タグ

コミュに関するImamuのブックマーク (234)

  • heuristic ways - 「男らしさ」の明暗

    庄司薫氏は、十年ぶりに発表した小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞を受賞したとき、「受賞の言葉」でこういうことを言っている。「この十年間ぼくが考えてきたのは、「男の子」いかに生きるべきか、とでも言ったこと」であり、絶えざる自己鍛錬や努力の結果「ぼくがたどりついたのは、余りにも素朴で笑われるかもしれませんが、みんなの幸せを考えること、そしてそのためには強さにささえられたやさしさとでもいうべきものを育てること、「これぞ男の生きる道」といったことでした」と。庄司氏は、「『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、何よりもこの「他者への愛」を描こうとする努力だった、と言っていい」とも書いている。庄司氏にとって、「男らしい」という規範は、「他者への愛」、「みんなの幸せを考えること」、「強さにささえられたやさしさ」を育てることなどに結びついた自我理想であり、その対極にあるのは、「平気でエゴイスティックな目的を求め

    Imamu
    Imamu 2007/03/27
    『「男らしさ」もまた人為的に獲得され実現されるべき「プロジェクト」であり、私が嫌悪していたような粗暴で野蛮な「男らしさ」は、「権力」または「権力意志」の暗黒面や失敗例を示すものではないか』
  • ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている) - あいぼん解雇

    http://www.helloproject.com/newslist/kago_0703261829.html ・第1部 「事務所の管理が甘かった」という意見もあるけど、そんなの内情がわからない以上、知りようがない。 「加護がファンを裏切った」という意見もあるが、それだってあらゆるアイドルが裏で何をやっているかわからない以上、加護ちゃんだけを断罪するわけにはいかないだろう。 自分がこの件について心配なのは、 「あー、やっぱり『アイドル』っていうイメージはダメなんだね、世の中に『いらない』ものなんだね」と世間が思うということだ。 どういうことかというと、 大塚英志だったかササキバラ・ゴウだったか忘れたが、かつてのアイドル・岡田有希子の自殺について、 「生身の女の子に『アイドル』というイメージを押しつけすぎたからではないか」と、「アイドルというイメージを押しつける人たち」を批判していた記憶

    ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている) - あいぼん解雇
    Imamu
    Imamu 2007/03/27
    面白ひ。重要。最重要。「アイドルというイメージを押しつけ」批判or『「アイドル」という「イメージ」はあってもいい』派→『ただ、その役割を担う人間が生きやすいようにした方がいいんじゃないか』
  • オタクはネットでおばちゃん化するか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    第三の波平 オタクってなにか不気味な人々という感じから「動物化」と名付けられて、人々が納得し、そしてオタク自身も安心した。しかしネットの普及の中で明らかになったのは、なんだよ、ただの「おばちゃん」じゃん!ということ。なにも違わない人間くさい人々だったということでは? ギートステイトで動物管理がどうこうといっても、もはやリアリティがないのではないでしょうか。社会が管理社会化、工学化していることは否定しないが、それとともにネットで、オタクはよくしゃべる。ネットによって、オタク幻想は終わったといっても良いのでは。オタクが特に「動物化」しているという選民性はどこにもないような。 考える名無しさん 面白いんだけどネット上の掲示板やブログにおいて、という文脈だけからオタクのおしゃべりを見て、ネットを介さない対面的状況、という文脈だけからおばちゃんのおしゃべりを見て、両者を比較検討してもあんまり……とい

    Imamu
    Imamu 2007/03/13
    『回りを気にしすぎてフリーズするのを、キャラを演じることで回避する。この手の不器用な明るさは、良く言われる小倉優子的なものよりも、宇多田ヒカル、菅野美穂に感じる。彼女たちの笑いは病的ですね』
  • 2ちゃんねるを殺伐としたサイトにしたほんとの理由: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

    2ちゃんねるを殺伐とした理由について ひろゆきから反論があった。 その反論は、ネットでの効率的な情報交換について 考えさせるものでおもしろい ●面倒なあいさつは抜きにしたい 何号かまえに、2ちゃんねるがわざと殺伐としたサイトにデザインされているという話をとりあげた。殺伐とした人間模様にしたかったからではないか と書いたところ、管理人の西村博之氏(通称・ひろゆき)から、それは誤解だとブログで反論があった。その理由が彼らしく、また、ネットでのコミュニケー ションを考えるうえでもおもしろい。 2ちゃんねるを殺伐としたサイトにしたほんとうの理由は、「第3者が見たときに情報価値が高くなるように」ということだと、次のようなやりとりの例を挙げて説明している。 パターン1 Aさん「はじめましてこんにちは、わたしはの写真を集めたサイトを社内で作ろうとしてるのですが、サーバ内のHDDの残り容量がわからないの

    Imamu
    Imamu 2007/03/11
    「殺伐としたサイトにしたのは簡潔なやりとりが交わされるようにするため」but「ノイズを生みたい心理」2chのデザイン:「アンダーグラウンドな雰囲気」
  • 「比較・競争」構造の政治学 - heuristic ways

    大塚英志『サブカルチャー文学論』の中に「庄司薫はデレク・ハートフィールドなのか」という章がある。*1 それを読んで私は、庄司薫氏が連合赤軍事件について1つだけエッセイを書いていること、そして実際に連合赤軍のメンバーのうち2人が庄司氏の「日比谷高校の後輩」だったという事実を知り、興味をもった。私は庄司薫の小説をまだ読んだことはなく、庄司氏が福田章二の名(名)で書いた『喪失』という作品集も読んでいない。ただ、福田章二氏が20歳前後の大学生のときに『喪失』を書いた後、十年間「沈黙」して、十年後に突然のように庄司薫名義で『赤頭巾ちゃん…』を発表したというエピソードは好奇心をそそるものがあった。とりあえず『狼なんかこわくない』(中公文庫)というエッセイ集を購入してみたのだが、このには2006年改版の際に御厨貴氏の解説が新たに付け加えられている。御厨氏はその中で、「『狼』は「政治学」のテキストとし

    Imamu
    Imamu 2007/03/11
    『「戦後民主主義」の特徴の一つは「同輩集団」内の「平等」と「競争関係」という設定にあるのではないか』『「普通」という基準は、こうした「比較(競争)」を通じて「作られていく」』
  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている

    以下のエントリ群と、それに対するトラックバックやブックマーク数をご覧になって欲しい。私は人生ゲームに喩える、という視点があっても良いとは思うし、そういった視点から得られる教訓やユーモアを貴重なものとは思うけれども、人生ゲームに擬える視点がこれほどまでに一般化・陳腐化している事には驚かざるをえない。 はてなブックマーク - 人生は神ゲーだ はてなグループ はてなブックマーク - 煩悩是道場 - 人生は神ゲーなんかじゃない はてなブックマーク - 人生は糞ゲーだ - うさだBlog 人生を神ゲーに喩える人、糞ゲーに喩える人。ゲームが楽しいという前提に立って、ゲームほど楽しくないからゲームじゃないと言う人。堀井雄二さんの「人生RPG」以来、人生ゲームに喩える表現はこんなにも一般化してしまっている。 ロールプレイングゲーム、とりわけ見下ろし型のロールプレイングゲームやシミュレーションゲーム

    シロクマの屑籠(汎適所属) - 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている
    Imamu
    Imamu 2007/03/06
    そして、普通の人に対してあまりにもメタ化視点で話をしすぎると嫌われる。
  • 日本のSNS利用はもう限界なのか

    SNS(ソーシャルネットワーキングサイト/サービス)のユーザー加入数が頭打ちになってきており、また、その利用時間も減少気味であるという。mixiなど2004年初めから日でも開始されたSNSだが、2006年をピークにその利用は峠を越してしまったのだろうか。 つながり重視の日SNS 海外の研究者と共著でSNSに対する考察を書いている。日韓国、米国でSNSというサービスが社会的にどのようにとらえられ、またユーザーはどのような利用行動をとっているのか、各国で異なるSNSサービスに求められる特徴とは何か、といった議論をしている。 それぞれ手元にあるデータや、対象とするSNSの仕様そのものが異なっているため、3カ国(論文では日韓2カ国の比較が中心となる予定)の完全な比較は難しい。だが、ほかの著者らとのやり取りを通じて感じているのは(きわめて粗っぽい仮説だが)、日におけるSNSは人と人の「つ

    日本のSNS利用はもう限界なのか
    Imamu
    Imamu 2007/03/05
    『つながり重視の日本のSNS』/『情報発信/自己主張型』の海外SNS
  • 最小表現コストと「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」 - umeten's blog

    ちょっとだけ帰ってきた過下郎日記 - 「甘え」をめぐる(不毛な)議論 「甘え」論議については、id:hazama-hazamaやid:crowserpentに同意することひとしきりなので、そこから派生した別の問題に少しだけ触れる。 これである。 <コメント欄> >ラジオ氏 あんたの言っていることが一番つまらん。 議論の流れの中にあってまったく異質な粗暴な表現ではある。 しかし、粗雑な口語表現というのはコミュニケーションを交わす上での最小表現コストなのである。 そしてまた、それには当人ごとにそれぞれ「最適化」された形態というものがある。 それゆえ、コミュニケーション表現にはそれぞれの「個性」というものが発生することとなる。 その「粗雑さ」=「個性」というものは、感情的なものになることも、情緒的なものになることも、乱暴なものになることも、丁寧なものになることもある。 より文字表現に即して言うな

    最小表現コストと「コミュニケーション拒否のためのコミュニケーション」 - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2007/03/01
    『「自分にとっての最小表現コストは、すなわち相手にとっての最大解析コストとなる」』『「冗談だよ」「ジョークだよ」「ネタだよ」』→「相手にコストを押し付けている」
  • 革命的非モテ同盟跡地

    Imamu
    Imamu 2007/02/24
    『喪男が「善悪」を問題にし、非モテが「利害」を問題にしている』
  • こころ世代のテンノーゲーム - 「現場主義」〜「日本ルール」記事についた最も恐ろしいコメント〜

    # しゅふ 『というか、そういう子育ての現場にいなさそうな人のエントリっぽいので、論理的に説明されてても戯言にしか聞こえないなあ。自己責任が招いた事故だから子供殺されても仕方ないってことなんだろうか?よくわかんない。』 (2007/02/16 05:00) 「みんなと同じ」でないと「異常」であるという日ルール - こころ世代のテンノーゲーム 短絡的な罵倒や定型区的な書き込みはともかく、これは、これこそは最も恐ろしいコメントである。 それは「現場にいない人間の思考や想像力はすべて無効である」という、一見もっともらしいがその実最も反社会的な考えであるにもかかわらず、「実感として正論である」と受け入れられる考え方である。 これを真実だとするなら、今話題の経済学論争など、見事にすべてがたわ言・戯れ事だということになるだろう。 ことはそれに留まらない、そもそも「現場に携わっていることだけが発言を保

    こころ世代のテンノーゲーム - 「現場主義」〜「日本ルール」記事についた最も恐ろしいコメント〜
    Imamu
    Imamu 2007/02/20
    『「現場にいない人間の思考や想像力はすべて無効である」という考え方』はナンセンスなのに『実感として正論である』とされる問題
  • 頭の良さ、という価値基準〜バカと思われたくないあなたのための〜 - 絶叫機械

    「はまる人」には心情というか心理として以下のような傾向があるのではないか。 一見怪しいように見えるところに真実がある、と思っている(サルトル言うところの不透明性への憧憬みたいな) 「一見怪しい」ということで世間は遮断してしまっているが、それは間違いなのではないか、と思っている 「世間が認める、当たり前の話」より「一見怪しいように見えるけど世間のほうが知らないだけの話で、それをあなただけに教えてあげる」ような話のほうが信用できる 秘芸ちょう「マルチにはまる」のは似非科学を信じる心理ともなんか似てるんじゃないか。 うーんなるほど、確かにこの三つはわかりやすいし、もっともだとも思うけど、マルチにはまるひとが当にこんなことを考えているんだろうか?という疑問は残る。 私の知り合いが、マルチにはまっていたことがあるのだ。そのつてで、何人ものマルチ会員と知り合うことができた。知り合いは、今はすっかり憑

    頭の良さ、という価値基準〜バカと思われたくないあなたのための〜 - 絶叫機械
    Imamu
    Imamu 2007/02/19
    ヤンキー『「私は難しい問題に対して無遠慮な態度を取りますよ」と自己表明』/ヤノタ(ヤンキー+オタク)/オタク『「豊富な知識」と「考え方の方法」を駆使』
  • 「自己本位」というポジション(heuristic ways)

    先日、図書館で柴田勝二『漱石のなかの〈帝国〉 「国民作家」と近代日』(2006年)というを見つけ、借りて読み始めたところ、冒頭に漱石の「個人主義と国家主義」の問題について書かれているくだりがあった。そこでは、漱石を『文学論』の構想・執筆へと向かわせた「自己位」の姿勢とはどういうものであったかということが、「私の個人主義」(1914年)などの講演を参照しつつ論じられている。 もともと漱石が任じようとする「個人主義」の起点をなすものは、漢文学への親炙のなかに育ちながら、青年期にそれらとは距離のある英文学を研究分野に選ぶことで、文学の包括的な像を見失った際に、価値判断の基準として浮上してきた自己の内在的な感覚としての「自己位」である。 この一節に何か心揺さぶられるものを感じて、少し考え込んでしまった。たとえば私がフリーターになったのは、学校教育や消費社会への親炙のなかに育ちながら、青年期

    Imamu
    Imamu 2007/02/19
    『彼ら((ホームレス~フリーターやニート、引きこもり~))が「自己本位」にみえるのは、彼らが社会の正規メンバー(成員)として位置づけられるべき「自己」をもたない結果であって、原因ではない』
  • FC2Blog - Forbidden

    このページの表示は許可されていません このブログは下記の理由などにより凍結されています。 規約上の違反があった 多数のユーザーに迷惑をかける行為を行った。 30秒後にトップページへ移動します

    Imamu
    Imamu 2007/02/19
    チョイを肯定的に捉える思考。『じゃあどう「ラインを引く」ことが一番暴力的でないのか、もしくはラインの外に弾かれても生きていけるような保障をどう作るか』
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    Imamu
    Imamu 2007/02/19
    『「チョイ」を付けた形で、極端な価値対象を共同体の内部へと回収してしまおうという最近の傾向』『「異端」を「中庸」へと引き戻さないではいられない、ヒステリックなほどの均質性への拘泥』
  • Welcome To Madchester - ハイスクールABC-全てのティーンエイジャーと”心が死んでいない”大人たちへ-

    ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて 作者: 長谷川町蔵,山崎まどか出版社/メーカー: 国書刊行会発売日: 2006/11メディア: 単行購入: 9人 クリック: 144回この商品を含むブログ (51件) を見る 値段は2,100円とやや割高ですが、自ら非モテたらんとする人々は是非ご購入をお勧めします*1。 そして、手に入れた暁にはまず、裏表紙をご覧ください。 これだけでご飯3杯はイケます。「これがハイスクールU.S.Aだ!」と題してイカすイラストと共に、このの主人公達、アメリカ学園映画の世界を生きる人々が分類されています。以下引用。 Jocks(ジョックス)…体育会系のいじめっ子。アメフト部。 Queen Bee(学園女王)…女子の勝ち組。チアリーダー。 Sidekicks(サイドキックス)…学園女王の取り巻き連の中でも最高位の連中。 Wannabe(取り巻き女子)/P

    Welcome To Madchester - ハイスクールABC-全てのティーンエイジャーと”心が死んでいない”大人たちへ-
    Imamu
    Imamu 2007/01/31
    日本版のアレンジが相変わらず面白ひ。
  • レジデント初期研修用資料 対話の論理と劇場の論理

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 立場の違いによって最適な議論手法は異なる 立場の強い側は対話的な、立場の弱い側は劇場的な議論手法が最善手 対話の論理は原因を人間に求める。「悪い人間は誰か」「どちらが悪なのか」が争点になる 劇場の論理は原因を構造に求める。問題は悪人が生じる「構造」であって、人間それ自体ではないと考える 対話の論理では「正義か悪か」が大切なのに対して、劇場の立場は「悪」であることを受け入れるところから議論が始まる 劇場論理を行使する者は、まず悪であることを容認して、その上で悪役を作らざるを得ないシナリオの問題点を指摘する 片方が対話の論理を取り、片方が劇場の論理を取った議論は全く噛み合わないか、泥仕合になる 相手を自分のフィールドに引きずり込むところから議論は

    Imamu
    Imamu 2007/01/30
    「強者の論理=対話=原因,人」/「弱者の戦略=劇場型論理=原因,構造」///「のび太―次元―ゴルゴ13」
  • 苦痛による避けられない意識化 - 世界線航跡蔵

    恋愛からの自由—「恋愛普遍主義」批判 」を読んだ。コメント欄が興味深い。 # p_shirokuma 『恋愛からの自由に歓びを感じるべきなのだ、という人がこうやって滔々と恋愛に言及なさるんですね。なるほど。』 (2007/01/21 12:48) # Imamu 『そうやって無理やり「オマエも当は恋愛したいんだろぉ」という「物語」に回収しようとすること自体が恋愛普遍主義に犯された人の意見なんじゃないかと』 (2007/01/21 13:20) ありがちと言えばありがちな反応である。前提Aを押しつけられることが苦痛だ、と言っている人に対してそんな前提を気にしているのはお前だけだと言う。属性Bによって抑圧されることは不当だと言っている人に対して、誰もそんなことは気にしていない、気にしすぎだ、という。 でも、誰も気にしないような些細なことであっても、それによって苦痛を与えられ続けていればど

    苦痛による避けられない意識化 - 世界線航跡蔵
    Imamu
    Imamu 2007/01/25
    id:Imamuもポジショントークですしね。元記事は「差異認識のための記述」だから、それに「どのような感情(感傷)を読み込むか」は読み手側の問題なんだけど・・
  • 出られないから仕方なくここにいるよ。 - 男がではなくて、満たされない人が簡単に惚れるのかも

    はてな匿名ダイアリの例の記事が発端に盛り上がっている一連の流れ。このエントリを書いた頃は、まだどうにか話の流れに付いていけたのだけどもうムリ。男女の友情がとか以前に友達がいないし。と話を追うのを諦めていたのだけど、先日トラックバックを頂いたブログの最新記事(旧)増田の杜: 男は簡単に惚れすぎるんじゃないかを読んだら、少し思いついた事があるので書いてみます。「さすがこういう話には敏感」と、id:kanoseさんにブクマコメントで言われてしまったけれど、どうしてこんなに男女の非対称が気になるのか。その答えも少しわかった気がするので。 唐突だけれど、「とにかく誰かに認めてもらいたい。だから自分を好きな人が好き」という精神状態を第1ステージとします。物心ついたばかりの頃はおそらく誰もがこの状態で、親や友達や尊敬する人等に褒められたり認められたり必要とされる経験によって徐々にその欲求が満たされて、や

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    Imamu
    Imamu 2007/01/21
    「相づちを繰り返し、同意し、続きを話すよう促し続けてください」
  • SOS : 404 Blog Not Found

    2007年01月19日06:30 カテゴリLove♪替え歌 SOS そんなpalさんをはじめとする喪男諸君にまずは一曲。このアルバム2曲目。 ピンク・レディー ベスト ピンク・レディー pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんが増田で、こんな意見がでたが、まぁ、この女二人は、どうかしてるんじゃないかねと思うが。 ♪私は狼なのよ 気をつけなさい ♪年頃になったなら 慎みなさい ♪キノコをかぶっていても 心の中は ♪狼が牙を剥くそういうモノよ ♪このオレだけは 大丈夫だなんて ♪うっかり信じたら ♪ダメダメダメダメダメよ ♪SOS SOS ♪ほらほら書かれているわ ♪きょうもまた君か 乙女のピンチ SOSといっても20代だとむしろこっちを思い出すかも。私でさえ当時まだ「狼」じゃなかったはずだし。しかしこれほど過不足ない歌詞というのも珍しい。 歌はこれくらいにして、

    SOS : 404 Blog Not Found
    Imamu
    Imamu 2007/01/20
    「むしろ一日24時間週7日、ひたすら「男」でいられる方が難しい」/「社会的距離の非対称」