敗戦の焼跡の中から日本社会、日本産業の未来のビジョンを描き、「情報化社会」という言葉を発明し、企業の社会貢献である財団活動、フィランソロピー活動の発展に大きく寄与した林雄二郎さんが、11月29日に亡くなられた。95歳の大往生である。 林さんは、絶えず社会の最前線に自分を置き、現場で起きている様々な事象に心を集め、不正義や硬直した組織を嫌い、優しい笑顔で人と接していた。膨大な知識と、独自の経験と思考による知恵は失われたが、彼の想いと意志は、ますます混乱を極めている日本社会において、引き継ぐべき財産だと思う。 林さんは戦争終結の後、戦後の日本社会を再スタートするシンクタンクであった経済安定本部(通称・アンポン)に入り官僚生活を始める。アンポンはやがて経済企画庁になり、1966年、日本の未来の見取り図となる「20年後の豊かな日本への一つのビジョン」(通称「林リポート」)を発行する。このリポートの
入居が始まった「いこっと」。入居者たちは新生活に期待を膨らませる=東京都渋谷区東3丁目、壱田写す 軽度の知的障害のある人と障害のない人が一緒に暮らすことを条件にした「家」が、東京の真ん中に完成した。世話役のスタッフを置かず、住民の支え合いで自立を目指す珍しい試み。障害者の住まいの選択肢を増やし、多様な人がふつうに住む社会を目指したNPO「ぱれっと」(東京都渋谷区)の宿願に、地元企業が一等地を提供した。 家の名は「ぱれっとの家 いこっと」。渋谷区の東部、恵比寿駅から徒歩8分の場所にある。3階建てで、6畳程度の居室が八つ。台所や風呂などの水回りと居間、ダイニングは共有だ。洗濯機や冷蔵庫も備え付けをみんなで使う。今月中旬から知的障害者2人と健常者4人が入居を始めた。ぱれっとの活動に参加する障害者やボランティア、公募に応じた人たちだ。 知的障害のある人向けの共同生活の場としては、これまでもグ
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