「中学生の頃、マンガ雑誌を学校で回し読みしていたら、先生に見つかって取り上げられて廊下に立たされたことがある。先生は『マンガは教育上、百害あって一利なし。害虫である』と怒った。幸い僕は大人になってヒット作を出せた。だから『害虫』と言われる状況を変えようと、公的な存在である美術館にマンガを入れて、作家の息遣いが分かる原画を見てもらいたかった」(『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』。以下、引用はすべて同書より) その原画保存により力を入れることになったきっかけは、2011年の東日本大震災の前後に長女を亡くし、自らも病を得て、気力と体力を失い、アトリエをたたんだことでした。筆を折って、自分が丹精込めて描いてきた原画の行方を案ずるようになります。 「僕の長女は亡くなり、次女は他家に嫁いだ。僕が死んだら、原画を著作権とともに引き継いでくれる親族がいない。相続税が課せられ、売買の対象となる可能性もある。
2020年11月、マンガ家の矢口高雄さんが亡くなった。「釣りキチ三平」「マタギ」など自然と人間とをテーマに扱った代表作は特に今でも人気が高い。 元産経新聞記者の藤澤志穂子さんは、2016年に秋田支局長に就いたことをきっかけに、地元出身のマンガ家である矢口さんと知り合い、以来、5年がかりで30回以上のロングインタビューを敢行。その話をまとめた著書『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)の刊行を翌月に控えた時期に、訃報に接することとなる。矢口氏自身、刊行をとても楽しみにしていたという。同書のオビには、里中満智子さん、きくち正太さん、東村アキコさんといった人気漫画家の矢口さんへの賛辞が掲載されている。 ファン、同業者から熱い支持を集め続けた矢口さんとはどういう人物だったのか。 追悼の意を込めて、藤澤さんが特別に寄稿してくださった原稿を3回にわけて掲載しよう。 *** 「ガマンだガマン こ
世界で人気を集める日本のマンガ。その原画を守り、後世に伝えようと奮闘した男がいた。『釣りキチ三平』の著者、矢口高雄氏だ。故郷の秋田県では、横手市増田まんが美術館の設立に尽力。これまで40万点の原画を収集してきた。『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)を出した藤澤志穂子氏が解説する――。 マンガ家・矢口高雄が憂いた「原画」の行く末 私の手元には『釣りキチ三平』生みの親で、昨年11月にすい臓がんにより81歳で死去したマンガ家の矢口高雄氏から送られた絵ハガキが何枚かある。 矢口氏はスマホもパソコンも使わないアナログ人間で、イラストを印刷した何種類かの絵ハガキにメッセージを書いてよく送ってくれた。最後のメッセージは、「三平くん」が渓流で魚を釣り上げるイラストの余白にギッシリ書き込まれていた。 私は全国紙の秋田支局長として2016年に当地に赴任、秋田出身の矢口氏に関心を持ち、評伝の取材を重
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