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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (14)

  • 「大人の発達障害」はこうして個人化される - 泣きやむまで 泣くといい

    Yahooのトップページに出た記事はすごく多くの人の目に触れるわけで、やはり注意を促しておかないといけない。ましてや、過去に「発達障害」関係でいろいろと困った記事を載せてきた産経新聞では、なおさらである。 増える大人の発達障害 仕事に支障、ひきこもりも http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000085-san-soci ざっと読むと穏当な記事のようにも見えるが、この記事でいったい何を伝えたいのかを考えながら丁寧に読めば、迷惑なメッセージがひっそりと織り込まれているようにも思う。 社会モデル的な障害観が見られないのはいつものことなのだが、真っ先に「発達障害者支援法」「行政の支援」に触れているので、なんだか当事者のしんどさに寄り添おうとしているかのように見える。 そうして読み進めると「大人の二次障害」が大きく取り上げられていく。なぜ「大人の

    「大人の発達障害」はこうして個人化される - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2018/10/04
    2012年の記事。ブコメのトーンに、良い意味で吃驚。今なら、「個人化」「自己責任論」を支持するブコメが多数出てきそうな気がする。
  • やりがい搾取どころじゃなかった - 泣きやむまで 泣くといい

    下の記事について、2日間で35,000くらいのアクセスがあった。励ましや慰めのコメントをたくさんいただけて、当に感謝している。年度末の衝撃の中で自分や母子会のコーディネーターが正気をぎりぎり保っているのは、共感してくださる方がいるからである。 ただ、事態はさらに悪いほうに進んでいる。 「アドバイザー料も認めない」との連絡が今日、入った。 「そんな金を払っているとは知らなかった」のだそうである。 昨年度末に担当の(前)課長と学識経験者の前で「アドバイザー」である自分がプレゼンテーションをして、予算書を確認されながら「このアドバイザー料というのはあなたに払うということなのですね」と言われて、そうだと答えた。「それならかまわない」と言われた。そして、事業を一年やった。 「知らなかった」のだそうである。 もはやただの嘘だ。 他団体の情報を得ようと努力したところ、今年度自分たちが支払ってきた時給以

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  • 参院選マニフェスト比較2016(障害者分野) - 泣きやむまで 泣くといい

    さて、すっかりブログをほったらかしにしてしまっているのですが、参議院選挙前なので、これだけはやっておこうと思います。「障害者分野」限定のマニフェスト比較です。 ちなみに過去の選挙におけるマニフェスト比較はこちら(衆院選2014、参院選2013、衆院選2012、参院選2010)をご覧ください。各政党の主張がどう変化してきたのか、を知ることも有意義です。 社会保障や教育・保育施策全般はもちろん、経済だって安全保障だって憲法だって「障害者」に関連がないとは言えません。特に「障害」と書かれた部分を抜き出しているだけですので、その点はご理解ください。 自民党 選挙公約2016 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/manifest/2016sanin2016-06-22.pdf ■持続可能な社会保障制度の確立 ・障害者が自らの望む地域生活を営むことができるよう、「生活」と

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  • 「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの居場所が必要だ、と言われる。それを否定する人はあまりいない。 学校があって家庭があるだけではまだ足りないから、求められる。求めているのが子ども自身なのかどうかは、よくわからない。「僕に居場所を」と訴える子どもはあまりいないからだ。必要性を言うのは大人である。もちろん根拠がないはずはなく、少しばかり見聞きした成功体験も背景にあるのだろう。 居場所を作りたい、という大人たちの希望にどんな風が吹いているかと言えば、ずっと追い風だと思う。学校教育でも生涯学習でも地域福祉でも子どもの貧困支援でも「居場所」やそれに類するものがバックアップされるような施策がある。既存の社会資源やネットワークの中で解決されていない問題があるとき、新たな「居場所」は魔法の箱として期待を集めていく。トップダウンかつ縦割り行政の中でそれぞれ中途半端につけられた「居場所」関連予算は、何ら新奇性を示せることなく、既存事

    「つながり原理主義」の帰結 - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2016/02/04
    子供の頃、近所に駄菓子屋があった。店の人は「学校文化やスクールカースト関係ない。店に来る子は皆かわいい」という態度で、安心できた。大人が押し付けた居場所には馴染めなかったが、この店は居場所だったと思う
  • 「ボーダー児」と親の孤独を描いたマンガを読んで - 泣きやむまで 泣くといい

    はざまのコドモ 息子は知的ボーダーで発達障害児 作者: 沖田×華,君影草出版社/メーカー: ぶんか社発売日: 2015/12/15メディア: 単行この商品を含むブログ (2件) を見る 偶然に書店で見つけた沖田×華の新作。ノンフィクションコミックエッセイ。原作者である君影草さんが、作に登場する子どもの母親である。ちなみに、原作は『はざまのセイカツ』というタイトルで、ウェブ上に公開されているマンガ。メジャーなマンガ家が描き直す「ワンパンマン方式」とでも言おうか。 障害児の子育てについて親の目線で描いたマンガはこれまでにもいくつかあったと思うが、いわゆる「ボーダー」の子ども(と親)の苦難を描いたものは読んだことがなかった。医学的な診断としては「障害」とみなされないが、学校生活や社会生活上でうまくやっていけない人はたくさんいて、その人たちは境界線上にいるという意味でしばしば「ボーダー」などと

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  • 分かち合える「親の会」の新鮮さ - 泣きやむまで 泣くといい

    不登校の子どもたちの親の会をはじめた。まだまだ緩いメンバーシップなので、元不登校とか不登校予備軍とかいろいろ混ざっているが、とにかくはじめた。 障害児の親の会とは各地で20年ほど関わってきたが、それらはみんな「事業」とともにあった。子どもたちの活動を作り、どこかから資金を引っ張ってくるために組織を作る必要があり、そうしてできた親の会は次第に「支えあい」「分かち合い」から逸れていく。親にしかできないことを絶えずアップデートして事業化できればよいのだろう。しかし「先輩から引き継がれたもの」を更新していくのは、普通の親になかなかできることじゃない。それは「伝統行事」みたいなものだ。受け継がれてきた伝統には逆らえない。 不登校の子どもたちの親の会は、今のところ完全に分かち合いの場としてある。子が学校に通えなくなるまでの経緯、子どもの行動の変化、学校に対する親の思いなど、静かに熱く語られていく。皆が

    分かち合える「親の会」の新鮮さ - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2015/12/12
    10年程前、発達障害に対して偏見を持つ「不登校関連親の会」が多数存在した。彼(女)らは、「発達障害は、障害をでっち上げ福祉のパイを奪おうとする極悪人が作った概念」などと主張。資金ひっぱりが絡むと方針変更。
  • 「普遍的なルールを順守させる」責任を背負った教育を観て - 泣きやむまで 泣くといい

    世間ではあまり話題になっていないのだけれど、映画『みんなの学校』をご存じだろうか。 大阪の住吉区にある「大空小学校」の教育を取材したドキュメンタリー映画で、制作は関西テレビ。フジテレビ系列局ではテレビ放送もあった。「平成25年度文化庁芸術祭賞大賞」をはじめ、受賞歴も数多い。 今年2月から全国で順次公開されており、ようやく地元でも上映があったので観に行ってきた。ふだん映画を観ることがほとんどなく、劇場で2時間拘束されることが嫌いな自分がわざわざ足を運んだのは、この作品の評価が「関係者」のあいだであまりに高かったからだ。 ここでの「関係者」とは「障害児」の教育や福祉に関わる人々である。大空小学校とはどんな学校か。公式サイトから引用したい。 大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で

    「普遍的なルールを順守させる」責任を背負った教育を観て - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2015/10/06
    世間の側が想定した「インクルーシブのあるべき教育像」と「子供側が、それらや学校という世界をどう受け止めているか」には、おそらくギャップ有。権力関係も有。それらを軽視したインクルーシブ称賛映画に思えた。
  • 「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症連続体の時代 作者: 立岩真也出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2014/08/26メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 一読した後に「自分にとってはそれほどインパクトのある内容ではない」と思ったのだが、いくつかのニュースと世間の反応を見て、やはり意義があるなのだと思いなおした。けっこう時間が経ってしまったのでタイムリーとは言えないけれど、書き留めておきたい。 もう数週間前のことになるだろうか。視覚障害をもつ高校生が白杖につまづいた中年男性に蹴られる事件が起きた。世間の反応は「なんてひどいことを」であった。少しして「蹴られる方にも非がある」という声があがりはじめた。すぐにそのような声に対する批判もまた巻き起こった。 そこに、どうやら犯人がわかった、という報道がなされる。知的障害の男性だったと言う。そして、その後の報道はあまりなされなくなったような印象もある

    「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2014/10/01
    日本の集団には、「構成員が明確で意思的な判断を回避」し「全体の雰囲気によって物事が進んでいく」責任回避文化がある。何か問題が起こると、どの段階に誤りがあったのかわかりにくくなる。弱い立場の人に責任丸投
  • 差別を生むから「障害」を「症」に、ではない - 泣きやむまで 泣くといい

    「障害」を「症」に 精神疾患の新名称公表(産経新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140528-00000557-san-hlth この記事は、精神神経学会の発表内容をだいぶ略していて、誤解を招く。以下に日語訳の全文と検討経緯の説明がある。 DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン https://www.jspn.or.jp/activity/opinion/dsm-5/index.html#maintitle 説明には、こうある。 病名・用語を決める際の連絡会の基方針を以下に列挙する. 1.患者中心の医療が行われる中で,病名・用語はよりわかりやすいもの,患者の 理解と納得が得られやすいものであること, 2.差別意識や不快感を生まない名称であること, 3.国民の病気への認知度を高めやすいものであること, 4.直訳が相応しくない場合には意訳を考え

    差別を生むから「障害」を「症」に、ではない - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2014/05/30
    私はてんかん患者。ショックを和らげる為に、痙攣発作という言葉が使われる場合有。「痙攣発作と言ったがてんかんとは言ってない」と「てんかんへの社会的制約はあなたも同じ」と同時に言われて混乱する患者も多い。
  • 子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい

    公園で子どもたちと全力の鬼ごっこをする。もちろん仕事で。 もう何年も続けてきているのだが、自分が主に関わっているのは特定の支援が必要な子どもである。年月が経つにつれて、周囲の環境は変わる。特に「お友だち」の顔ぶれは変わっていく。 公園でいっしょに遊んでいる子どもたちの中に「発達の気になる子」は他にもいて、うまくいけばみんなが正しく人との関わり方を学べる場になる反面、下手をすると互いに傷つけたり傷つけられたりするコミュニケーションが加速していく。 低学年のうちは同級生の集団でうまいぐあいにやれていたが、多くの子どもは年齢があがってくると公園では遊ばなくなる。自分の印象では、年齢があがってきたのに公園で遊び続けている子どもの中に「気になる子」は多い。発達の凸凹が見られることもあるし、家庭環境の問題が垣間見えることもある。 「気になる高学年」と「その他たくさんの低学年」が交わるようになってきたの

    子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2014/04/10
    「気になる高学年が、複数の低学年の中に入る」のは、昭和50年頃でも、学年別雑誌の保護者向け記事に出ていた。私の身近にもあった。低学年の子が親に告げるとか、兄弟姉妹経由でバレて親が介入していた。
  • 「みんなといっしょ」を求める意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい

    障害の重い子どもが「地域」の学校に通おうとする。意思表示が難しい子の場合には、親が通わせようとする、と言ったほうが正確かもしれない。世間には冷たい視線を浴びせる人がいるだろう。教育委員会もあまり良い顔はしてくれない。特別支援学校を選んだ親たちも、自分がわが子のためにした選択と比較して、あれこれ言いたくなるかもしれない。 とりわけ重度の自閉症の子どもたちと多く関わっていると、わからなくなることがある。この子たちにとって「地域」とは何なのだろうかと。講演で話さなければいけないことがあり、改めて考えさせられていた。 当事者や支援者によって「入所施設」や「分離教育」が批判される。それに対して「地域」は「ともに生きる」とか「当たり前の暮らし」を象徴する言葉として用いられるようになっていた。単に生活の場として「住み慣れた地域」にいられればよいということでもない。自由のある暮らし、選択肢のある暮らし、文

    「みんなといっしょ」を求める意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2013/11/16
    「みんなといっしょ」という言葉の裏に、隠したいものが存在する場合も、ありうる。「共同体としての地域が求めるもの」が、「非障害者の土俵でのみ勝負を押し付け、しかも、勝負する機会を与えたと認識すること」等
  • 「きょうだい児」についての本 - 泣きやむまで 泣くといい

    きょうだい―障害のある家族との道のり 作者: 白鳥めぐみ,間尚史,諏方智広出版社/メーカー: 中央法規出版発売日: 2010/10/01メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (1件) を見る 障害者の「きょうだい」について書かれたの存在は、世間にあまり知られていないだろう。この数日、はてなブックマークに知的障害者とその「きょうだい」に関する記事が上位表示されているが、それらだけを読むと理解がひどく偏りそうな気がするので一冊だけ紹介。 このの著者たちは、それぞれ障害をもつきょうだいがいて、各地で「きょうだい児の会」運営にたずさわっており、今は教育や福祉関連の仕事をしている、という共通点をもっている。「きょうだい児がきょうだい児のために書いた」だけれど、保護者や支援者が読んでも学べることの多い内容。 個人的な関心としては、この10年ほどで障害福祉サービスはずいぶん

    「きょうだい児」についての本 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 例の話題からぼんやりと考えていたこと - 泣きやむまで 泣くといい

    乙武さんの件に関連づけて何か書けば、多くの人に読んでもらえるのだろうとは思ったが、どうもそのような気になれなかった。少し疲れているからであろうか。あるいは論点が定めづらいからであろうか。 ぼんやりと考えていたのは、「差別」という事象は、まず差別する主体があって、その責任が問われるかのように思われているけれど、そうではないよなあ、ということ。この点を踏まえておかないと「差別」というのは個人に帰責させる意味に捉えられてしまうし、そこから必然的に反論を試みようとする人も増える。もちろんこの言葉を使わずに、きちんと「改善されるべき(あるいは改善されるのは好ましい)状況」がきちんと指摘されるならばそれでいい。でも、他にあまり手ごろな言葉がないのも事実。 そして、障害当事者が一般的なサービス等にクレームをつけると、明示的に「差別」という言葉を使うことが無くても、漠然と「差別であるかどうか」という観点か

    例の話題からぼんやりと考えていたこと - 泣きやむまで 泣くといい
  • 発達障害を「暴力的カテゴライズ」と断じる意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい

    Yahooのトップページでまでアスペルガーの診断名が無くなることが話題にされ、しかもその一番に貼られたリンクが「精神障害や発達障害は近代社会による『暴力的カテゴライズ』だが、受け入れることで支援してもらえる部分もあるから、まあうまく使っていかなきゃしょうがないか」という内容で、もう当にいい加減にしてくれと思う。 発達障害はあの「ニュータイプ」かもしれない〜アスペから自閉症スペクトラムへ http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20130503-00024704/ 自分は「発達障害」に特化して近代以前からこれまでの言説をきちんと歴史的に追った研究を全く見たことがない。概念がなかったから、そのような困難さ自体が存在しなかったと言える根拠にはならないだろう。近代以前の社会ならば、今でいうところの「発達障害」の人は困ってなかった、といかなる

    発達障害を「暴力的カテゴライズ」と断じる意味はあるか? - 泣きやむまで 泣くといい
    karotousen58
    karotousen58 2013/05/06
    自称「寛容」には、甘い罠が隠されていそうだ。
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