザインされたフォントが不可欠となる。 そんなフォントの開発を先導してきたアドビのなかでも、初期から関わってきた技術者と責任者が、東京で開催されたフォントの祭典「ATypI」のために来日、誌のインタビューに応じていただいた。米アドビで書体開発チームのシニアマネージャーを務めるダン・ラティガン氏と、同タイプアーキテクトのケン・ランディ氏の2人が、アドビがフォントに力を入れる理由、それぞれがフォント

    「源ノ角ゴシック」構想は25年前から--“フォント愛”あふれる米アドビ書体チームに聞く
    raimon49
    raimon49 2019/09/28
    28年同じ部署でフォントを作り続けている職人が居るアドビ。しょっちゅう組織を再編して仕事した気になっている日本の経営も学ばなければいけない点だ。
  • 僕がソニーに入ったワケと、19年して転職したワケ - gucchiyの日記

    ブログのプロフィールには書いているんですが、僕は1995年から2014年までソニーでソフトウェアのエンジニアしてました。VAIOエンジニアとして、それなりシングルヒットぐらいの実績はありました。詳細はこちら。 僕にとってソニーは人生の中において重要な存在です。辞めちゃったけど。 現在では大分変わりましたが、僕が就職活動をしていた1994年当時、工学部エンジニアは研究室と企業の繋がりによる大学推薦が大前提でした。僕が通っていた東京電機大学工学部情報通信工学科では推薦枠ゼロです。毎年一人ぐらいはソニーの枠があった時期も存在したそうなのですが、あまり評判が良くなかったのかも知れません。しかし、そこはソニー、ヒット・モデル・プロデューサーなる製品化できそうな論文を募集するイベントが開催され、僕はそこで、『ゲームソフトウェア設計におけるオブジェクト指向開発』と言う論文で入賞します。応募数千の中から

    僕がソニーに入ったワケと、19年して転職したワケ - gucchiyの日記
  • 最後によかったなーと思える人生を

    オーストラリアの永住権も取った。会社も興した。結婚も(離婚も)した。そして今、日のためにやりたいことが村上福之さんにはある。 「これだけは絶対書いてね。みんな、ブログを読んでくれてありがとう。タイの募金もありがとうって」――村上福之さんは2011年10月、洪水で被害にあったタイへの義損金を募るエントリーをオルタナティブ・ブログに書いた。主旨に賛同した読者の数406人、3日間で280万円もの義損金が集まった。 経過報告はタイ大使館に義損金を持参した際の受取証や、大使館からの感謝状などの写真とともに行われ、感謝の気持ちを込めて協力者の一覧が掲載された。 村上さんは、アルファブロガー運営委員会が主催する「アルファブロガー・アワード2010」で個人ブログ部門を受賞した村上福之の「ネットとケータイと俺様」を執筆する人気ブロガーであり、Android電子書籍ビューワー「androbook」や個人が

    最後によかったなーと思える人生を
  • 1