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麻雀と思考に関するiwwのブックマーク (5)

  • 咲-Saki-は現実の西暦何年の出来事? : 咲グラフ

    2013年02月10日00:00 カテゴリ雑多な考察 咲-Saki-は現実の西暦何年の出来事? 咲-Saki-は現実世界での西暦何年の出来事なのでしょうか? 検証してみました。 まず、編1巻99Pより、この煽り。アニメでもちょくちょくこのナレーションが入りますね。これで、21世紀の出来事であることは特定出来ました。 阿知賀編1巻157Pより。穏乃たちの奈良県予選の直前に写ったカレンダーです。 色使いより、日曜が右端に来るタイプのカレンダーだとわかります。つまり、6月1日は水曜日です。 そこで、このサイトです。 http://www5a.biglobe.ne.jp/%257eaccent/kazeno/calendar/single.htm 年と月を入力すれば、カレンダーが表示されます。これを利用すれば、6月1日が水曜日になる年がわかるわけです。 ちなみに、1年は365日ですので、7で割る

    咲-Saki-は現実の西暦何年の出来事? : 咲グラフ
  • パネル討論「不完全情報ゲームにおける競技性について」

    パネル討論「不完全情報ゲームにおける競技性について」 話題提供 松原 仁氏  …ゲーム情報学の中の不完全情報ゲームの位置づけと現状 谷岡一郎氏  …ギャンブルから見た不完全情報ゲーム とつげき東北氏…麻雀の統計的な観点から見た競技性 西野哲朗氏  …コンピュータ大貧民大会から見た競技性 討論議題 伊藤毅志   …話題提供を受けて、討論の議題を列挙 ※四者四様の興味深い話題提供がありました。不完全情報ゲームの研究の将来性について、幅広い視点から議論できたのではないかと思います。今後のこの分野の研究が展望できるパネルになりました! <概要>不完全情報ゲームを研究として扱う場合、完全情報ゲームに比べて、強さの比較がなかなか難しいという問題点が挙げれる。また、不完全情報ゲームの多くは、そのギャンブル性や遊戯性により、純粋な強さの比較を妨げている。一方、このギャンブル性や遊戯性が人間がプレーするゲー

  • ゲームにおいて「勝ちを目指す」ことについて、あるいは超人ロック回顧録

    ゲームにおいて「勝ちを目指す」ことについて、あるいは超人ロック回顧録 なんだか盛り上がってたみたいなので。 個人的には、これはほとんどゲームデザインの問題であり、純粋にテクニカルな領域だと思う。というか、これが(「プレイヤーの倫理観」とは別のレイヤーで)問題になるという段階で、「ゲームデザイン」が何か大事なものを置いてけぼりにしませんでしたか? というのが正直な感想。 アナログに限って言うと、ゲームの根幹を支えているのは、勝利条件だ。アナログゲームの良し悪しの5割くらいは、勝利条件の設定で決まると思っている。だってそれを目指してプレイすることが、大抵のゲームの前提になっているので。 待てよ、それを目指さない奴がいるから問題なんだろ? と言われそうだが、個人がその意思で「目指さない」と決めたなら、そこから先は倫理学の問題だ。そんなところまでゲームデザインが関与しても、誰得でしかない。 むしろ

    ゲームにおいて「勝ちを目指す」ことについて、あるいは超人ロック回顧録
    iww
    iww 2011/11/28
    『「順位」という勝利条件と、「金銭の移動」という勝利条件、この二軸によって勝利が決定されるから、「賭けないとゲームにならないが、賭けると急に面白くなる」のだ。』
  • 【牌譜解析】鳴いた時の手出し牌は要チェック? | HAZの研究する人生

    ※更新情報(2011-08-12): チーテン・ポンテン時のソバテン率について、フーロ者の捨牌に手出し近隣牌がない場合の解析に加え、これとは逆にフーロ者が既に手出し近隣牌を切っている場合の結果を追加しました。 こんにちは、HAZです。 暑い日が続きますが、みなさん如何お過ごしでしょうか。 さて、例えば下のような仕掛けが入ったとします。特に条件のない平場です。 1フーロ目に發をポン、そして11巡目に7pをチーして打6sだったとします。 今この鳴きによってテンパイしたと想定します。するとこのとき手牌から出てきた6sの近隣ってどのくらい危険なのでしょうか。 俗に「チーテンにソバテンあり」と言われます。今さら僕が説明するようなことではありませんが、これは下の手牌のような完全イーシャンテン形をはじめ、複合形に構えた場合に起こる状態です。 この手牌からピンズをチーした場合に、手出しの6sのマタギスジ待

  • 「運」に縛られる麻雀を漫画で描くにはどうすればいいのかという話 - ポンコツ山田.com

    同じテーブルゲームの中でも、麻雀将棋や囲碁、チェスなどと違うのは、運の比重が圧倒的に大きいことです。プレイヤー各々でその按配に意見はあるでしょうが、私は7:3で運だと思っています。麻雀では、自分に隠されている情報が卓上に溢れているために、運の比重が大きいのです。 将棋や囲碁は、どのように駒を動かしたり石を置くかについて、ルールに則っていさえすれば各プレーヤの自由ですが、そのルールさえ知悉していれば相手が何をするか予測できますし、それを考えるための要素は全てプレイヤーの目の届くところにあるのです。例えば将棋なら、駒は全部で40枚ですが、それは初めから全て盤上にありますし、相手の駒を取ったり自分の駒が取られても、その行方ははっきりと晒されています。 ですが、麻雀の全136牌の内、初めから所在がわかっているのは自分の手牌の13枚(親なら14枚)+ドラ表示牌1枚の、計14(15)枚でしかないので

    「運」に縛られる麻雀を漫画で描くにはどうすればいいのかという話 - ポンコツ山田.com
    iww
    iww 2009/04/24
    ノーマークは偉大だったという話
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