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haikuと訃報に関するhidex7777のブックマーク (4)

  • 二人の俳人の逝去

    新興俳句系の最後の存命俳人の伊丹三樹彦(いたみみきひこ)さんと、自由律俳人の来空(らいくう)さんのお二人が、同じ2019年9月21日に他界された。 これを知ったのが、ここ数日。秋のお彼岸に亡くなられたのは、逝去の日としては、お見事としか言いようがない。私は第10回世界俳句協会大会を終えて、ダウンしていた日。 ご冥福をお祈りしたい。とくに伊丹さんとは、再晩年お電話などで親しくさせていただいた。世界俳句協会の名誉会員にもなっていただいた。 俳号の、伊丹も三樹(三木)も、兵庫県の地名に由来し、兵庫生まれの私にとってもなじみぶかい。 ふるさとの三の木に星沈む  夏石番矢

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    hidex7777 2019/09/27
    伊丹三樹彦さんと来空さん。RIP
  • 告別式:地元うなぎ店が明かす金子兜太さん「ソース事件」 | 毎日新聞

    金子さんが30代で詠んだ直筆の前衛俳句にソースがかけられた掛け軸を示す塩谷容さん=埼玉県皆野町で、松山彦蔵撮影 2月20日に98歳で亡くなった俳人、金子兜太(とうた)さんの告別式が2日、熊谷市であった。金子さんと親交のあった皆野町のうなぎ店「吉見屋」店主、塩谷容(よう)さん(82)が参列し、金子さん親子の秘話を明かした。 塩谷さんの父、潮夜荒(じょうやこう=2004年に93歳で死去)は、兜太さんの父で開業医の俳人、金子伊昔紅(いせきこう=1889~1977年)に俳句を学び、皆野俳壇の中心メンバーの一人だった。 塩谷さんによると、潮が店の居間で兜太の名の由来を尋ねた時、伊昔紅は「日露戦争の日海海戦(1905年)では、連合艦隊の東郷平八郎司令長官を支えた副官の功績が大なのに、後世に伝えられていない。せがれが生まれたら、副官にちなんで『兜太』の名を付けると決めていた」と明かした。後日、潮がそれ

    告別式:地元うなぎ店が明かす金子兜太さん「ソース事件」 | 毎日新聞
  • 金子兜太さん死去 戦後日本を代表する俳人:朝日新聞デジタル

    戦後日を代表する俳人で、前衛俳句運動の中心となり、俳句の可能性を大きく広げた朝日俳壇選者の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群で死去した。98歳だった。 埼玉県生まれ。旧制水戸高校時代に作句を始め、「寒雷(かんらい)」主宰の加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。東京帝国大経済学部を卒業後、日銀行に入行。海軍士官として南洋トラック島で終戦を迎え、後に復職した。戦後は社会的な題材を詠む「社会性俳句」に取り組み、前衛俳句運動の中心となるなど、戦後の俳句運動の旗振り役を務めた。季語の重要性は認めつつ、季語のない無季の句も積極的に詠み、時に有季定型の伝統派と激しい論戦を繰り広げた。俳句をより多くの人に開かれたものにし、「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ、再評価の機運を盛り上げた。 代表句に、「銀行員等(ら)朝より

    金子兜太さん死去 戦後日本を代表する俳人:朝日新聞デジタル
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