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今回で3回目の開催となる、デジタルからアナログまで古今東西のゲームが集まる日本最大級の“ユーザー参加型”ゲームイベント“闘会議”。2017年2月11日(土)、12日(日)に開催される“闘会議2017”は、「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを掲げている。 電ファミ編集部では、この「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを体現し、ゲームを通して人生を謳歌している人々に、インタビューを行うことにした。 今回登場するのは、大阪府堺市で理髪店を営んでいる加三清(かさん・きよし)さんだ。加三さんは80歳という高齢にもかかわらずゲームを趣味としており、高難易度のために“死にゲー”などとも呼ばれるアクションRPG『ダークソウルⅡ』を、とりわけ熱心にやり込んでいる。その様子が関西のTV番組で紹介されると、インターネット上で“ダークソウルおじいちゃん”として一躍話題となり、日本国内はもとより海外
ゲーム作家・ゲーム研究者遠藤雅伸のブログです。 ゲームに関する話題を、ビジネス、アカデミック両面からも取り上げます。 飯野賢治君の思い出を、一次情報として書き留めておく。 ◆ Dの食卓 飯野君を知ったのは、やはりこの作品をプレイしたからなのだが、当時遠藤はこの作品を日本人が作った物だとは思っておらず、エンディングのクレジットで日本製だと知って、なかなかセンスのある作品だなぁと感心した。でも、そこに登場する飯野君の写真は、かなり日本人離れしていたから「オオカミウオみたいな人」として認識していたのだね。 まぁ、ゲームの作り方にしても、クレジットロールの写真にしても、洋ゲーかぶれのええ恰好しぃ程度にしか記憶していなかったわけだけど。 ◆ 初対面 イベントのゲストとして同時にブッキングされていたのが最初で、多分ゲーム系のトークショーだったんじゃないかな。広い会場で事前に打ち合わせなどもなく、突然檀
ゲーム禁止の家庭で育った奴wwwwwwww Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/05(水) 17:11:31.84 ID:sShqaqxS0 隠れてゲームするようになり、いい歳になったらゲームしまくるんだよなこれが 2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/05(水) 17:12:00.17 ID:2/ODHC/di そんな家あるの? 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/05(水) 17:12:50.58 ID:TaMkRgF60 昔いたけど、今どうなってるか知らないな 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/05(水) 17:12:54.43 ID:QARtDd9qO 反動でヒキニートゲームオタになった 8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:20
旦那とは合コンで知り合うかなりのゲーム好きらしい事を察するも、同席している女性受けを気にしてか詳しく教えてくれなかったため、旦那と同じ職場の俺に調査を要請後日調査の結果FPSを手広く、そこそこ深くやっている事が判明旦那の趣味が判明した翌日、以下のソフト一覧のメモを持ってPS3と以下のソフトを某カメラ店でまとめて買ってくる モダンウォーフェアモダンウォーフェア2バトルフィールド・バッドカンパニーバトルフィールド1943バットマン・アーカムアサイラム調査の報酬として俺のポイントカードで買い物をしてくれた約3ヶ月かけて上記ソフトを全て一通りクリア次の合コンで「収容所で救出したのがプライス大尉だったときは驚きましたよね」「ゴーストとローチが死んじゃった時はウルっときちゃいました」などと話題を振って旦那のハートをキャッチ周囲のどん引きもお構いなしに二人でゲームの話題で盛り上がるその後色々あって翌年に
そして、「ゲッチャ」を初めとした数々ネットTVに出始めたのも、50歳になってからですので人生って面白いものです。
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/04(土) 17:50:25.86 ID:LFYa2bEa0 今年で不惑になったおっさんの話なんで面白くないと思うが暇な奴は聞いてくれ 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/04(土) 17:51:06.39 ID:97HUNLCw0 すすめたまへ 5 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2008/10/04(土) 17:51:29.24 ID:9X37M4DI0 構わん、寝ろ 続きを読む
転職だというのは聞いていたので、昔、何をしていたのか…と聞くとタイトーでゲーム作ってて、ダライアスのメインプログラマで、スタッフロールの一番最初に出る名前だというのだから驚いた。どうして辞めたのかというと、まあ会社でゲーム作るのに疲れて、ダライアスを作ってゲーム作りから引退しようと思った…ということだった。 当時、僕はBeep!でライターを始めていて、普通の人よりは業界側にいたが、まだゲームを作るプロではなくプロになりたい人でしかなかったから舞い上がった。本当に嬉しくてしょうがなくて、ゲーセンでダライアスをクリアするのを見せて、いろいろな話を聞いた。 例えば、Kenさんはコナミのグラディウスのザコの弾の撃ち方が美しくカッコイイと思っていて、そんな弾幕を作りたかったんだけど、どうにもそうならなかったとか、アーティストの書いてきたバリアがかっこ悪いと思っていて、アーティストが書いたドットを自分
プロ格闘ゲーマー、ウメハラさん(29)へのインタビューの主なやりとりは以下の通り。(大坪玲央)−−8月に「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネスに登録されます「ゲームは世間に認めれてなかったものなので、自分が子供のころから読んでいた本に載るのは、ゲームの好きな人以外にも認められた気がしてうれしい」−−プロと呼ばれるようになったことはどう感じていますか「やっていることは前から変わっていないので、あまりピンとこない」−−サインを求められることもあるとか「100回ぐらいあった。普通に名前を書くだけだが。アメリカだとそうでもないが、日本だと恥ずかしいのであまりしたくはない(笑)」−−米国では「The Beast」と呼ばれているが、どう思いますか「多分、ストIII3rdのブロッキングからの逆転の動画を見た人とかが勝手につけたんだと思うが、自分ではよくわからない」−−11日の世界大会
確か、あれは僕が大学3年生の頃だったか。ちょうど当時付き合っていた彼女にフラれ、やさぐれ街道を驀進していたそんな時。やり場のない気持ちをぶつけにいくかのように日々足を運んでいたのが、通学路の途中にあった新宿や中野のゲーセンでした。目的のゲームは、当時アーケードゲーム界に一大旋風を巻き起こしていた新感覚カードゲーム『三国志大戦』。 元を辿れば僕が教えたものでしたが、付き合っていた彼女もその『三国志大戦』のプレイヤーでした。もっとも、僕も彼女もたまーにゲーセンに寄った時に軽くプレイする程度の、いわゆるライトユーザー。しかし、彼女と別れた後、当時ペーペーの学生かつ超絶ヤサグレンジャーだった僕は、どういうわけか、以下のような恐ろしく斜め上の方向に思考を驀進させ始めます。 「三国志大戦で『覇王』※になれば、別れた彼女も見直して戻ってきてくれるのではないか……」と。 (※『覇王』というのは当時の三国志
「僕はドルアーガで頭がおかしくなった」(→ http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20090108 )のようなおかしなゲーム人生をスタートさせた私は、中学1年のとき(25年ぐらい前)には全国スコアラーの仲間入りをしていた。 当時の私の一ヶ月のお小遣いは、2,000円であり、1ゲーム100円ならば20回。50円でも40回しかプレイできない。1日2プレイが限度だ。学校は16時ごろに下校して、そこから24時までゲーセンに入り浸りなので、時間は8時間近くある。当時のゲームは1プレイ10分ぐらいが普通だったから、乏しい軍資金に対して、時間が圧倒的に有り余っていた。 当時といまとでは100円の(個人的な)価値は全然違っていて、当時の100円は、いまの私にとって、3万円か5万円ぐらいの価値があった。それはもう大金だった。100円を入れてゲームを1回プレイすると私は緊張のあまり手が
FC2からLivedoorに移転し半年くらい(2009年9月30日~2010年4月2日)やってた旧はちま起稿です。当時浪人1年目でした。(その後合格したけど大学行かずに上京してます) その後ちょっとした事情があってLivedoor内でサイト移転してます。 当時を思い出す自分用のアーカイブとして鍵かけてます。ごめん。
7月11日、ついに伝説の人気ゲーム「ドラゴンクエストIX」ニンテンドーDS版が発売される。 一応、「ドラクエ」好きの端くれとしては、これは買っておかないといけない。発売までが待ち遠しい。 3月発売予定だったが、延期になり7月に発売となった「ドラゴンクエスト」。 じらされた感が募り、まだか、まだかと待ちわびていたのである。 大人になった今、時間があまりない為、子供の時ほどゲームをしなくなったが、シリーズものなど自分の好きなゲームが発売されると購入する。 ゲームは好きだが「ゲーマー」というレベルではない。 しかし、私がゲーム好きになったのには、ある理由がある。 祖母。 ゲーム歴:約23年。 祖母の影響で私はゲーム好きになった。 理由が、絶対におかしい。 そう…。 私のお婆ちゃんは、ゲームマニアなのです。 どれほどのものか、見て頂けたらきっと… 分かって頂けると思います
28 : 理学療法士(神奈川県) :2008/01/07(月) 23:43:50.93 ID:tZVamQAp0 ?2BP(1334)
「ゲーマーの後悔」は終わらない 2007年10月 2日 カルチャー コメント: トラックバック (3) Clive Thompson 2007年10月02日 今にして思えば、見るべきではなかったかもしれない。 私は、ロールプレイング・ゲーム(RPG)の『Dungeon Maker: Hunting Ground』について8月にレビュー(英文記事)した。 このゲームを始めてから10日が過ぎたころ、「設定」メニューをちょっとのぞいてみたところ、「プレイ時間」というオプションがあることに気がついた。ゲームと格闘した時間の長さがわかるらしい。好奇心からクリックしてみた。 36時間と表示された。 見たとたん、とてつもなく落ち込んだ。36時間だって? こんなゲームのなかに1日4時間ほども入りこんでいたとは、いったいどういう気だったのだろう? 正直に言うと、この10日間にプレイしていたゲームはこれ1つで
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