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CNETの読者ブログにて、ひどい記事を見かけた。 ■西田ひかるが、スラムドッグ・ミリオネアをダウンロードして観てた、という話 西田ひかるの公式ブログで以下のような文章が書かれている。 スラムドッグ・ミリオネアをダウンロードして観ました。 これがどういう事を意味しているのか分からないが、役者でもある彼女が、著作権ということをどう考えているのか非常に興味がある。(記事が消される可能性があるので、魚拓のリンクを記載しておく)。 もしかしたら、僕が知らないだけで、上映中の映画でも、PPVのようにお金を払えば著作権を侵さずに見れる方法があるのかもしれない(だとしたら、誤解を招かないように、補足すべきだと思う) スラムドッグ$ミリオネアは日本では最新作だが、海外では半年以上も前に公開されている。昨今の世界規模での違法流通によって映画産業がDVD/レンタル/有料配信のスパンを短縮している現在にあっては、
ふと思った事。 メールよりも、手書きの手紙の方が、「温かみがある」、などと言われる事がありますね。理由は、誰が書いても同じ形の文字しか送れず、比較的短文になりがちな(これは人によると思うけど)メールよりも、手書きの文字の方が、感情などが読み取れる(書き手は感情を込めやすい)、というようなもの。 テレビゲームよりも、ラジオの方が良い、という意見がありますね。理由は、ゲームよりもラジオの方が、音声だけだから、「想像力」を働かせる事が出来るので良い、というもの。場合によっては、「脳に良い」とダイレクトな言い方がされる事も。 これはなかなか面白い。 前者は、手書きの手紙の方が情報量が多く、そうであるがゆえに相手の感情等を推し量りやすい、という主張で、後者は、より情報量の少ないラジオの方が、想像力を働かせるので好ましい、という主張。 もちろん、具体的な形態が全然違う(手紙はコミュニケーションの手段、
ニセ科学批判が難しい理由はなにかと問われたら、「ニセ科学を信じてそれをウェブに書いている人に、情報発信者としての自覚がない場合が多い」が、わりと上位にあげられるのではないでしょうか。 ニセ科学の蔓延に問題意識を持っている人が、ネット上のニセ科学記事に批判コメントをするのは、記事の影響範囲を見積もってのことだと思います。また、相手の発言の影響範囲を見積もる行為はすなわち、相手を一表現者として尊重し、世の中に影響を与えんとの意志あり、その意気や良し、と認めていることでもあると思います。それゆえ、相手の思慮の浅さ、調査レベルの粗末さを指摘するような厳しい批判も、ときに書かれるのだろうと思います。ニセ科学批判のやり方のなかで、「そんなこともわからないのか」「なぜ気がつかないんだ」といった方向の批判を見かけることがありますが、それらもこうした理由からきているのではないでしょうか。 しかし、ニセ科学を
「謝罪します。ニセ科学批判はネット右翼と同じでした - 今日の雑談」というエントリを読んだ。ニセ科学批判はよく「魔女狩り」とかその他色々なものに「似ている」と指摘されたりする。でも、タイトル通り「違い」をきちんと認識していない人が「似ている」と指摘したところで、そこに意味を見出すのは難しい。 人は、自分が新たに知ったことであっても、なるべく既にある知識で解釈しようという性質をもっている。だから、何かと何かの似ているところを見つけるのは比較的得意で、似ているところを探す努力はあまり必要ない*1。これは、認知的な労力の軽減のためだ*2。 ある程度年齢を重ねると、アイドルの顔の区別がつかなくなるなんて話はよく聞くし、私の親の世代の人の会話を聞いていると、新しく会った人の多くが「近所の誰かに似ている人」になっちゃうようだ*3。たぶん、これも認知的な労力を軽減するためだ*4。 それから、人間の基本的
ブクマしたまま、手をつけていなかった立命館大学小泉義之個人HPについて、黒影さんが取り上げていた。 ==>幻影随想: 小泉義之先生は日本における「AIDS再評価運動」の代弁者となるか? ご紹介の黒木のなんでも掲示板2を見たら、小泉義之先生は普通に反進化論な言説を垂れ流す人のようだった:くろき げん (2000/06/30 23:38:17) 「自然淘汰論」を「同義反復」でドゥルーズの『差異と反復』の意味での「悪しきゲーム」を前提にしているという理由で否定しているのだ:一体これは、何によって何を説明しているのだろうか。それが同義反復に終わっているという批判である。すなわち、現実にヒマラヤ山脈を越えるインドガンが生存するという事実を、淘汰圧や適応度なる言葉で記述し直しているだけという批判である。正しい批判だと思う。自然淘汰論が、そんな批判をかわしきれないのは、どうしてヒマラヤ山脈を越えるという
イントロ どうも最近TV番組が変だ。美容を扱う番組が増えてきて良い傾向と喜びたいが、 じっくり見ると、「えっ! 本当なのか?」と突っ込みを入れたくなる場合が多いのです。 取り上げればきりがないほど多いのですが、特に目に余るものを取り上げて検証して みようと思いました。あくまでも私の見解なので、異論があれば、もちろん受け付けます。 ------------------------------------ ・ その 18 「あなたのシミ消します!冬の美肌復活大作戦」 (ためしてガッテン NHK 2009年 12月 9日放送について) 久々にやってくれました「ためしてガッテン」の「あれ?あれ?TV番組」です。まずタイトルがあまりにも 大胆だったのですが、私は本放送も再放送も未チェックでした。では、何故この番組に気づいたかという 発端も問題だったのです。それは私の友人が経営している化粧品専門店から
<初めに> このエントリを挙げるべきか迷いました。 迷った理由は,このエントリの内容が,ブログにかけている縛りの範疇をやや逸脱しているから,そして内容の妥当性について私自身いまいち確信が持てないでいるからです。 にも拘らず最終的にアップしようと決めたのは,現時点での私の考え方を表明しておく事は,将来にわたって私自身の行動及び指針に関するマイルストーンととしての意味を持つだろうと考えたからです。 書いた本人がこんなことを言うのは変ですが,(^-^; 批判的な目で見ていただけると嬉しいです。 <本文> トップエントリで表明している通り、私はニセ科学批判の活動を支持しています。そして、ニセ科学批判者が運営しているホームページや掲示板、ブログなど を拝見するんですが、そこに時々ニセ科学側の人たちが入ってきて、ヒステリックな言動をかましていくことがあります(不穏当な表現でごめんなさい)。 もしかした
相変わらず色んなところで話題になっている「水からの伝言」ですが、「水伝の主張は検証(反証)できる(はず)」という主張を(水伝への肯定的/否定的な立場に関係なく)最近いくつか見かけたので書いておくことにしました。 その前に、オリジナルの水伝の実験の不備に関しては、 水伝FAQ:音声の振動が結晶に影響を与えているのではありませんか? 反証実験の必要性については 水伝FAQ:反証実験もしないで「事実ではない」と否定することができるのですか?それは科学的な態度とは言えないのではありませんか? をご参照ください。 というわけで、ここから先の内容は、「江本何某のやり方は問題があるけど、きちんと科学的な手順を踏めば水伝の主張って確かめられるんじゃね?」というようなことを(漠然と)思っている方に特に読んでほしいです。 僕の主張は、言語学の知見からすると「「言葉の意味」が水に何らかの影響を与えると考えるのは
2月10日の午後、グーグル日本の公式ブログに「Google のマーケティング活動について」という告知が出た。「お詫びするとともに、再発防止に向けて、透明性の高いコミュニケーションに努めてまいります」と結ばれているのだが、何のことやら意味がわからない。どうやらこれは、TechCrunchの記事「Yahooからの市場奪取に向けて手段を選ばぬGoogle、PayPerPostキャンペーンを採用」で指摘された、Pay-Per-Post手法による宣伝キャンペーンを中止したという話のようだ。CNET Japanの記事がこの顛末を伝えている。 経緯をたどると、2月9日の時点でネタフルがレポートしていたように、Googleは「急上昇ワード」の宣伝のために、ブロガーにお金を払って口コミ記事を書かせるバズマーケティング手法「CyberBuzz」(サイバーエージェントの子会社のサービス)を実施していた。「急上昇
今年すごく売れた本として血液型占い(診断?)の本があるらしいです。…って話を会社で誰かが話していて,「研究者が占い信じるのか?」みたいな話がちょっと出ました。 血液型による性格診断は一時期はあたかも科学的なことのようにとらえている人もいたようですが,最近はマスコミも微妙に科学的根拠はない…という感じのことを匂わせているように思います。まぁ嘘を言って訴えられるのを避けてるのかもしれません。 しばらくネットでは,疑似科学の話題がずっと続いていて,基本的には疑似科学を悪いことの様にいいます。疑似科学が非科学的なことであり,それを科学の様に言うのは確かに嘘なんですが,じゃぁなぜ悪いかが,ちょっと不明瞭の様にわたしは思います。嘘だから良くないというのでしょうけど…。 わたしは一応研究者だし,工学者という方が正しいのでしょうけど,自然科学の上に工学は成り立っていると思ってます。ですから,ある意味唯物論
「いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない?」と言われた。 別に恥ずかしいと思った事はない。元々、人の目を気にする方でも無いし。 それはさておき、もう何年も前からテレビでやっているドラマの大半が漫画を原作とした作品で、原作無しのオリジナルドラマに比べれば、どれもそこそこの視聴率を出している。 上の台詞を吐いた人も、それらのドラマを見ているのを知っている。なぜ元の漫画だと「いい歳して」なんだろうか。 「いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない?」 ぼくは経験したことがないけれど、いかにもありそうなシチュエーションである。 ただ、こういうことを言うひとのことを一々気にする必要はないと思う。結局、何か合理的な理由があって言っているわけじゃなく、ただ世間の価値観を従順になぞっているに過ぎないのだろうから。 人間が皆自分の頭で考えてものを言っていると思ったら大間違いで、世の中には、周囲の価値
以下のエントリを読んでいたらニセ科学批判活動についても他人事ではない様な気がしてきたのでちょっと考察してみます。 2008-03-06 考察の前にちょっと前置き。上記エントリと同ブログ内での関連エントリ、他ブログでの言及エントリやはてブコメントを読んでみるとどうも話題の中心はいわゆる「はてブのネガコメ(を付けるブックマーカー)」のようなのですが、このエントリでは特にははてブに特化した考察は出てきません。あと、相変わらずだらだら長いです。 考えてみたい主張 何回か読んでみたのですが、どの一文が結論というか核の主張なのか僕には選び出すことができませんでした。とりあえず、気になったのは次のような表現。 こういうふうに「議論を広げるため」とか「そのほうが面白くなるから」という理由で、「自分が実際にそう思っていないこと」をブックマークコメントに書くのは、「お門違い」というか、基本的に「失礼」なのでは
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