たらばー @_Tarabar アニメ、車、自転車、野球好きなスポーツ中年です。 あるいはゲームプログラマー的な何か。 カダッシュ、ガンフロンティア、メタルブラック、X-MEN、マーヴル・スーパーヒーローズ、ストリートファイターEX等。 最近はサーバー屋かな。
『星のカービィ』のグラミー受賞を機に考える「ゲーム音楽とジャズの関係」。前回から少し時間が空いてしまいましたが、今回はゲームの原曲としてジャズがどう用いられてきたのか、その経緯を追いながら、歴史的名盤をピックアップして紹介します。 PSG~FM音源時代のゲームジャズ ゲーム音楽において明確にジャズと分かるものが出てくるのは恐らくナムコ『メトロクロス』あたりが最初で、少しずつ増えてくるのはFM音源時代からです。6~8音の同時発音が可能になったことで、複雑なコードを必要とするジャズがようやく射程に入れやすくなってきたのだと考えられますが、同時代のファミコンにも『アイスクライマー』、『エキサイティングビリヤード』、『人間兵器デッドフォックス』といった果敢なチャレンジャーがいたことを考えるなら、そもそもゲーム音楽がさまざまな音楽ジャンルの吸収に余念のない時代だったともいえそうです。 「メトロクロス
ラグタイム(Ragtime)とは何ですか? 19世紀の末から20世紀初頭にかけて、発展・流行したアメリカ生まれの音楽のことです。広辞苑の第五版には「ラグタイム[ragtime]=十九世紀末にアメリカで起った黒人のピアノ音楽。シンコペーションを多用する黒人的リズム感覚を特色とし、ジャズの一要素となった。」とあります。フリーの百科事典「ウィキペディア」の Ragtime の項も参考になります。 “RAG”とは、英語で「ぼろ・ぼろ切れ」などを意味する言葉ですから、“RAGTIME”は直訳すると「ぼろぼろの時間」といった意味になります。低声部に一定のリズムで和声的な旋律線を作り、それに対してずれた(Ragged)主旋律を高声部に作る、つまり「シンコペーション(Syncopation)」がラグタイムの最大の特徴であるので、このような名前が付けられたのだと推測できます。 様式的な特徴としては、偶数の拍
ムラマツ@StudioZOON @yogoharu5535 マンガ編集者。講談社入社→週マガ→ライバル→ヤンマガ→コミックDAYS立ち上げ→モーニング→2023年よりStudioZOON(サイバーエージェント)。WEBTOONやってます。過去担当作→新旧『食糧人類』『トネガワ』『ハンチョウ』『イチジョウ』『僕の奥さんはちょっと怖い』『平和の国の島崎へ』『アポカリプスの砦』等 note.com/mi_muramatsu ムラマツ@StudioZOON @yogoharu5535 ChatGPTに「ヨーロッパの歴史を西暦1000年から2000年までを20年ごとにキャッチコピーをつけていってください。キャッチコピーは小学生でもわかる笑えるものにしてください」と入れた結果。 「1040年ノルマン人襲来!イングランドがワクワク大変身!」は笑った。今までで一番面白い出力だった。 pic.twitter
1927年頃、米デトロイトのフォード・モーター社の工場内で、自動車のボディの組立ラインで働く男性たち。実業家ヘンリー・フォードは、現代では当たり前になっている週5日勤務制の普及に貢献した。(PHOTOGRAPH BY POPPERFOTO, GETTY IMAGES) 週の最大労働時間を現在の40時間から32時間とする法案が、米国の議会に再提出されたのは3月上旬のこと。週4日勤務制を採用するべきかどうかは、何年もの間、米国の人々の強い関心の的となってきた。 だが、そもそもなぜ週40時間働くことを求められているのだろうか。土曜日と日曜日が聖なる休日とされている理由はなんだろうか。こうした概念が職場の常識となった経緯を紹介しよう。 なぜ週5日働くのか 何世紀もの間、米国の雇用主は週ごとの休みを設けることなく、労働者を長時間働かせていた。しかし19世紀初頭、多くの雇用主が日曜日を休みとすることを
70年代後半~80年代前半のあんな話こんな話を反駁する元大統領ジミー・カーターがホスピスに入って緩和ケアを受けはじめ,遠からず亡くなると予想されている.そこで今日公開する予定だった記事を急遽変更して,カーター(とレーガン)について2021年に書いた記事を再掲する.カーターはぼくが生まれる前に大統領だった人物だけど,「彼が大統領だった時期がいかにひどくて,レーガンによって国の方向がどう修正されたか」っていうすごく明快な物語を聞かさながら,ぼくは育った.で,大人になってからわかったのが,その物語が現実とかけ離れてるってことだった.というか,1970年代の課題の多くは――高インフレ,強すぎる規制,ソビエト連邦の復活といった課題は――カーターによって解決の端緒が開かれている.その一方で,レーガンがとったアプローチは,Uターンというよりもそれまでの継続という性格が強い.この記事を読んで70年代~80
『吾妻鏡』古活字本寛永版・林羅山の跋文 古活字本(こかつじぼん)または古活字版(―はん)とは、文禄より慶安ごろ(16世紀末から17世紀初め)までの間に日本で刊行された活字印刷本の総称である。 概要[編集] 近世後期(18世紀から19世紀前半)に刊行された活字本については「木活字本」などと称して、古活字本とは区別する。また宣教師によってもたらされた西欧式の印刷術・機具による活字本、いわゆるキリシタン版についても、通常は古活字本と区別して考える。内容は多岐にわたるが、活字印刷そのものが早くに廃れたため、現在では稀覯本とされる書物が少なくない。 通説では、1590年代の文禄の役の際に日本軍が朝鮮から略奪した銅版活字によって慶長勅版本が刊行されたのがその嚆矢とされる。以後、国内で仮名文字を含む木製活字が製造されるようになり、和漢にわたる広い分野の書物が刊行された。初期には後陽成天皇による慶長勅版、
野生動物を飼いならし家畜とすることは、地球上、人が住むあらゆる地域で起こった。しかし中央アジアほど長距離の圧倒的な機動力を持つ遊牧を生んだ地域はない。馬とラクダを中心とした大型動物を家畜化し、時代に合わせて様々な形で利用してきたことが、この地域の社会にどのようなインパクトを与えてきたのか。人類史上稀な民族の相克と交流を生み出してきたその生態的特徴を人類学、生態学、遺伝学、歴史学の手法を駆使して明らかにし、今後の牧畜社会の展望を人類救済の道からも探る。人間と動物の関係を動的に捉えなおす総合的な地域論。 (五十音順で掲載、* 印は編者) 新井 才二(あらい さいじ) →第1章 東京大学大学院人文社会系研究科考古学研究室助教。博士(文学)。専門は動物考古学で西アジア・中央アジア諸国をフィールドとする。 主な著作に、「西アジア・中央アジアにおける牧畜のはじまり」(菊地大樹・丸山真史編『家畜の考古学
昔の人は地下に住んでいる大鯰が体を動かすと地震が起こると考えていた。安政二年の江戸大地震の後に出版された錦画には鯰の画が沢山かいてある。「昔の人」と言ったが、地震を鯰のしわざと考えるようになったのは、昔は昔でも大昔ではなさそうである。 静岡県加茂郡松崎のある寺で唐紙を張りかえた時、下張(したばり)に使われていた古い暦が発見された。この暦は建久年間(西暦一一九〇―一一九八)のものだったが、それに「地震の虫」という奇怪な動物が印刷されてあると言う。私はこの画をみたことはない。しかしジョン・ミルンの書いた本に、「大きな地中に住む蜘蛛、すなわち地震虫」と記してあるところから推測すると、多分江戸時代の書物にのっている、得体の知れぬ怪物が日本全国を背負っている画と同じものであろう。これによると鎌倉時代には地震を鯰のしわざと考えていなかったことが分かる。 茨城県鹿島(かしま)神社の境内に要石(かなめいし
フン族を描いた19世紀の歴史画(ヨーハン・ネーポムク・ガイガー画) フン帝国は中央アジアのステップから現代のドイツ、黒海からバルト海にまで広がっていた フン族(フンぞく、Hun)は、4世紀から6世紀にかけて中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民である。ヨーロッパの伝承によれば、彼らはヴォルガ川の東に住んでおり、当時スキタイの一部だった地域で初めて報告された。フン族の到来は、イランの人々、アラン人の西方への移住に関連している[1]。370年までにフン族はヴォルガ川に到着し、430年までにヨーロッパに広大で短命の支配権を確立し、ローマ国境の外に住むゴート族や他の多くのゲルマン民族を征服し、他の多くの民族のローマ領土への逃亡を引き起こした。フン族は、特に彼らのアッティラ王の下で、東ローマ帝国に頻繁に破壊的な襲撃を行った。451年、フン族は西ローマ帝国のガリア州に侵攻し、カタラウヌ
先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。
このテキストは岩崎夏海・稲田豊史の両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 また、これは史観なのだから実際の歴史から離れていてもいいという主張もあるかもしれないが、それは前書きの段階で無理があると言わざるを得ない。 本書は、ゲームの歴史について書いた
16世紀・コラ半島付近の地図の挿絵。ストルグ(ru)(歴史的な木製河川用平底船[1])を運ぶ人々。 17世紀・タギル連水陸路(タギル川(ru))を進むイェルマーク。 ロシア語では連水陸路を「волок / ヴォロク」と呼び [注 1]、「волочить:引きずる」という動詞に由来する。ロシア・ウクライナ・ベラルーシでは、キエフ・ルーシ期(9 - 13世紀)から連水陸路の利用が記録されており、航行可能な二河川間の連水陸路では、物資とともに、船自体を引きずる、あるいは担いでの運搬が行われた[3]。すなわち、中世にはラヂヤー(ru)(中世の船の一種)や丸木舟などの船が、目的の水路まで連水陸路を越えて運ばれていた。また、連水陸路沿いに建設・発展した都市もある(ヴォロコラムスク、ヴイシニー・ヴォロチョーク等)[4]。 連水陸路の多くは、運河、あるいは車両による他の交通手段に切り替えられたが、いくつ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "三正" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年10月) 三正(さんせい)とは、中国戦国時代に唱えられた「中国暦の年始(正月・年界)をどこに置くか」についての3種類の考え方。 概要[編集] 夏正(かせい)・殷正(いんせい)・周正(しゅうせい)の総称であり、夏王朝・殷王朝・周王朝の暦(夏暦・殷暦・周暦)で用いられていた。12ヶ月に十二支を配当した物を「月建」という。春が建寅・建卯・建辰、夏が建巳・建午・建未、秋が建申・建酉・建戌、冬が建亥・建子・建丑の月となる。夏正は建寅月、殷正は建丑月、周正は建子月を正月とした。 月建 子
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く