「起源にアナーキーを求める思考」と「起源に垂直の差異を求める思考」があるのではないだろうか? 生物学的に起源を探れば同一平面上のアナーキーを想定するだろうが。ニーチェ的に国家やその他の人間的秩序の起源を探るならば始めに暴力的な垂直の差異があったとなるだろう。 横の他者というのは(ネガティヴな場合も含めて)すぐさま想像的相互性に回収されてしまうのではないだろうか? あるいはまた自閉症のように他者との想像的相互性(目と目をあわすとか、笑顔には笑顔で応えるとか)すら希薄だとなると、横の他者との関係構築がとても重要なポイントとして、考えられてしまうのかもしれない。 ともあれ、浅田氏自身はかつて次のように書いていたものだ。 <大地の上に横たわった錯乱せる身体に向かって下降する真っ赤にやけた焼きごて。その皮膚に奇怪なしるしを彫りつける刺青刀。文化とは何よりもまずこのような垂直の力なのだ>。『構造と力』