プロ野球史上最高の右打者と称されることも多い落合博満氏。天才肌の選手として数々の功績を残してきた男の監督就任が噂され始めたのは2003年のことだった。シーズン中に解任された山田久志監督の後釜となるのは誰なのか。スポーツ新聞の記者だった鈴木忠平氏は上司から落合邸へ直撃取材するよう指令を受けたのだが……。 ここでは同氏の著書『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋。中日ドラゴンズ落合博満監督が誕生する直前の記者とのやり取りのもようを紹介する(全2回の1回目/後編を読む)。 ◆◆◆ 落合に対する、どこか他人事の、ぼんやりとした期待 2003年10月3日の朝、東京の空は晴れていた。白い雲間からのぞいた青の下で、私は見知らぬ町の、見知らぬ家の前に立っていた。 そこは落合博満の邸宅であった。 当時はまだ、スポーツ新聞の駆け出し記者だった私が、落合という人物に対して抱いて