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ブックマーク / koyasu.jugem.jp (93)

  • 実際に試すメリットと | KOYASUamBLOG2

    写真は文科が貸し出している簡易放射線測定器の「はかるくん」。 これを借りて子どもに授業をしてみた人が、放射線を感知すると音がするのが良いと言ってた。 授業でどう位置づけるかという問題はあったとしても、こうした実物を示したり、実際に試したり(実験)は、子どもの注意を引きつける効果が大きい。 でも。 数学教室1月号に、小学校3年生にいろんなものに重さがあるかどうかを聞いた結果が表になっていた。 筆箱や自分の体に重さがないとする子どもはいなかったが、米一粒、ティッシュ1枚、髪の毛1、綿、空気には重さがないとする子どもが相当数いた。 感度の高い計りではかってみる授業をおこなって、重さのあることを確かめている。 これも実際にやってみることが重要だ。 この実験結果によって、すべてのモノには重さがある、という結論を引き出すことになる。 さて、ここには近代的科学観がある。 確かだし、有効性がある。 でも

    実際に試すメリットと | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2011/12/15
    「実際に試すメリットと」試した結果をどう解釈し、教えるか。コメント欄「科学の階層性/学習内容の更新」「階層性論は後付け」。/「100%」がネックか。
  • 思いちがいの三段論法 | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2011/12/15
    三段論法が成立しないケース。サイコロを6回振って1が出る確率の話も。
  • 学校は子どもを守った。が | KOYASUamBLOG2

    教育学会の特別企画で、数見報告にあったデータの一つが写真。 一つの考え方だ。 岩手・宮城・福島の総人口と子どもの割合をだし、各県の総被災者数と子どもの被災者数の割合を比較したわけだ。 すべての子どもが学校にいたわけではないが、まだ学校にいた時間に地震と津波に襲われたことが多いので、おおよそを量的に掴む時には参考にしていいと思われる。 岩手の場合、総人口に占める子どもの割合が12.3%。被災者に占める子どもの割合が、1.53%。 宮城の場合、総人口に占める子どもの割合が12.4%。被災者に占める子どもの割合が、3.65%。 福島の場合、総人口に占める子どもの割合が13.5%。被災者に占める子どもの割合が、4.59%。 3県平均で、3.04%だそうだ。 ここから、「概ね学校は子どもを守った。だが、いくつかの課題もある。」という指摘を行っていた。 避難所の構造やその指定の在り方、避難の指示マニュ

    学校は子どもを守った。が | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2011/08/28
    厳密には被災地域での子どもの割合が必要なのだろうけど、「被災した3県でも99.92%の子供は被災せずに済んだ」等と言わないところは好感。
  • 福島と宮城・岩手の頻度 | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2011/08/24
    〈にもかかわらず、福島の取り上げられ方が少ない〉なんとなくだが逆の印象をもっていた。/末尾は陰謀論ぽい。権力やメディアに対する警戒心は必要だとは思うけど。
  • 34学会声明について | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2011/08/01
    4/27付け理工系学会の「34学会(44万会員)会長声明」について。〈その責任に言及したり、反省する言葉がない〉声明自体が批判への回答という性格を帯びているせいか。ググると問題視する声が少なくない。
  • 教委無理論 | KOYASUamBLOG2

    今、来年度から使用する中学校教科書の採択が全国で行われている。基的に教育委員会もしくはその連合体で採択が行われている。 その多くは、教育委員の投票による。投票の前に、採択単位ごとに調査委員会なるものが資料を作成していたりする。 ともかく採択の投票権限は、教育委員という場合が多い。 昨日、東大阪市で育鵬社の公民教科書が採択されたと報道された。新聞報道によると「国家観がしっかりしている」という。国家観がしっかりしているという国家観とはどんな国家観かなと思ったりする。他の教科書と比べて国家観がしっかりしていると判断できる力量が、投票した人にあるのか。 いやきっとあるのだろう。あると信じてみる。 だが、この5人(一人は別の教科書をえらんだようだが)、中学校のすべての教科の教科書を選ぶ力量はあるのだろうか。 仮に、5人は、社会科についてはあったと認めよう。(さっき認めたばかりなのに、この表現はない

    教委無理論 | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2011/08/01
    教育委員会による教科書採択は無理がある、教員が担当学年の教科書を選ぶ方がよい、という主張。一理あると思いつつ、なんか引っかかる。なんだろう。
  • コクリコ坂から | KOYASUamBLOG2

    1963年の横浜を舞台に、高校生の恋の物語。 「耳をすませば」系列の、それより10年余り前の時代設定の大人向けのアニメだ。 写真にある信号旗の意味がなんなのか、映画の途中までわからなかった。返事の信号旗が揚がるシーンの意味は、映画を観ている時わからなかった。 私学のようだが、旧制中学の流れをくむ高校だということがすぐわかる。古いカルチェラタンと名付けられたサークル棟とそこにいる高校生たちの振る舞いがそれを示す。 この古い建物の取り壊しが紛争の種となっている。 海と俊は取り壊しに反対のようだ。反対の合理的・論理的理由はよくわからない。 反対の演説の場面に、「人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!?」「新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!!」というのはある。 高度成長で破壊を推し進めた側とその論理への批判、過去を美しく偽造する今の保守

    コクリコ坂から | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2011/07/19
    子安潤氏の感想。〈配慮も率直な表現もできないお子様には無理な映画〉
  • 報道とパニック | KOYASUamBLOG2

    知った名前が委員長を務めるNHKの番組に関する会議のお知らせが流れていた。 震災報道について、要するにパニックを起こさない報道で適切だったという趣旨の議事だったと手前味噌というか、タイコ持ち的発言の会議だったことがわかるような報道だった。 別の資料。 NHKの中部地方放送番組審議会の議事概要には、以下のように記されている。 「NHKがいちばん客観的に冷静に、今何が起きているのかをきちんと伝えていた。また、福島第一原子力発電所事故についても、NHKがいちばん公平中立の立場で事実を冷静に伝えていたと思う。」 他のメンバーもほぼ同じ発言をしている。 そこで、当にそうかどうか確かめてみたい。 日、新聞各紙は、1号機から3号機まですべてメルトダウンしているというデータを東京電力が提出したと報道している。 しかも、朝日新聞の記事には「原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は16日の定例会後の

    報道とパニック | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2011/05/18
    新聞報道を比較したうえで、本当にNHKの報道を高く評価できるか考察。もっともな指摘だと思うが、他の電波媒体との比較がない点が残念。適切な比較って難しい。
  • PISA2009のもう一つの結果 | KOYASUamBLOG2

    PISA2009の結果が公表された。詳しいネット報道は、毎日新聞が例によって詳しい。 日が読解力など若干順位を上げたことが中心の報道となっている。 PISA型問題というけれど、PISA的リテラシーの高い地域ばかりでなく、同時にいわゆる「学力」を高くする地域もある程度得点できるから上位に顔を出す、と指摘されてきた。これは、3年前の発表頃から指摘されていた。 だから、北欧と東アジアの一部の地域が上位に来るというわけだ。 そういう意味で想定された結果の範囲内ということができる。日の場合、6000人がどう選ばれたかもほんとは気になる所だ。また、明日は、順位を中心にした報道となるだろう。 しかし、そうした事柄よりもOECDのサイトは、より重要な分析結果を記述している。 少し紹介すると以下。 • 最も公正な学校がもっともよい学校だった。中略。早くに能力によって学生を選ぶ学校は、社会経済的背景に応じ

    PISA2009のもう一つの結果 | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2010/12/08
    PISA2009の結果について。報道は順位中心だが〈OECDのサイトは、より重要な分析結果を記述している〉簡単な紹介あり。〈そういう記述の方に注目してもらいたい〉
  • 「強い人材」かあ | KOYASUamBLOG2

  • 学テ追加の論理 | KOYASUamBLOG2

  • 当事者による恋愛大研究 | KOYASUamBLOG2

  • 国語は思考力へか | KOYASUamBLOG2

    学内の研究会で報告者によれば、国語教育のトレンドは、思考力養成だという。 80年代までは、文学中心で「読み」「解釈」中心だった。 その後90年代から、コミュニケーション能力養成に移行。 だから、「話し合ってみよう」みたいな課題が増えた。 その後、コミュニケーションと連動して、「思考力・判断力・表現力」の3つがくっついて語られるようになった。こうなるのは、ピザのテストの影響が直撃したと言ってもいいでしょう。 それが、さらに今年のトレンドとしては「思考力」にシフトしてきているという。 言語力養成という国語教育に期待される近年の一般的傾向がある中での話しだ。新しい学習指導要領では3つがセットで記述されていたりするけれど、その中で比重を高めているらしい。 その中で、実践研究の中心は、思考力はどうしたらつくのかに向かっているらしい。 では具体的に何をしているかというと、根拠を追求するところらしいとい

    国語は思考力へか | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2010/10/28
    国語教育が思考力重視に変わってきているらしいという話。根拠に基づいて考えるのは重要なので、本当なら歓迎。でも、形式的にしつこくすると、子供を問い詰め追い詰める教育になりそうな不安も。
  • 発達を意識に還元できない | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2010/10/13
    調査手法の問題。能力調査が意識調査になっている例。質問用紙式調査によく見る不整合と言っては言いすぎか。
  • 子どもの権利手帳 | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2010/10/13
    〈学校を通じてすべての保護者に配られていい内容だと思う〉手に入れて読んでみたくなった。
  • パブリックコメントという奇妙 | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2010/10/13
    パブコメに関するいろいろな気持ち悪さの一端。そもそもなんに関してのパブコメが行われているかを知らないことが多いよなあ。
  • 指導に限界? | KOYASUamBLOG2

    とある新聞に、「子どもの暴力、指導に限界」という小見出しがあった。 指導というものは、指導なのだから、当然、限界がある。記事の全体のトーンを見ると、管理をめざしているようだ。暴力を押さえ込んだり、暴力をふるわせないことをめざしているようだ。しかし、これは管理と呼ばれるものだ。 だから、それは、指導ではない。 指導ではないものを指導に含めて、管理ができないから「指導に限界」と言われても困る。 こうした誤用が頻繁に起こるのが指導の問題。 ところで、指導は可能性にかける働きかけなので、別の難しい問題を抱えている。 それは、可能性だから可能性を0と見れば働きかけはなくなり、いくらかでも可能性があると見れば働きかけが生まれる。他方、可能性があって働きかけが行われたからといって現実態となるとは限らない。しかし、だからといって可能性がなかったわけではない。 あきらめれば生まれないが、諦めなかったからとい

    指導に限界? | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2010/09/29
    指導と管理は異なるのだが、報道などで混同されている場合がある、という話など。そういえば、議論や指摘も指導や管理だと思われてしまうことがある。
  • 正確な数値とは | KOYASUamBLOG2

    三つほど教育関係の数値が発表されていた。 数値が信頼には値しないことが明らかになった。と同時に、問題は存在し続けていることを示している。 一つは、教員への評価に関する意識調査。 朝日の以下のサイトに記事がある。 http://www.asahi.com/edu/news/TKY201009140085.html 「アンケートは幼稚園・小中学校・高校の教員、保護者、教育学部などの学生ら計約4万3千人と、全国の教育委員会、教職課程がある864大学を対象に、今年4〜8月に実施」したものだという。 新聞記事は、保護者と教育委員会の評価に隔たりがあることを記事にしていた。 「 教員の働きぶりについては(1)「子どもへの愛情や責任感がとてもある」は保護者44%、教委18%(2)「コミュニケーション能力がとても ある」は同じく25%、3%(3)「子どもを理解する力がとてもある」は23%、4%。(2)(3

    正確な数値とは | KOYASUamBLOG2
    kamezo
    kamezo 2010/09/17
    教員への評価に関する意識調査:〈教育委員会は〜助言や管理ができていないと告白している数値〉。いじめ関連:〈文科省は増えたと言いたいことだけが分かる〉
  • 行政による学習塾 | KOYASUamBLOG2

    違和感を禁じ得ない。 その1 「生活保護世帯の中学3年生を対象に、埼玉県は10月から、無料の学習教室を県内5カ所で開く。」朝日新聞ネットニュース20100912より。 その2 江戸川では、社会福祉施設の職員がボランティアで「勉強会」を開いているが、これにも違和感がある。 その1と2は関連がある。 行政とボランティアでは異なる点は、踏まえたい。 進学率に大きな差があることは事実だ。しかし、行政が、塾というのは方向が違う。進学に金がかからないようにすることがまずすべきこと。次に、受験競争を改善する施策をとることが次に必要だ。この違和感は、一つ目をせずに、二つ目に反する方向であるための違和感だと思う。 江戸川についても違和感がある。止むに止まれずという事情は理解できる。しかし、受験勉強で良いのかと思う。かつて同じ江戸川で「どぶがわ学級」という実践があった。同じように学校外で中学生に勉強を教えるも

    行政による学習塾 | KOYASUamBLOG2
  • 格差拡大 | KOYASUamBLOG2

    kamezo
    kamezo 2010/09/09
    〈所得格差(ジニ係数)の変化〉〈日本の再分配機能は、弱くて、格差を放置している状態が続いている〉〈〉