「ファミリーコンピュータ」が発売されてから30年以上、『スペースインベーダー』から数えると、いわゆるコンピュータゲーム市場なるものが産業として産声を上げてから、実に35年以上の月日が経過している。 一時期は、文字通り世界を席巻した日本のゲーム産業。しかし、スマートフォンの台頭や、あらゆる分野がグローバル化の波に飲み込まれるなかで、「日本のゲーム」も、徐々にその影響力を低下させつつあるのは、今さら指摘するまでもない。 大規模化、高度化するゲーム開発環境に、次々と台頭する新興ゲームメーカー。そんな中にあって、日本のゲーム産業の進むべき道、取るべきポジションはどのようなものになっていくのだろうか。 この連載「ゲームの企画書」は、ゲーム史に名を残した名作ゲームのクリエイターの方々に、製作時のエピソードをお聞きして、まとめていく連載企画である。 名作と呼ばれるゲームがどのように作られ、またそこにはど
MZ-700に不可能はない単語 エムゼットナナヒャクニフカノウハナイ 1.2千文字の記事 9 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要とかなんとか関連動画関連項目掲示板「MZ-700に不可能はない」とは、パーソナルコンピューティングに対するユーザーの姿勢を示した一種のキャッチコピーである。 概要 MZ-700はシャープから1982年に発売された8bitパソコンである。名機MZ-80Kシリーズの後継機として、また価格の手頃な入門機として多くのユーザーに愛された。しかし、表示は40×25文字のテキスト画面のみ、音声は単音のビープ音のみというシンプルすぎる性能は日進月歩のパソコン界ではほどなく時代遅れとなる。パソコンがPC-8801・FM-7・X1の8bit御三家へと収斂してゆく時代の流れの中で、MZ-700は他のたくさんの機種と同様に、黎明期のマイコンの一つとして歴史に名をとどめるだけの存在に
ゼビウスを生んだ遠藤雅伸、それに追従するかのように世に出た 大堀康祐(うる星あんず)、松島徹、藤岡忠。この3人の天才が絡んで生まれたパソコン移植版ゼビウス誕生秘話です。 ゼビウスはスペースインベーダーやギャラクシアンがそうであったようにパソコンへの移植が期待されていました。しかし、ゼビウス用に設計された基板はCPUを3つも利用しているため当時のパソコンに比べて非常に性能が高く、移植は不可能であると当時の記事でも喧伝されていました。ところがゼビウスの発売から10ヶ月足らずしか経っていない1983年12月、誰もがゼビウスが稼働することすら夢に思わなかったであろうパソコン「PC-6001」で動かせる移植版ゼビウス第1号が発売されたのでした。その「タイニーゼビウス」をプログラムした松島徹は当時、中学生でした。不可能と思われていた移植を可能にしたのは天才ならではの大胆な発想の転換があったからでした。
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