悲しいかな。努力はすべきだと思うし、過程が無駄だとは思えないけれど、その人間性において立脚すべき点があまりに違うと、表面上の納得は可能かも知れないけれど、心底分かり合うってのは難しいと思う。 いろんな議論を見てきて、不毛かなって思うのは、その譲れない一線的な部分があまりに程度が低い、と言うと上から目線みたいだけど、それ大事じゃないだろ、と言うところに固執して絶対にそこだけは譲らないというような論理を(表面上はそう見えないように)まくし立てる、と言うあたり。底意地の悪い、誘導的尋問をするような人たちにどうもそういう傾向が見られるような印象はある。 僕は嘘を吐くことになっても、あるいは考えをころころ変えるような軽薄な人に見られても良いからそういう頑迷さとは無縁でいたいと思っている。けれども、僕が大事に思って譲らない何かも人から見たら頑迷さの象徴なのかも知れない。難しい。程度の低いものだからこそ