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作家に関するwerdyのブックマーク (50)

  • 執筆37年 「昭和の庶民史」の先に|NHK

    「やっぱり庶民を書くしかないですよ。どぶ板をはいつくばって生きる人間じゃないと見えないものってあると思いますから」 小説家・宮輝さん(71)は、インタビューの最後に、静かに確信に満ちた口調でそう語った。 『泥の河』や『螢川』、『錦繍』、『青が散る』などの小説で知られる、日屈指のストーリーテラー。 その宮さんが実に37年もの歳月をかけて書き続けてきた『流転の海』シリーズが、10月末に刊行された最終巻で完結を迎えた。 描いたのは、戦後の復興から高度経済成長へと進む、日の激動の20年。その時代に生きた“無名の人々”の営みを、宮さん自身の家族をモデルに描く、自伝的大河小説だ。 半生をかけた大作を書き終えた小説家が語ることとは。その思いにインタビューで迫った。 執筆37年ですから、書き終える瞬間はきっと手が震えて、キーボードも打てなくなると思っていたんです。でも、最後の5行を書いて、丸を打

    執筆37年 「昭和の庶民史」の先に|NHK
    werdy
    werdy 2022/04/02
    “宮本輝”
  • 井伏鱒二と「サヨナラだけが人生だ」(勧酒)

    ★ 書き下し文について 極く一般的な書き下し文を載せた。ネット検索すると、微妙に異なる文も見受ける。 例えば、「花発多風雨」は、「花発(ひら)いて」が相当数あり、 「人生足別離」は、「人 生きては 別離足(み)つ」や「別離足(おお)し」がある。 ★ 和訳(直訳)について 定型的な訳が見当たらなかったので、ネット上の多くの訳を、私が直訳的に編集した。 ★ 詩の意味(捉え方)・・ “惜別” 派 or “一期一会” 派 ? この詩の捉え方は二通りある。 「別れの時が来たので その別れを惜しむ」  と捉える いわば “惜別” 派 か、「人生に別れはつきもの、いつ何時別れが来るか判らない。 今、この時をこそ大事にしよう」 と捉える いわば “一期一会” 派 か、である。 いずれにしろ、この詩の主題は「別離」にあり、仏教でいう「会者定離」に通じている。 それをどう捉えるか、受け止めるかは 各人それぞれ

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    werdy 2022/02/25
    “幸福が遠すぎたら”
  • 三島由紀夫は死ぬ日時も決めていた? 横尾忠則「お見事というしかない」〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

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    werdy 2021/12/13
  • “100歳”瀬戸内寂聴 横尾忠則に“相手にもされなかった”話を思い出す | AERA dot. (アエラドット)

    瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供) 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 【横尾忠則さんの写真はこちら】 *  *  * ■横尾忠則「孫の説教『ジャカマシイ!』と無視を」 セトウチさん 前回の手紙で「呆(ぼ)けた」ご自分を想定して上手(うま)いこと逃げちゃいましたが、僕はセトウチさんのこと、おっしゃ

    “100歳”瀬戸内寂聴 横尾忠則に“相手にもされなかった”話を思い出す | AERA dot. (アエラドット)
  • 28歳市職員「病気休職」中に小説4冊を出版…印税など320万円、停職6か月の懲戒処分

    【読売新聞】 神奈川県平塚市は20日、病気休職中に市の許可を得ずに小説を書いて報酬を得ていたとして、市長部局の男性主事(28)を停職6か月の懲戒処分にした。男性主事は同日、依願退職した。 市職員課によると、男性主事は2019年7月か

    28歳市職員「病気休職」中に小説4冊を出版…印税など320万円、停職6か月の懲戒処分
  • 早川書房の編集さん「筒井康隆さんの復刊作業中、校閲さんから30箇所くらい「不謹慎では...?」と指摘が入ったのを、頷きながら全部そのまま通しました」

    溝ロカ丸 @marumizog ハヤカワ文庫JAの1500番記念企画で筒井康隆さんの某書復刊を担当しているのですが、校閲さんからゲラに30箇所くらい「不謹慎では?」という指摘が入ったのを、そうですね……当にそう……と頷きながら全部そのまま通すという作業が発生している 2021-09-27 13:08:53

    早川書房の編集さん「筒井康隆さんの復刊作業中、校閲さんから30箇所くらい「不謹慎では...?」と指摘が入ったのを、頷きながら全部そのまま通しました」
  • 韓国人への差別発言で大炎上した私が、心から反省するように一変した「当事者からのひと言」 - ライブドアニュース

    2021年8月6日 15時15分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 過去に人への差別発言で炎上したことがあるという氏 ある日、在日人である金村義明氏から「友達やん」と言われたそう その言葉で反省するようになり、なんとか挽回したいと思ったという 東京オリンピックの開会式をめぐっては、演出チームの不祥事が次々と明るみに出て、今年だけで3人が辞任や解任に至った。作家のさんは「私も2年前に、人への差別発言で炎上したことがある。当時は非難する人たちを逆恨みすることもあったが、あるひと言をいただいて、心底反省するようになった。ときには手を差し伸べることも重要だと思う」という――。写真=iStock.com/kieferpix※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix■開幕式関係者の辞任劇を見て思ったこと東京オリンピック開会式にまつわる一連

    韓国人への差別発言で大炎上した私が、心から反省するように一変した「当事者からのひと言」 - ライブドアニュース
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    werdy 2021/08/07
  • 田辺聖子さんの学生時代の日記見つかる 終戦の日の心境克明に | NHKニュース

    人生の機微を軽妙に語る小説やエッセーなどを数多く残し、おととし91歳で亡くなった作家の田辺聖子さんが、終戦の日を迎えた心境などを克明につづった学生時代の日記が見つかりました。「軍国少女」の一面がうかがえる一方で、戦争に振り回される境遇に対する率直な思いも記されています。 戦後、長年にわたって作家活動を続け、文化勲章を受章した田辺聖子さんは、人生の機微を軽妙に語る小説や、辛辣(しんらつ)な批評をユーモアあふれる大阪弁で語ったエッセーなどを数多く発表して人気を集めましたが、おととし6月、91歳で亡くなりました。 日記は兵庫県伊丹市の田辺さんの自宅で見つかり、10代の後半、当時の樟蔭女子専門学校に通っていた昭和20年4月から昭和22年3月にかけての出来事などが1冊のノートにつづられています。

    田辺聖子さんの学生時代の日記見つかる 終戦の日の心境克明に | NHKニュース
  • 「体を鍛えるきっかけは私」美輪明宏語る三島由紀夫との思い出 | 女性自身

    今年、生誕90周年を迎えた三島由紀夫。彼に懇願されて美輪明宏さんが主演した舞台『黒蜥蜴』。47年前の初演は大好評を博し、以後再演を重ねてきたが、ついに今春、ファイナル公演を迎えた。この名舞台の“生みの親”でもある三島との知られざる交流を美輪さんが語る――。 ボディビルで、体を気で鍛えるきっかけも私でした。 昭和30年ごろだったと思います。新宿に映画界、財界、野球選手らが集まるクラブがあって、そこで三島さんと2人でダンスをしたんです。当時は肩にがっちりパッドが入った背広が主流で、踊りながら「どこもかしこもパッド、パッド、パッド。三島さんがいなくなっちゃった。パッドだらけね」って言ったら、急に顔色が変わり「俺は不愉快だ。帰る!」と怒って、お金も払わないで帰られたんです。その瞬間、私は「しまった!いちばん言っちゃいけないことを言ってしまった」と……。以来、音信も途絶えました。 三島さんは幼少の

    「体を鍛えるきっかけは私」美輪明宏語る三島由紀夫との思い出 | 女性自身
  • 「上杉謙信は女性」という設定が拡散し続ける理由 謙信越山:第28回「人間・上杉謙信③」 | JBpress (ジェイビープレス)

    講演後に全校生徒からの質疑に応答する時間があった。質問の挙手が重ねられ、応答を繰り返すうち、親しみやすいと思ってくれたらしく、お堅い先生には聞きにくい「生涯独身だった謙信は、実は女性だったという説がありますが、先生はどうお考えですか?」という質問を頂戴した。 なんの準備もしていなかったが、ふだん自分が考えていることを応答させてもらった。そのときの内容をここでも披露しようと思う。 たぶん学生だけでなく、普通の社会人のなかにも「あの説はどこまで根拠があるのだろう?」と思っている方が多くいると思うからだ。 女性説を唱えた八切止夫 謙信は女性だったと唱えたのは、八切止夫という作家である。その発表媒体は、小説作品『上杉謙信は女人だった』であった。八切はいくつもの史料と伝承を引きながら描いていたので、当かもしれないと思う人もいたようだ。八切が天才だったのは、司馬遼太郎のように「あれで描いた社会風景は

    「上杉謙信は女性」という設定が拡散し続ける理由 謙信越山:第28回「人間・上杉謙信③」 | JBpress (ジェイビープレス)
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    werdy 2020/10/07
    “八切止夫”
  • 山田風太郎 - Wikipedia

    山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日小説家。名は山田 誠也(やまだ せいや)[1]。戦後日を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業[1]、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された[2]。 筆名[編集] 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する[3][4]。当初は「かぜたろう」と読ませた

    山田風太郎 - Wikipedia
  • 有名なのに誰も知らない。ミステリーの女王・山村美紗の凄絶人生 - まぐまぐニュース!

    が飛ぶように売れた」。かつて日には、そんな時代がありました。そして書籍がもっとも売れたと記録される1996年に亡くなったベストセラー作家がいます。それが「ミステリーの女王」こと山村美紗(やまむらみさ)。東京の一流ホテルで執筆中に死亡。戦死・殉職とも呼べる凄絶な最期を遂げたのです。 山村美紗の名を誰しも一度は耳や目にした経験があるでしょう。200冊以上の著書は、ほとんどがベストセラー化。「山村美紗サスペンス」と冠がついたドラマは死後24年が過ぎた今なお揺るぎない人気を誇ります。凶悪事件が起きる舞台の大半は京都。「京都には山村美紗が人を殺さなかった場所はない」とまで言われています。 ▲夫の山村巍氏が描いた山村美紗の肖像油画。タイトルは「殺人事件」 しかし、膨大な量の小説を書き遺した山村美紗ですが、正体を知る者は少ない。ゆえに「他の作家が京都を舞台にミステリーを書くことを許さなかった」「担

    有名なのに誰も知らない。ミステリーの女王・山村美紗の凄絶人生 - まぐまぐニュース!
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    werdy 2020/08/03
  • 漫画家ヤマザキマリ 恋人養い餓死寸前、その後の結婚も…ウソみたいな本当の話 | AERA dot. (アエラドット)

    ヤマザキマリさん(左)と林真理子さん(撮影/写真部・掛祥葉子) ヤマザキマリ/1967年、東京都生まれ。北海道育ち。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの美術学校で油絵と美術史を学ぶ。その後、イタリア人の比較文学研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカで生活。現在は日とイタリアを行き来しながら暮らす。2010年、古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』で手塚治虫文化賞短編賞とマンガ大賞を受賞。16年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年、イタリア文化を広めた功績などにより、イタリア共和国から功労勲章コンメンダトーレを授与された。現在連載中の作品に「オリンピア・キュクロス」(「グランドジャンプ」)、「リ・アルティジャーニ」(「芸術新潮」)など。(撮影/写真部・掛祥葉子) 波瀾万丈の人生を意気揚々と生きる漫画家、ヤマザキマリさんが作家・林真理子さんと初対談。「自分でもウソを

    漫画家ヤマザキマリ 恋人養い餓死寸前、その後の結婚も…ウソみたいな本当の話 | AERA dot. (アエラドット)
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    werdy 2020/06/26
  • 嗜好と文化 - 毎日新聞

    部屋のカーテンはすべて閉めきって日の光をシャットアウト。床には所狭しと、石柱のように一見雑然と書物が積み上げられて、足の踏み場もない状態。ちょっと不気味な絵が何枚か壁にかかり、あちこちに大小の髑髏(どくろ)のオブジェがさりげなく置かれている。作家、折原一さん(66)の仕事部屋に足を踏み入れた瞬間、得意の密室殺人の現場に使われるのかと背中がぞくっとした……というのは大げさだが、何となく天井から男がのぞいているような?どんよりと重たい空気の中でインタビューは始まった。

    嗜好と文化 - 毎日新聞
  • 「日本語の揚げ足をとる」作家、円城塔の本気の「ことば遊び」

  • 【直木賞会見】姫野カオルコさん「ベストジャージスト賞作家、と」+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    直木賞を受賞した姫野カオルコさん。ジャージ姿で記者会見。終了後、カメラマンにポーズをとった =16日午後、東京都千代田区の帝国ホテル(鴨川一也撮影) 直木賞の受賞が決まった姫野カオルコさん(55)は16日、緑色のポロシャツに上下濃紺のトレーニングウエア姿で、青いタオルを首に巻いて記者会見場へ。マラソン大会でゴールした後のように、カメラに向かって手を振ったり、Vサインを送ったりして喜びを表した。 --なぜそのような姿で 「トレーニングジムにいてエアロビクスのレッスンを受ける前に、ストレッチをしていました。ドライアイで、目薬を忘れたことに気づき外に出たら、電話が鳴りました。ベストジーニスト賞にあこがれているんですが、あれは有名な方のもの。ベストジャージスト賞を自分でもらっておこうと」 --これまで4回候補になり、“前夜祭作家”と自称していた。今後は何と 「ベストジャージスト賞作家、と」 --『

    【直木賞会見】姫野カオルコさん「ベストジャージスト賞作家、と」+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
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    werdy 2014/05/09
  • 三浦しをん批判

    田中幸一(アレクセイ) 最近の三浦しをんには、危惧をいだいていた。とても好ましくない方向に進んでいるという確信が、私にはあったからだ。 たしかに、最新の長編小説『私が語りはじめた彼は』(新潮社)は、たいへん評判が良く、直木賞の候補にもその名があがりかけたそうで、私もその作家的技量 の急成長ぶりを認めるのに吝かではない。だが、もっと根源的なところで、三浦しをんはダメになりかけているという危機認識が、私にはハッキリとあった。だから、『私が語りはじめた彼は』を読んだ直後から、私は私なりの「三浦しをん批判」を書かなければならないと考えはじめた。にわかに世評が高まりだした今こそが、善かれ悪しかれ最大の転機となりうるし、今しかないと考えたからだ。その認識は、最新エッセイ集『乙女なげやり』(太田出版)でさらに強まり、『IN・POCKET』誌 2004年8月号(講談社)に掲載された作家インタビュー「三浦

  • Michio Tsuduki

  • なだいなだ氏死去、鋭い文明考察とユーモア : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    精神科医の体験に裏打ちされたユニークな文筆活動で知られた作家、なだいなだ(名・堀内秀=ほりうち・しげる)さんが亡くなっていたことが8日分かった。 83歳だった。 慶応大医学部卒。フランス留学後、同大病院などに勤務。その一方、同人雑誌「文芸首都」に加わり、「海」などで6度、芥川賞候補になった。スペイン語で「無と無」を意味する「なだいなだ」のペンネームで小説、エッセー、批評などを発表。鋭い文明考察とユーモアあふれる文章で、幅広い執筆活動を続けた。作家で精神科医の北杜夫さんとの親交も深く、医師としては、日アルコール依存症研究の先駆者だった。 1969年、「娘の学校」で婦人公論読者賞。70年、「お医者さん」で毎日出版文化賞。フランス人のとの間に生まれた娘たちに人生を語りかけた「パパのおくりもの」や「人間、この非人間的なもの」「権威と権力」「老人党宣言」など多数の著書がある。

  • 魔女の宅急便|みんなの人気者|福音館書店

    お母さんは魔女、お父さんは普通の人、二人の間に生まれたキキは、魔女として生きていくと決心し、13歳の満月の夜にひとり立ちの旅に出ます。たった一つ使える魔法、ほうきで空を飛べるということを活かして、空飛ぶ「宅急便屋さん」を始めたキキは、パン屋のおかみさんのおソノさん、不思議な事が大好きな男の子とんぼさんなど、さまざまな人と出会いながら、魔女として、人間として、少しずつ成長していきます。 キキという名の魔女は、小さな少女のかいた落書きから生まれました。その落書きの魔女はほうきにのり、柄にラジオをさげてとんでいたのです。ほうきの房の一部は三つ編みになっていて、ラジオのまわりには音符がとびはねていました。 「可愛い。音楽聞きながら族の魔女なんて、今てき!」 そう思った角野さんは、その小さな魔女を「キキ」と名付け、第一作目「魔女の宅急便」が誕生したのです。

    魔女の宅急便|みんなの人気者|福音館書店