鎌倉時代に栄西が唐の臨済を祖とする禅宗の一派を日本に伝えたのが臨済宗の始まりで、室町幕府三代将軍足利義満(1358~1394)が南北朝内乱を統一し幕府の全盛を築き、京都に臨済宗の五大寺(天龍寺・相国事・建仁寺・東福寺・万福寺)を設立南禅寺を五山の上とした。 相国寺は足利義満が創立 開山住職は夢窓礎石五山文化の中心地であり金閣寺(鹿苑寺)銀閣寺(慈照院)は相国寺に所属する別坊、五山文学では周文や雪舟が出身で伊藤若冲のゆかりの地、千利休も関係が深い。近年では水上勉が徒弟。 足利義満が相国寺鹿苑院内に設けられた一院である蔭涼軒に住する僧侶(蔭涼軒主)の記録した公用日記が蔭涼軒日録 日記の筆者は永享七年(1435)~文政元年(1466)まで季瓊真蘂の筆録による 文明十六年(1484)~明応二年(1493)までが亀泉集証によって筆録された断簡が収められている。 蔭涼軒日録の文明十七年(1485)五月
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