仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
年賀状ばりに id:y_arim氏に丁寧にもブクマコメントにお返事を頂いてしまったので、こちらも簡単に書いてみようと思う。 「異を唱える者とは徹底的にやりあうべし」やりあって戦争にならない上手い方法があればいいけど。消耗戦になった結果数が多い方だけが生き残るような世の中は見たくないな。/「嫌なら見るな」撲滅したくない派。 そういう意味での戦争をぼくは否定しません。最初から、触らぬ神扱いして異なる価値観と共存することにはどうしても馴染めないのです。このあたりはネット上のライトノベル論壇(というものがガンダーラあたりにはあると聞きました)への強い反感とつながっています。 正直に言って 彼の気持ちは良く分かる。 その怪しげな神がガンダーラにいるかどうかは分からないけれども、「最初から、触らぬ神扱いして異なる価値観と共存することにはどうしても馴染めないのです」と彼は言っている。 例えになっているか
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
もらいもののフラワーアレンジメントと冬毛のマイスイートハニー。昼間なので目つきが悪いが、夜はもっと目がまん丸で可愛いんだ!(と力説) この花は造花じゃないです。こういう飾りの毛糸の帽子みたいに見えるけど、ナマモノ。りんごも食べられそう。 ● 障害者を馬鹿にした芸人『スパルタ教育』に非難の嵐 障害者を馬鹿にしたネタが『ニコニコ動画』や『YouTube』などの動画共有サイトに出回り、波紋を呼んでいる。 問題となったのは“スパルタ教育”という芸人がライブで行った映像を録画したもの。 動画自体は51秒と短いのだが、始終障害者を差別した内容となっている。 この動画をみた多くの人から苦情が寄せられ、スパルタ教育のサイトに謝罪文が掲載された。 youtubeで問題の動画を見てみましたが、ぜんぜん笑えないし下らないだけなのでリンクは貼りません。確認したい方は各自検索を。 このニュースを見て思いだしたの
ネット上とはいえ、自分のことを隠さず話すっていうのは勇気の要ることだとおもう。正直な気持ちと現状を教えてくれてありがとう。具体的な状況が分かったので、もう一段深く、具体的な助言ができると思うので、書いてみるよ。 繰り返しになってしまうけど、自尊心に執着しないことが優越感ゲームに勝つ唯一の方法だよ。とりあえず、ここは(より根っこの深い問題だとは思うけど)今回の本題ではないので、さらっと流して読んでほしいです。 つまりですね、「普通に生きてりゃ恋人ぐらいできる」だの「非モテは努力が足りない」だのと言ってる奴は何がしたいのかというと、優越感ゲームで快感を味わいたいだけでしょう。そんな奴のダシにされるのは腹が立つから、売られた優越感ゲームを買って出て、カウンターでそいつの劣等感を刺激してやりたい。そうすれば、相手も「優越感ゲームをやられると腹が立つ」ということを思い知るでしょう? 優越感ゲームを仕
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
頭のいい人、悪い人の話し方の違いについて考えてみようというスレです もしかしたら自分に当てはまる部分もあるかもしれないので、この際にいろいろと議論してみましょう
小学生の時に、同級生の女の子が意地悪をしてきたので言い返したら相手が泣いちゃったのです。他の女の子に「泣かしたにちのちゃんが悪い!」と取り囲まれて口々に言われてくやしー思いをしたことが有ります。私は泣かなかったけど!ぷん!…や、まあ私も悪かった気もするけど。私みたいな、めんどくさがりーで人と定期的に何かを一緒にしようと思いにくい性質の一人大好きっ子からすると、「人と強くかかわりを持って長期的に一緒にいる」のは気が向きにくい。です。動機が薄いと言うか。*1回避的で、ゆるさが保障されているような、比較的に流動性の高い人間関係を好んでいる気がします。*2そういう私からすると、好き嫌いで人格を判断されたり大人数で囲まれてワーワー言われるとちょっと都合が悪いのです。できれば好き嫌い関係なくお話して欲しい。私のために!けどまあそれは勝手な個人の欲求なので相手に押し付ける気はあんまり無いのですが。私が、
変に仲間内で炎上したから。 キッカケはとてもクダらないだが、おいらが『イジメ』について書いたから。 書いた、って言っても、 ≫学校でも、社会でも、いつでもイジメってのはあるわな??。 みたいなごく当たり障りのない一般常識的内容。 そしたら、過剰反応を示した奴らがいてさ、たちまち罵倒の嵐。 おいらはそいつ等のコトを、友達として付き合ってって、若干ついていくのがシンドイとは思ってたけども、わりかし好きだったんよ。オタクな所も引かなかったしさ。 でもさ、いくら内容に憤りを感じたからと言って、 ≫自分らがイジメをしてるとでも言いたいんか?!もう俺らに関わるな。 ≫愛想笑いするお前にウンザリ。 ≫こんな所で陰口叩くな。 …だってよ。おいら、なんか不味いこと書いたか?こっちが悪いのか? それ以来、ブログに書き込んでも、どんな反応が返ってくるか怖くて見れない。 あの反応のコメントを思い出すたびに、吐き気
あーこうやって余りに自己評価低い奴は見ててイライラする。 自己評価高い奴の方がよっぽどマシ。 自己評価高い奴は割りとすぐ批判されがちだが、低い奴ってのは謙遜と言う文化があるからか批判しにくい雰囲気が出来上がっていて、寧ろ同情とかされ始めるため高い奴よりもよりイライラする。 というかそもそも自己評価高い奴は他者を見下すというオプションがつかなければそこまで問題はない。低いよりは高い方がマシだ。 且つ、こうやって彼氏等に対して優しくしてくれるたびごめんなさいとか感じるのは、彼氏に対して滅茶苦茶失礼だろうが。ビクビクしてりゃいいってもんじゃねえぞ。あんまりに自己評価低い奴ってもう一種の悪だね。大体自信ない割りに「エビちゃんみたいに可愛くなくてごめんなさい」って比較対象いきなりエビちゃんかよ。超自信満々じゃねえか。エビちゃんみたいに可愛くないのは普通っつーかほとんどの女性がそうだろうがよ。この手の
みなさま こんばんは。母上です。 あたくし、あるお母様のブログを覗かせていただいております。 今までは『覗く』つまりロムが多かったのですが 共通点があり、また質問もたくさんあったため ちょこちょことコメントをさせてもらっていました。 今日はそのお話ですので おもしろいとは言えません。ごめんね。 スルーしてね! そのブログ管理人の方が書かれた、ある記事に 同感し、あたくしもコメントいたしました。 その『あたくしのコメント』に関して 異議がある方が、あたくしに対して反論。 それは・・・どうでしょう???? 管理人のかたはとても大人で 律儀にも『そうじゃなくてね』と コメレスをしておられました。 あたくしは少々、ムッとしたのですが ここで管理人さんをそっちのけで 人の庭で売られた喧嘩を買うわけにもいかず ただただ、管理人さんに余計な気を使わせたと 心が痛むばかりです。 ブログに対するコメントが難
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756 何やら、立派にみえることを勧めている人を発見しました。曰く、「世界にただ在るものとして在る強さを持て」とのことです。他人からの評価に右往左往することなく、『エヴァンゲリオン』のシンジやアスカのように他者からの評価に汲々とすることなく、独り屹立する自分自身、なるものを推奨しておられるようです。「本心からしたいことをしなさい。誰にとって価値がなくとも、誰に承認されずとも、あなたは別に好き勝手に存在していいのである。人は本質的に、無限に自由なのだから。」。そのうえで自己承認欲求を後ろ向きなもの、とid:y_arimさんは述べてます。もし個人が、ロードス島の巨神像や足摺岬の灯台のように揺るがなく立つことが出来るとしたら、それはそれで美しいことだとは思います。 しかし、そんなことって娑婆世界を生きる私達
飲み会の時とか、中座した人の悪口*1言ってるのを聞いてる時にどんな対応をしたらいいのか、どんな顔をしたらいいのか未だに分かりません。何々さん戻ってきちゃいますよー、とか言えばいいのか?賛同してるが聞かれたくないみたいでやだな。笑顔で受け流す?笑えませんて。つーかいつ戻ってくるのか分からないのにリスキーよね。あと時々思うのですけどサラリーマンって(男女問わず)愚痴とか同僚・上司の悪口が酒の肴なんですかね。おいしいかい。友達少ないので機会は少ないが、飲みは社外の飲みに限るかもしれない。こうして非コミュ化がどんどん進むんだな*2。何か入社まもない男の子よりもサラリーマン的所作が出来てないことに凹む。が、そんなん覚えなくっていいもん、とかちらっと思っちゃう(中二)。
という発想が自分の中に根強くあって、これが多分全ての元凶になっている。 僕は人を信じることができません。 全ての胸の内を明かせる他人なんてものがいません。 これは、周囲の皆さんに問題がある訳ではなく、僕が純粋に他者を信用できないというだけの問題なので、決して気には留めないで欲しいのですが、人を信じることができないというのも、多分心のどこかで僕が、物に依存することを拒否しているからなのではないかと思います。 でも、この生き方にも問題があって。 人って結構、何かに縋らずには生きていけないぐらいの強さしかないみたいです。 それを補っているのが、宗教、または信仰なんだと思います。別に対象が宗教団体でなくても、愛、友情、ファッション、流行、スイーツ(笑)でも構いません。 楽しさ、素晴らしさ。そういう価値観。 何かに寄り添って生きていけないというのは、辛いことです。多分僕が生きているのが苦しいのは、色
人を育たせるために必要なことは、この題名に書いていることが全てなんじゃないだろうか。 どんな人間もやり方を教わっていないものはそう簡単に出来ない。人に教わろうが自分で独学で勉強しようが、とにかく何かしらの方法でやり方を学んでいるはずで。プログラム書きたいって言ってもやっぱり師匠なりネットなり本なりで、やり方を教わっているはずで。どうして出来ないんだ?って思うときもあるけれど、その理由の大半はやり方を教わってないからだと思う。もしくは教わっているものを狂おしく曲解しているか。曲解って自分が正しいと思ってるから曲がって理解しちゃうんだよね。それ理解じゃないよ。誤解っていうんだよ。 もう1つの与えられてないものは返せないってのも、すごい重要な考え方だと思う。うちのおかんの名言。なんでもいい。優しい言葉をかけてくれたこと、好きになってくれたこと、愛してくれたこと、気を遣ってくれたこと、プレゼントを
「正論」や「届かない他者幸せ」は、事実ある人間にとっては暴力として働く。で、どうすんの? 暴言を言う自由はあっても正論を言う自由はないとはこれいかに http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2007/1119003234.php ふたつの主張のぶつかり合いのうちどちらが「正しい」かをおのれ自身は「価値判断」し、それを表明していながら、一条さんに対しては「自分が正しいという絶対の自信を持つことは暴力である」といっているわけである。めちゃくちゃな話である。 自信を持って「正論」を言うことが、ある人にとっては暴力になるということは、ただの事実です。僕は一条さんを「批判」したのではなく「事実」を指摘したつもりです*1。 それを「正しいから暴力ではない」などとするのは、嘘で正当化でオナニーです。「正論」はそこまで潔白ではありません。「暴力である」ことを知った
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2007/1125212056.php 元エントリの主題(はしご問題)と関係ないので恐縮だが、この手の言説には前々から疑問がある。 心に病を抱えている人にとっての最悪の事態とは、「敵」に攻撃されることではなく、「味方」と思っていた相手に見捨てられる、拒絶される、約束を反故にされる、途中で態度を変えられることである。 心に病を抱えていようがいまいが、味方だと思ってた奴に裏切られて「ま、そんなもんだよねw」とボケーっとしてられる奴がいるのかどうか。誰でもかなり怒るのではないか。もし本当にその程度のダメージしか受けないのなら、それはそもそも別に味方だと思ってなかった、というだけの事ではないのか。 (これを「陰性転移」という。過去に信頼していた人間に見捨てられたり裏切られた記憶が甦り、「こいつも同じか」という怒りが加
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
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