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震災と人生に関するtoshi20のブックマーク (19)

  • 【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩

    職員の車に園児を分散させ、各車に子供を乗れるだけ乗せて、逃げた。 決して冷静ではなかった。災害用に備蓄していた防災グッズも持っていけなかった。車を取りに行くなかで、急いだためかが脱げた職員がいた。 職員は脱げたはそのままにして、急いで車に乗り込み、園に引き返してきた。避難の途中、佐竹さんの車も渋滞に巻き込まれかけた。道路を逆走する車もみた。 正常な状態ではない閖上の街を走りながら、ただただ恐怖だけが募った。 《もし、何もなかったら笑って帰ればいい。でも、なにか起きたら私たちは全員でさようならだと思っていました。 思い出したのは、閖上に親戚が住んでいた職員から聞いた話です。 その親戚は「引き波が怖い」と言っていたといいます。もしかしたら……という思いで精一杯走ったんです。》 午後3時20分、閖上小東昇降口に全員がたどり着いた。園児と職員の数があった一瞬だけ、安堵できた。しかし、安心できる

    【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩
  • 不明学生の捜索現場で遺体収容 熊本・南阿蘇:朝日新聞デジタル

    地震で唯一の安否不明者となっている大学生大和晃(やまと・ひかる)さん(22)を捜索していた熊県は11日、熊県南阿蘇村の阿蘇大橋があった場所から下流約400メートル付近で、土砂に埋もれた車の中から遺体を収容し、発表した。晃さん名義の銀行通帳なども見つかり、検視の結果、遺体は男性と判明した。県警は晃さんとみてDNA型や歯型などで身元の確認を進める。 県警によると、遺体はほぼ白骨化し、シートベルトを締めた状態だった。車内からはほかに、着用した状態の上着とズボン、、携帯電話、父の卓也さん(58)名義のETCカードが見つかった。遺体と遺留品は、ヘリコプターを使って大津署に搬送した。遺体は12日に司法解剖する。晃さんと断定されれば、熊地震による直接死の人数は50人となる。 今回の捜索は、県による捜索が中断された後に、卓也さんらが自分たちで晃さんが乗っていたとみられる車が埋まっているのを見つ

    不明学生の捜索現場で遺体収容 熊本・南阿蘇:朝日新聞デジタル
    toshi20
    toshi20 2016/08/12
    良かった。遺された親御さんの心が少しでも救われる事を祈ります。
  • 熊本地震で不明 大学生の車の一部か 両親が発見 | NHKニュース

    一連の熊地震でただ1人、行方が分からなくなっている熊県阿蘇市の大学生の両親などが24日、南阿蘇村の河原で崩れた岩に挟まれた車のドアを見つけました。父親は、大学生の車と特徴が一致するとして、熊県に車を引き上げるよう求めたいとしています。 父親の卓也さんによりますと、24日、家族や友人などが捜索を行い、阿蘇大橋から500メートルほど下流の河原で、黄色い車のドアが崩れた岩に挟まれた状態で見つかったということです。 卓也さんは、晃さんの車と特徴が一致しているとして、「発見した車の引き上げを優先するよう県に求めたい」と話しています。 熊県は、梅雨が明けて2次災害の危険性が低くなったとして、来月上旬をめどに大規模な捜索を再開する方針です。

    toshi20
    toshi20 2016/07/25
    映画化決定。
  • 被災地の引きこもりが部屋、家を出るケースが多数!震災を機に家族団欒が復活した理由

    通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日の「ひきこもり 」界隈を取材。東日大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書)  他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 「引きこもり」するオトナたち 「会社に行けない」「働けない」――家に引きこもる大人たちが増加し続けている。彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。理由とそ

    toshi20
    toshi20 2016/04/16
    一方、引きこもりの中年女が家族殺して震災を機に力強く生きていく藤山直美主演映画が「顔」。傑作です。
  • 東北大震災で死んだ人は幸せな死後を送っているよな

    2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。 葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。 幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波にさらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体は放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。 ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。 あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。 しかし何処か釈然としないのだ。 私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つ

    東北大震災で死んだ人は幸せな死後を送っているよな
    toshi20
    toshi20 2016/02/29
    死は生きてる人の中にある。死は皆平等に「生の終わり」なので、「幸せな死後」なんて観念は生きてる我々が感じる幻想に過ぎない。よって「幸せな死後」などは存在しない。安心してご母堂の分まで生きてください。
  • 3.11以降に更新が途絶えたブログ - ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:01:15.01 ID:hFurtXQQ0 更新が途絶えたというだけで死んだと言うわけでもなく、 今頃仮設住宅暮らしをしているかもしれない ただ中にはブログ仲間から亡くなったことが伝えられたり 犠牲者名簿に管理人と同じ名前が記されていたりするものも 少なくはない そんなブログをいくつか簡単な紹介とともに書いていこうと思う 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:02:18.76 ID:uCf2aJqE0 ちょっと興味あるな 11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2012/03/04(日) 22:02:40.06 ID:OxldL40X0 被災してパソコンが扱える環境にないだけと信じたいな 12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお

    3.11以降に更新が途絶えたブログ - ゴールデンタイムズ
    toshi20
    toshi20 2012/03/05
    ブログという名の墓標の群れ。
  • 「くるまながされてる!しんじゃうよ たすけて」愛する娘の“最期のメール”が語った避難体制の死角

    1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 「生きているか、死んでいるかはどうで

  • 【既婚男性】震災で嫁に死なれちゃった既男 てんこもり。

    1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/03/16(水) 14:00:56.29 俺だけ生き延びちゃった 2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/03/16(水) 14:01:56.27 嫁は自分の家近くの遺体安置所にいる 自分はのうのうと親類の家に逃げてきた 5月になったらここの農園のイチゴ 嫁にわせてやるつもりだったのよ 一粒がでかくて子どもの握りこぶしくらいあるんだわ 4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/03/16(水) 14:04:19.23 俺らの住んでた所にもでかいイチゴはあったんだけど 高いからって嫁は遠慮して小粒な1パック300円のが 潰れて200円になってたの買ってきてて そんなん喜んでってる嫁にべさせたかった 5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/03/16(水) 14:05:5

    toshi20
    toshi20 2011/05/29
    電波復活後に奥さんから届いたメールの文面が・・・.。
  • 「子どもを置いて自分だけ逃げられない」自宅に留まり津波の犠牲になった引きこもりと母親たち

    通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日の「ひきこもり 」界隈を取材。東日大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書)  他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 「引きこもり」するオトナたち 「会社に行けない」「働けない」――家に引きこもる大人たちが増加し続けている。彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。理由とそ

  • Twitterで津波の被害実況していた人の安否が気になる - ゴールデンタイムズ

    118 :名無しさん@十一周年 :2011/03/12(土) 03:45:03.35 ID:4NMIJOAz0 それより この人たちはどうなったんだ。 http://twitter.com/uchida0hige#

    toshi20
    toshi20 2011/04/28
    1ヶ月半後、一方はつぶやき続けていて、一方は「存在しません」に・・・。/(追記)ふたりともご無事だったそうです。えがった。
  • 東日本大震災:被災男性とボランティア女性が婚約 南三陸 - 毎日jp(毎日新聞)

    避難所で愛を育み、婚約した(右から)村上希望さんと長男の優之介君、阿部誠輝さん=宮城県南三陸町立志津川小で2011年4月22日、泉谷由梨子撮影 東日大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の避難所で愛を育んだカップルがいる。町立志津川小で避難生活を送る阿部誠輝(せいき)さん(42)と、奈良県生駒市からボランティアに駆け付けたマナー講師、村上希望(のぞみ)さん(28)。16日に婚約。お互いの両親にあいさつした後、同町役場に婚姻届を提出する予定だ。「これからの町の歩みと同じ。ゆっくりでもこの町で一緒に頑張って歩んでいきたい」。2人は歩調を合わせ、新たな人生に踏み出す。【泉谷由梨子】 「役場に婚姻届を取りに行こう」 阿部さんが申し出たのは、村上さんが帰宅する予定の16日。避難所で思いを告げた。村上さんの返事はイエス。2人はその足で津波で流された後に設置されたプレハブの町役場に行き、婚

    toshi20
    toshi20 2011/04/23
    こういうことがあるのか・・・。/この場合、女性側の決断がすごいかっこいいな、と思う。被災地に骨を埋める覚悟か。
  • 暴走族が震災を機に解散、復興ボランティアへ 「敵だと思ってた大人達が味方だと判った」

    1 :名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/04/18(月) 11:35:08.68 ID:+VTcpTHV0● ?2BP(185) 茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族の解散式が17日、水戸署で行われた。 今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや浜辺の 清掃などを行うボランティアチームとして再出発する。 解散したのは、同町の高校生など15人で構成された「全日狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」。 メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、集団でバイクを乗り回し、 爆音を響かせてきた。 解散のきっかけは東日大震災。避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から 「飲む水はあるのか」などと気遣われ、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが 強くなったという。 泥まみれになった町役場の清掃に参加するメンバーも現れた。

    toshi20
    toshi20 2011/04/18
    前進するきっかけを得た人間は素直に祝福してやれよ>ねらーたち。
  • asahi.com : 津波「逃げて」最後まで誘導…警官、遺体で見つかる - マイタウン宮城

    渡辺武彦さんが避難誘導を続けた荒浜交差点。車は内陸(右上)方向の道路に導かれた=5日、仙台市若林区、四登写す 「巨大津波が来ます」。東日大震災発生直後、仙台市沿岸部の交差点で懸命に避難誘導する警察官の姿を、車で通り掛かった女性が覚えていた。女性は津波から逃れ、2日後に家族と再会できた。警察官は6日後、遺体で見つかった。 3月11日、仙台市若林区。勤務先で地震に遭った岩沼市の会社員鈴木和美さん(26)は、保育所に預けた長男(1)を迎えに、海岸から約1キロ内陸側の県道を南下していた。「ラジオはつけていましたが、津波を甘く見ていて、いつもの道を通っていました」 荒浜交差点に差し掛かると、交通整理の棒を回す年配の警察官に気付いた。「内陸へ逃げて」と声を張り上げていた。前の車は次々と内陸へ向かう。まっすぐ保育所に向かいたかったが、必死の形相に突き動かされてハンドルを切った。 交差点から西約3キロに

  • 「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」…ダンプ疾走、30人救う!

    1 :名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/07(木) 00:49:14.96 ID:TE8XRkXl0● ?2BP(100) http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110406t13047.htm 仙台市宮城野区蒲生地区で震災発生時、地元の土建業の男性が、住民ら30人余りを ダンプカーで運び、救助していた。 会社周辺と避難所の中野小を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転で JR中野栄駅付近に逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、 確実に津波にのまれていた」と感謝している。 男性は泉区の土建業小野喜満さん(41)。実家と会社は蒲生地区にあり、3月11日は 会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。 すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メー

    「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」…ダンプ疾走、30人救う!
  • 「一緒にいてけれ」 母の指輪手に避難所でプロポーズ - 日本経済新聞

    「大事にすっから、これからはずっと一緒にいてけれ」――。宮城県南三陸町の男性が地震で連絡が取れなくなった交際相手を捜し出し、避難所でプロポーズした。契りの証しとして手渡したのは、津波で壊れた自宅から見つけた、父が母に贈った婚約指輪。大震災の爪痕が今も残る海辺の町で、若い男女が新たな一歩を踏み出した。男性は南三陸町の水産加工会社に勤める高橋麗さん(25)。津波からは間一髪逃れたが、約1年半交際し

    「一緒にいてけれ」 母の指輪手に避難所でプロポーズ - 日本経済新聞
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    toshi20 2011/03/28
    一刻も早く初夜が迎えられる環境になることを祈る。
  • Togetter - 「NHK_PRさんは阪神・淡路大震災経験者だった」

    2011年3月11日以降も、怒られようが罵倒されようが一貫した「ユルい」ツイートには理由(わけ)があった。 自身が震災を経験したことは、時々リプライで明かすだけ。 一連のツイートは、経験に基づいたNHK_PRさんの思いであるのだと知りました。 沢山のツイートやリプライから、神戸出身であること、震災の経験、業務では新潟中越を担当していた事等告白しているものを、一部抜粋しました。 【追記】 続きを読む

    Togetter - 「NHK_PRさんは阪神・淡路大震災経験者だった」
  • Twitterの「死にたくない」のひと生きてた : はちま起稿

    Twitterの「死にたくない」のひと生きてた 2011年03月20日16:00 ニュース コメント( 23 ) Twitter はてなBM 生存確認 【うちだ@貴公子中毒 (uchida0hige) on Twitter】 仙台ツイター\(^^)/ ↓ 全く車の知識のない人間が1人で車屋に乗り込んで、成約してきました。 押しに負けて、タッチパネル式カーナビも付けてみました。 ↓ 帰ってきて早々ついてないなぁ 我が家は新築なんで無事でした 津波くるな 我が家父が車イスだから避難できないんじゃ ↓ あああ停電 水道使えない 寒い とにかく親が無事でよかった ↓ 津波くるなよ…きたらぶったおす… ↓ ツナミキタ ↓ つなみこわいよー ↓ 泣けるー ↓ 死んでたまるもんか 家族全員無事で助かって見せる ↓ 人生最高の日だったはずが人生最悪の日に… ↓

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    toshi20 2011/03/20
    リアル人生を賭けた「てってれー!大・成・功!」。
  • 卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 | 立教新座中学校・高等学校

    諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。 とりわけ、強く、大きく、校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうして

    卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 | 立教新座中学校・高等学校
    toshi20
    toshi20 2011/03/19
    あとで改めて読む。
  • 【東日本大震災】15年間の引きこもり男性、自宅流出も避難せず奇跡の生還 - MSN産経ニュース

    岩手県野田村の海岸線近くに住む無職男性(48)は約15年間外出せず、引きこもっていた。自宅ごと流され、一時は死を覚悟したが奇跡的に生還、「幸運だった」と語った。 男性は母親(72)と2人暮らし。勤めていた東京の会社が約15年前に倒産。故郷に戻り、引きこもるようになった。「避難はおっくうだった」と男性。11日の激しい揺れの直後、「逃げなきゃだめだ」と何度も訴える母親の言葉を聞き入れなかった。母親だけが避難した直後、ドンという音とともに、自宅は流された。部屋の壁が崩れ、天井が落ちてきた。あっという間に胸まで水に漬かり、屋根の梁に手を伸ばし必死に抱え込んだ。わずかな空間で呼吸し、屋根ごと1キロ近く流された。 だが間もなく屋根は真っ二つに割れ、濁流の中に。ようやくビニールハウスの骨組みをつかみ、波に耐え続けた。どこにいるか分からなかったが、寒さに震えながら高台へ歩き、隣の久慈市の避難所に着き、母親

    toshi20
    toshi20 2011/03/18
    逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ!(家から)
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