築地本願寺 隈*1 第三期歌舞伎座ができたときに、そのスーパーシンメトリーが爆発的にうけて、それが銭湯でも広く採用されていったんです。江戸時代の銭湯は生活の一部でもあったので目立たせて客寄せする必要もなかったんですが、関東大震災の前後から家庭にお風呂(ふろ)がつけられるようになって、銭湯に行くということが「ハレ」になったんです。そこから客寄せのためにスーパーシンメトリーな銭湯が出てきたわけです。 斎藤 環『ヤンキー化する日本』(角川oneテーマ21)、p.219 これはたぶん宮造りの銭湯のことを指す話なのだろう。以前取り上げた*2引用をまた取り上げて確認してみる。 東京型宮造りの銭湯を数多く手がけた大工の棟梁、飯高作造さんが1月に亡くなった。 私が飯高さんと初めてお会いしたのは1988年のこと。当時飯高さんは57歳、飯高建設株式会社代表取締役という肩書きはあったものの、いかにも職人という風