asahi.com:朝日新聞のニュースサイト「人が窒息して苦しむ姿に性的興奮を覚える」…こういう嗜好(記事では「性癖」と書かれている。一種の性的嗜好ではあるか)を現実化されると確かに困るし、3人も殺しているし、殺された人たちは気の毒だと思う。でも「再犯を防ぐためにも極刑をもって臨むほかない」って結論は… 現実化してはいけないような性的嗜好を持つがそれを現実化せずにすんでいる人も世の中いると思うのだが(この人だって事件を起こすまでは抑えることができてたわけで)、何かこの被告には更生のための指導や教育(性癖自体はどうしようもなくても現実化しないようにできればいいと思うんだが)を受けつけない、そのための指導をすることは物理的に不可能と判断されるような何かがあったのだろうか。そうではなく(もちろん自分勝手な理由で3人殺したという理由がいちばん大きいのだろうけど)「特異な性癖」だから更生させようがな
ある日、自他共に認めるオタクな知り合いと雑談をしていて、私が「まー俺はオタクというには程遠い感じだけど」てなコトを言ったら、知り合いに「何言ってるの、どう見てもオタクじゃん」みたいなコトを言われて。そうかなぁ。自分ではただのミーハーだと思ってるんだけども・・・。 で、後日またその知り合いと雑談(確かガンダム系の話)していたら、今度は「オタクと言うにはまだまだだね」みたいなコトを言われたりして。結局、オタ認定したいのかしたくないのかどっちなんだ!?・・・ふと知り合いの内心を想像するに、「オタク方面の話題に興味がある人間が一般人面するのが気に入らない」という気持ちと、「オタク方面の知識レベルでは他人に勝っていないと気が済まない」という気持ちが同居してんのかなぁ、とか思った。 私が自分をオタクだと思わない理由ってのは、知識や興味に対する掘り下げが浅く適当に話題を食い散らかしているだけ、という自覚
私は自分がほとんど本を読まない人なのに、本をよく読む人が好きだったりします。女性は特にですが、男であっても同じです。 本なんて、ただでさえ読まないのに、読んだ本が外れだったら目も当てられないので、本をよく読んでいそうな人に「お薦めの本って何?」とか聞いてしまいます。 これがこうじて、どんな相手に対しても会話に困ると「どういう本を読むの?」と聞いてしまうクセがついた時期がありました。 これ、けっこう罠が潜んでいます。 「私は、あのね、知ってるかな? 『太陽の法』ってあるんだけど」 「えーーーーーーっ!?」 時遅しです。エルカンターレ。七次元。それはたぶん菅原洋一も知りたくなかったと思う。 私の高校入試の際、私は品行包茎で真面目な生徒だったので、学校推薦入試という特待生枠に、中学校から一名だけ推薦してもらえるという特別枠の入試で受験しました。 主要五科目と面接と小論文の試験があり、テストと小論
「琥珀色の戯言 - ルーブル・アブダビ/ものわかりが良すぎる「はてなユーザー」たち」を読んで。 記事の本題とはちょっとずれた部分かもしれませんが、気になったので。 同じことが無名ブログで書かれていたら、こんなにブックマークしないだろうに。 同じことを書いても、有名ブログの記事だとわんさかとブックマークがついて、無名ブログだとブックマークはつかない。 これって、単に有名ブログは読みに来ているブックマーカーの数が多く、無名ブログは少ないってのが、分かりやすく現れただけなんじゃないかなぁ、と思ってたんですが。 というのも、私がどこかのブログで書かれていた記事をブックマークするかどうかの基準は、記事の内容で決めていて、それを誰が書いたか、ってのはほとんど考慮しないから。 はてなブックマークや他のソーシャルブックマーク系サービスを使っている人がブックマークするときの理由って、記事の内容以外にも、それ
http://anond.hatelabo.jp/20070302015833 を書いたものですが、d:id:b_say_soさんのところに飛び火(?)したようで、すみませんというかありがとうございますというか。 あと、ブクマコメント見て思い出したのですが、「ミソジニー」ではなくて「ミサンドリー」でしたね。 (横道にそれますが、本来ミサンドリーという言葉は「人間嫌い」をさし、「女性嫌悪」の反意語として「男性嫌悪」をさす言葉というのは存在しないと聞いたことが有ります。それ自体が社会に根付くミソジニーを示しているとも。女は本来堕落を誘う存在であるとされていたため、(この言語が出来た時代の)社会≒男の中で嫌われるのが当然であり、それゆえにミサンドリーという言葉は男を嫌うだけではなく、女をも含む人間全てを嫌うという意味になるのだとか) 私が気持ち悪い、と思う事柄をブックマークの意見も参考に整理しま
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
208 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 14:29:48 ID:36Ebh50S 大学の頃さ、学園祭に来てる女の子を屋台の食い物売りこみにかこつけて ナンパとかしてたわけ。 普段はそんな声とかかけられないんだけど、この後時間あったら打ち上げ 一緒に来ない?とかさ。 んで、いかにもナンパされに来ました~って格好と振る舞いの女の子を見かけてさ。 普通に可愛かったから仲間達と声かけたんだけど、一緒にいた連れの女の子が すげえノリ悪いの。 最近ならともかく、茶髪全盛期にもっさい黒髪+地味目の格好でさ。 化粧もしてるのか?って感じ。 素材は悪くないんだけど、なんで今日ここに来たの?ってツッコミたくなるノリの悪さ。 もう一人の子がノリノリだったから結局一緒にメシでもってなったんだけど、 一人キョドってんの。 「あの、私、付き合ってる人がいるんです」って
「考えつづけること」について話題になった記事を読みながら、自分自身考えることを足踏みするとすればどのような場面があるか、ぼんやり考えてみました。 思考を停止してもいい二つのシチュエーション 思考停止したほうがいい場合 深刻な問題を目の前にしたとき 自分のアイデンティティを脅かすクリティカルな事象について深淵を覗き込もうとするとき。 入念な準備やリサーチなしにセンシティブなことがらに臨むことは時として危険ですらある。 体験したことがない、未知のことがらを語るとき。 自分の中にある知識、経験といったバックグラウンドが十分でない状態で立ち向かったとしても、必ずしも幸運な結果が得られるとは限らない。 こういうときは「なぜ語るのか、語る動機は何か」を確かめたほうがいい。 自分を正常に保つために時間の流れを止めるということ。 思考停止したくない場合 自分のポリシーであったり、恃みとするところなど、アイ
Unknown/ウゼえ Unknown/なんで? はしご/なんで? Unknown/。 Unknown/なーにがユキマロちゃんだ Unknown/なんで? Unknown/わけわからんが Unknown/わけわからんが Unknown/ぶっ Unknown/なんで?
私は極力「嫌い」だと思わないようにして来た。 なぜなら「嫌い」という感情が湧き出ると自分が不愉快になるからだ。 だからと言って、自分の「嫌い」という気持ちを捻じ曲げるのではない。 嫌いだと思えるものは自分の目の前から徹底的に排除する。 はてなを例に表現してみると。 嫌いなはてダはいくらお気に入りにあがろうと見に行かないし、嫌いなはてなーははてブコメントを非表示にする。 この時点で私の「嫌い」は消えてなくなってしまう。 *1 現状、私には嫌いなブロガーというものは存在しない。 これが、職場だとどうしても逃れられないので「嫌い」が発生してしまい、さりげに逃れられるくらいなら「嫌い」になんてなってねーよの状態。 どこが嫌いなのか考えるのも不愉快なので割愛。 *1:嫌いなブロガーのコメント欄に粘着するなんて私には信じられない行為だ。 自ら自分の嫌いなものに近づいていっているのだから。
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