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学者に関するwerdyのブックマーク (19)

  • 生物多様性の減少も 資源・エネルギー・環境問題か - 空間・計画研究所/An Architect:楽天ブログ

    May 28, 2007 生物多様性の減少も 資源・エネルギー・環境問題か テーマ:ワイン大好き!(30238) カテゴリ:建築・都市・建築家 日経新聞によれば、 6月にドイツで開かれるサミットで議論される 生物多様性に関する議長総括案が5月27日 明らかになったと言う。 サミットの議論は議論として、 地球システムの水と大気の大循環の観点から 少し考えてみたい。 人間・環境系は地球システムの中に開いた系(システム) の一つであり、生物の生態学的システムもまた、 地球システムの中に開いた系である。 そして、地球システムの骨格は、 太陽エネルギーの負のエントロピーで駆動される、 水と大気と大循環システムであり、 その骨格に、生物の生態学的システム (人間・環境系を含む)が、 バクテリアなどを介したり、直接的であったりして、 開いた系として寄生しているのである。 生物の生態学的システムに寄生され

    生物多様性の減少も 資源・エネルギー・環境問題か - 空間・計画研究所/An Architect:楽天ブログ
  • 日本オリエント学会の設立を回顧した「『オリエント』をふりかえって」が面白い|Colorless Green Histories

    オリエント学会の設立の回顧の座談会には、同学会の初代会長が三笠宮崇仁親王であったということもあり、普通の学者の思い出語りとは一風変わった面白さがある。 学者の思い出語り 年配の学者が昔の学会活動を回顧するために、昔の様子をまとめた随筆を学会誌に載せたり、思い出を語る座談会を開いたりするということがある。そして、学術以外の世界と同様に、こうした年配の方々は「おれも昔は無茶をやったなぁ」といったことを書いたり語ったりすることが少なくない 。例えば、日アフリカ学会の回顧座談会では、アフリカに研究しに行くために、昔は捕鯨船に乗せて連れて行ってもらったといった「武勇伝」が語られていたりする [1] 。 こうしたものを面白い昔話として捉えるのか、単なる年寄りの繰り言として捉えるのかは人によって評価が分かれるところだろうが、ともかく、昔のことを知らせようとする人はそれなりにいる。 日オリエント学

  • 林達夫 - Wikipedia

    林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日の思想家、評論家。 西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。 経歴[編集] 1896年、東京生まれ。父曾登吉は外交官で、アメリカ・シアトル領事館赴任に伴い2歳から6歳までシアトルで過ごした。1902年に帰国。1904年、父のインド・ボンベイ領事館赴任に伴い福井市の親戚に預けられる。 1908年、両親が帰国、同年福井県立師範学校附属小学校に転入学したときは、当時は稀な帰国子女で外人姿の変な子供と見られ、相当ないじめを受けた。やがて京都市立錦林小学校に転校、1911年、京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)に進んだが、芝居や音楽に熱中して1916年に入学した第一高等学校第一部丙類を中退。一高時代の同級生に東洋哲学研究で名を成した安岡正篤[注釈 1]や作家の芹沢光治良がいる[注釈 2]。

  • アメリカ子連れ留学奮闘記

    心に芽生えたもやもや 結婚しささやかな新居で生活するようになってまだほんの数日のある日、私は台所でサラダを作っていた。一方、夫は居間で新聞を広げて、くつろいでいた。絵に描いたように平和な、日曜日の午後だった。私の脳裏にもやもやとした疑問、割りきれなさが起こったのはそんな時であった。 「質実剛健」「良賢母」「やまと撫子」という言葉にあこがれ、結婚したら、仕事に行く夫を三つ指ついて送り出し、外で7人の敵と戦う夫のために、立派に家を守るのが当たり前と教えられて来た。若気の至りとは言え、愛する人といっしょにいられるならば、大学卒業後、始めたばかりの名門私立校の英語教師としての仕事を捨てるのも全く苦にならなかった。 疑問は単純であった。「大学時代は同じクラスで机を並べて勉強していた私達が、どうして今、私は忙しく事の支度をしていて、夫はソファーにのんびりと座って、新聞を読んでいるのだろう?」 そし

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    werdy 2014/07/08
  • 笠松宏至 - Wikipedia

    笠松 宏至(かさまつ ひろし、1931年8月8日 - )は、日歴史学者。専門は日中世史。東京大学名誉教授。中世法の研究の権威である。 略歴[編集] 1955年3月東京大学文学部国史学科卒業。1957年3月東京大学大学院人文科学系国史学専攻修士課程修了。 1962年4月東京大学史料編纂所助手。その後助教授・教授を経て1992年3月に定年退職して東京大学名誉教授になる。その後、神奈川大学歴史民俗資料学研究科教授を歴任。 東大時代は佐藤進一に師事、資料の厳密な解釈を学ぶ。 著書[編集] 『日中世法史論』(東京大学出版会、1979年) 『徳政令 中世の法と慣習』(岩波新書 黄版、1983年/講談社学術文庫、2022年) 『法と言葉の中世史』(平凡社選書、1984年/平凡社ライブラリー、1993年) 『中世人との対話』(東京大学出版会、1997年) 共著[編集] (網野善彦・石井進・勝俣鎭夫

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    werdy 2013/12/27
  • Kan Kimura from Kobe, Japan (@kankimura) | Twitter

    と言うことで、こちら「も」私のアカウントです。なお、ここに書かれている意見等は、所属先等とは無関係ですので、ご理解を。

    Kan Kimura from Kobe, Japan (@kankimura) | Twitter
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    werdy 2013/06/05
  • 47NEWS(よんななニュース)

    ネットにあふれるクルド人ヘイトの異常さ 差別される側の視点に立ってみたことありますか?「一部の問題で全体を判断しないで」

    47NEWS(よんななニュース)
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    werdy 2013/06/05
  • 栄原永遠男 - Wikipedia

    栄原 永遠男(さかえはら とわお、1946年10月25日[1] - )は、日の日古代史学者。学位は、博士(文学)(京都大学・論文博士・1993年)(学位論文「奈良時代流通経済史の研究」)。大阪市立大学名誉教授。大阪歴史博物館名誉館長[2]。 経歴[編集] 東京に生まれ、まもなく大阪に移る[2]。1969年京都大学文学部を卒業し、[2]1974年同大学院文学研究科単位取得退学[2]。1975年追手門学院大学講師、助教授をへて、1981年大阪市立大学大学院文学研究科助教授[2]。1993年「奈良時代流通経済史の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得、第16回角川源義賞(国史学部門)を受賞[2]。1994年同大学文学部教授[2]、2001年同大学文学研究科をへて2005年、2006年には同大学の文学研究科長・文学部長を務めた[2]。2010年大阪市大定年、特任教授・名誉教授[2]。20

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    werdy 2013/05/31
  • 内藤湖南「応仁の乱について」1921(大正10)年8月 - 本に溺れたい

    私は人間である。ゆえに人間にかかわることで私に無縁なことは一つとしてない。 homo sum; humani nihil a me alienum puto. (Terentius, Heauton Timorumenos, 163 BC) 大體今日の日を知る爲に日歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸れた歴史であつて、これを當に知つて居れば、それで日歴史は十分だと言つていゝのであります、さういふ大きな時代でありますので、それに就て私の感じたいろ/\な事を言つて見たいと思ひます。(講談社版p.64) この断定の意外さ、小気味よさ、が一万六千余字(原稿用紙40枚)ほどのこの掌編を名エッセイとさせてきている。通勤電車

    内藤湖南「応仁の乱について」1921(大正10)年8月 - 本に溺れたい
  • 樋口清之 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "樋口清之" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年8月) 樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は、日の考古学者・歴史作家。國學院大學名誉教授、國學院大學考古学資料館名誉館長、國學院大學栃木短期大学名誉学長、全日博物館学会名誉会長。文学博士。専門は考古学・民俗学。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 人物[編集] 奈良県桜井市生まれ[1]。先祖は、織田長益(有楽斎)に発する旧家である[1]。旧制奈良県立畝傍中学校在学中に、学術誌に十数篇の論考を投稿していた[1]。1927年、鳥居龍蔵

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    werdy 2012/12/27
  • 渡部昇一com

    地政学とリアリズムの視点から日の情報・戦略を考える|アメリカ通信 国際情勢の中で、日のとるべき方向性を考えます。地政学、リアリズム、プロパカンダの観点から、日の真の独立のためのヒントとなる情報を発信してゆきます。

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    werdy 2012/12/27
  • 日本をダメにした“B層”ってなんのこと? (週プレNEWS) - Yahoo!ニュース

    「B層はものを知らないだけではなくて、歴史や社会に対する姿勢、伝統的なものの扱い方がおかしい」と語る適菜氏 売れ行き好調、書店でも大きく取り上げられている『日をダメにしたB層の研究』。テーマは現代版“大衆批判”。B層とは、いったいなんのことなのか? 著者の適菜収氏に聞いた。 *** 「B層という言葉は、広告会社が作った言葉です。2006年の小泉郵政選挙の前に、自民党がスリードという広告会社に『メディアを使って選挙戦をどう戦うべきか』という分析をさせたんですね。そのときの企画書では国民がA層、B層、C層、D層に分類されています。B層とは、『マスコミ報道に流されやすい、比較的IQが低い人たち』で、『具体的なことはわからないが小泉純一郎を支持する層』のこと。広告会社は、彼らをターゲットに選挙戦を戦うべきだと分析しました」 ―このB層が日をダメにしたと? 「問題は選挙だけじゃないんです

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    werdy 2012/12/06
  • 沖縄タイムス | 県出身研究者ら「琉球独立学会」設立へ

    県出身研究者ら「琉球独立学会」設立へ Tweet 日平和学会の研究集会で、「琉球独立総合研究学会」の設立方針を発表した松島教授(左)と友知准教授(右)=23日、三重県津市・県総合文化センター [画像を拡大] 社会 2012年11月25日 10時05分(11時間43分前に更新) 沖縄の基地負担をなくして平和を実現するために、日からの独立を追求しようと、大学教員ら県出身者が来年4月に「琉球独立総合研究学会」を新設することが分かった。松島泰勝・龍谷大学教授(49)と友知政樹・沖縄国際大学准教授(39)が23日、三重県津市で開かれた日平和学会の集会で初めて発表した。2人は「独立を目指すことを前提に、円滑な達成方法や世界の事例を研究して実践につなげたい」と話す。 すでに今月8日、発起人5人で準備会を立ち上げた。会合を重ね、来春までに学会の規約をまとめる。発起人の年齢は26~49歳と若く、ウチナ

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    werdy 2012/11/25
  • 落第研究者の博士号取得物語

    文中に登場する人物は、極力匿名にしてあります。もちろん読者の皆さんがその気になって調べれば簡単に判明することですが、論旨に直接関係しない個人名は不特定多数向けのWebページ上ではなるべく大っぴらにしないほうがいいという考えに基づきます。 1.はじめに 研究者にとって、博士号は「足の裏の飯粒」と言われる。「取らないと気持ち悪いが取ってもえない」 誰だか知らないが上手いことを言ったものだと感心する。稿ではその飯粒について、私の経験を中心に綴ってみたいと思う。 博士号の取得に関する一般的な参考書・手引き書の類を書くことは難しい。たとえ工学系に限ったとしても、専門分野によっても、学位を申請する大学によっても、主査をしていただく先生によっても、基準・考え方・やり方は千差万別であり、一般論としてはほとんど何も言えないからである。それでも課程博士の取得については、Web上などにいくつか参考になる文

  • Osamu TAKIZAWA's Official WWW Page (Japanese)

    仕事など 全般 略歴 ReaD & Researchmapにおける紹介 研究発表リスト(2002年2月まで) 学位論文 コンテンツセキュリティ関連 研究紹介(コンテンツセキュリティ関連) 非常時防災通信関連 トピックス(非常時防災通信関連) CRL/NICTニュース執筆記事 非常時通信+無線+IP=外部連携(2002年12月号) ICTを「減災」に活かす(2004年11月号) 災害時の情報収集に役立つICT(2009年4月号) 災害時の輻輳現象を抑制する通信ネットワーク(ネイチャーインタフェース誌2003年10月,PDF) 大都市大震災軽減化特別プロジェクト 阪神淡路大震災における情報発信活動 稚内地域実験研究ネットワーク 防災・減災基盤技術研究プロジェクト(2006~2011年)報告書(情報通信研究機構季報2011年3/6月合併号,PDF) ライフワーク(?!) コンピュータによる駄洒落

    werdy
    werdy 2012/10/10
  • 大場昌也ホームページ

    6品詞と4つのブロックを設定した英文法教材として『学習英文法2004』の全文を掲載。

  • 岡田英弘 - Wikipedia

    岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年(昭和6年)1月24日[1] - 2017年(平成29年)5月25日)は、日の東洋史学者。東京外国語大学名誉教授。東洋文庫専任研究員。専攻は満洲史・モンゴル史であるが、中国・日史論についての研究・著作もある。 経歴[編集] 1931年(昭和6年)、東京市郷区(現・東京都文京区)曙町に生まれた[2]。戦時下の1943年、旧制暁星中学校入学[3]。1946年、旧制成蹊高等学校尋常科へ転入[3]。 1947年、 旧制成蹊高等学校高等科理科乙類入学[3]。1950年、旧制成蹊高等学校高等科理科乙類を卒業した[3]。1953年、東京大学文学部東洋史学科を卒業[3]。その後は同大学大学院に進み、1958年 東京大学大学院博士課程を満期退学した[3]。 1959年から1961年まで、フルブライト奨学金を得てアメリカ合衆国シアトル市に所在するワシントン大学に留

    岡田英弘 - Wikipedia
  • 山崎正和の「ブログ・ツイッター」論」をめぐって。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    かつて「山崎正和」という地味な評論家がいた。劇作家という肩書も使っていたようであるが、劇作家とは名ばかりで、『世阿弥』という作品が目立つ程度で、実質的には何も活動していないに等しい自称・劇作家だった。また文藝評論家としてもそれなりに活躍していたが、同世代の江藤淳や吉隆明、秋山駿、柄谷行人等の影に隠れて、その存在感は薄く、『闘う家長ー鴎外論』という作品が目につく程度で、さほど活躍していたわけではない。しかし、一方では、京大系文化人としての山崎正和は、『不機嫌の時代』や『柔らかな個人主義の誕生』などに代表されるような文化・文明評論家として、ないしは大阪大学教授として、マスコミ、ジャーナリズム、論壇で、いっぱしの「一流文化人」という役割を演じていたように思われる。僕も、『闘う家長ー鴎外論』や『反体制の条件』などという書物は、それなりに熱心に読んだものである。しかし、僕には、山崎正和の書くものは

    山崎正和の「ブログ・ツイッター」論」をめぐって。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
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    werdy 2012/02/15
  • 動物倫理はカニバリズムを認めるか ――人間と動物をめぐる諸問題/社会:オピニオン:教育�WASEDA ONLINE

    動物倫理はカニバリズムを認めるか ――人間と動物をめぐる諸問題 浜野 喬士/早稲田大学文学学術院助教 「有感性」と「種差別」 アメリカの倫理学者マーサ・ヌスバウムの言葉を借りれば、動物と人間の関係という問題は、今日まさに「正義のフロンティア」に位置している。近代以降人間においては、国籍、人種、性別、性愛、宗教を問わず、人間というだけで認められるに至った―――「開拓」された―――権利というものを、動物という「未開拓地」へと拡張してよいのか、それが問われる「フロンティア」なのである。捕鯨、イルカ漁、闘牛、動物実験、殺処分、ペット、集約的工場畜産、サーカス、動物園等々、これらをめぐる論争の背景となっているのは、こうした問題である。 現代の動物倫理学にとって争点は「種」ではない。「有感性」という概念である。代表的な動物倫理学者ピーター・シンガーが、一九世紀の哲学者ベンサムの功利主義を念頭に導入した

    動物倫理はカニバリズムを認めるか ――人間と動物をめぐる諸問題/社会:オピニオン:教育�WASEDA ONLINE
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    werdy 2012/02/13
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