私が「デモクラシー」という言葉を使わない理由 ――宇野さんは、これまで『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)や『民主主義のつくり方』(筑摩選書)など、デモクラシーや民主主義をテーマにした著書をお書きになっています。これらの著書が現代の民主主義を考察の対象にしているのに対して、新しく書かれた『民主主義とは何か』(講談社現代新書)は、古代ギリシャまでさかのぼって、民主主義の歴史をたどる内容になっています。今回の『民主主義とは何か』は、宇野さんがこれまで書かれた民主主義論のなかで、どのように位置づけられるのでしょうか。 私はあまり計画的にものを書く人間ではないので、長期的な構想にもとづいて本を書いているわけではないんですが、以前に書いた『〈私〉時代のデモクラシー』と『民主主義のつくり方』とは、1つ大きな違いがあるんですね。それは「デモクラシー」という言葉を使わず、「民主主義」と言っていることで
――アメリカの調査機関ピューリサーチセンターが今年2月に発表した調査では、34カ国で平均52%の人々が、うまく機能しない自国の民主主義に「不満だ」と答えました。日本も53%に上ります。今、代表民主制というシステムが、うまく機能していないように見えます。 選挙で選んだ誰かに政治を託す。それが代表制というものですが、これは「欠点」をいくつも抱えています。油断すると、選ばれる人が固定化し、利益集団を代表して資産が流れ込みやすい。二世、三世の議員も多い。自民党の世襲率は4割弱に上ります。こうしたことが積み重なって、自分たちの意見がくみ取られていないと不満が高まってしまう。政治に参加しても報われたという感覚が持てない、つまり政治学で言うところの「政治的有効性感覚」をくじかれてしまうわけです。 本来、みなで顔を合わせて議論して決める直接民主制が理想として望ましい、と私は思います。歴史をひもとけば、約2
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