ツイート中にある『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』は、大正時代に吉原遊廓で遊女として勤めた人物・森光子による手記で、遊女本人の著述や本人への聞き取りといった記録はあまり残されていない中、遊女本人のまなざしを窺い知ることができる貴重な作品の一つ。 森光子 『吉原花魁日記』 「もう泣くまい。悲しむまい。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは今の慰めの唯一であると共に、又彼等への復讐の宣 kastoripub.stores.jp
ウクライナのニュースを見ていると、何が起きているのか、どこに向かっているのか、よくわからない。情報には事欠かないが、その多くはソーシャルメディアのアカウントからで、そのすべてが信用できるわけではないし、またその性質から全体像を把握することはできない。デジタル時代といえども「戦争の霧」が晴れることはない。 しかし、いくつかの予備的な結論を出すには十分な情報がある。 ロシア軍は優勢であったにもかかわらず、戦術的な奇襲と圧倒的な数の可能性という利点があった開戦初日には、予想されたほどの進展はなかった。最初の攻撃は広く期待されていたようなエネルギーと推進力には欠けていた。ウクライナ人は気迫に満ちた抵抗を見せ、侵略者に犠牲を強いた。しかし今日の情勢はさらに暗くなる可能性があり、将来はもっと厳しく辛い日々になるだろう。しかし「プーチンは勝ち目のない戦争を始めたのだろうか」と問うのはもっともなことである
もうすぐ76回目の終戦記念日、そして原爆投下の日を迎えます。コロナ禍の影響で去年に引き続き慰霊行事は縮小されてしまうかもしれませんが、例年8月になると、平和への想いを強くさせられます。 ところで、あなたは広島と長崎に落とされた原爆についてどのようにお考えですか? アメリカの調査機関であるピュー・リサーチ・センターが2015年1~2月に日米で同時に行った意識調査を見ると、アメリカ人全体の56%が原爆投下を「正当化される」と認識しているようです。 出典:原爆投下を正当化するのは、どんなアメリカ人なのか?|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト アメリカ人の中では未だに「原爆投下は仕方ない」「むしろ正しかった行為だ」という価値観を持つ人が過半数を占めます。そして、原爆を投下された側の日本人でさえ原爆投下を正当化している人が14%存在しているのです。7人に1人は原爆投下は「仕方なかった」とみな
2015年の春のこと。 わたしはまだ青木杏樹ではなく、ただ趣味で小説を書いている人でした。毎日毎日、400字詰め原稿用紙を20枚ワンセットを消費しては、文房具屋に買いに行きました。帰宅するとまた明け方まで20枚消費し、日が高くなる頃には買い足しに行く日々が続きました。 小説とは応募するもの、小説とは他人に読んでもらうもの、という考えがわたしにはありませんでした。 わたしの中には小さな世界がごまんとあり、その世界で生きている人たちはたえず呼吸をしていて、畑を耕し、水を飲み、作物を売ったり買ったりしていました。ときには殺し合って世界は消えてしまうこともありました。そうした流動する世界線がいくつも走り、絡み、まじり、繰り返す、衝動にも近い意識と妄想がするすると動くものですから、歴史をつむぐように彼らの証をのちのちまで残せないものかと考えたのがどうもわたしの執筆の原点のようです。つまり応募する、評
広島の原爆の日は8月6日。長崎は8月9日。そして終戦の日が8月15日。日本にとって8月は、死者を思う季節である。 本当なら今年、75年めの原爆の日を、私たちは東京オリンピックの期間中に迎えるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの蔓延によりオリンピックは延期され、思いがけない静けさの中で人々は、死者のために黙祷を捧げることになった。 1964年の東京オリンピック大会で聖火の最終ランナーを務めたのは、19歳の、無名の陸上選手だった。その青年は、原爆投下の当日、広島で生を受けていた。真っ白いランニングシャツと短パンを身に着け、聖火台に続く長い階段を駆け上がる彼の姿は、実に清潔で、均整がとれ、全身に若々しさが満ちあふれていた。この映像を目にするたび、敗戦からわずか19年で、世界中の人々が集まるスポーツの祭典が日本で催された、という現実に驚かされる。人類が経験したことのない徹底的な破壊の中から誕生
私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働で食いつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣食住付きで三百万円を支払う。仕事は日本の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う
人は殺人を忌避するのか 戦争には殺人という行為が伴います。人類の歴史を紐解けば多くの戦いが記録されており、当然そこで人は殺し殺されていたわけです。では、人の本性は殺人をよしとしているのでしょうか。 こういった疑問に対し、第二次世界大戦中、実戦に参加した直後の兵士に対してグループインタビューによる聞き取り調査を行っていたS.L.A.マーシャル准将は、1947年に発表した"MEN AGAINST FIRE"の中で、次のようなデータを提示しました。 敵との遭遇戦に際して、火線に並ぶ兵士100人のうち、平均してわずか15人から20人しか「自分の武器を使っていなかった」のである。しかもその割合は、「戦闘が一日じゅう続こうが、2日3日と続こうが」つねに一定だった。 出典:デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫) 「戦いに際して兵士の15~20%しか発砲しない」。マーシャル
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』の小梅けいとさんによるコミック版、1巻が先日発売となりました。僕も監修という形でお手伝いしています。多くの方に買って頂いているそうで、本当に嬉しいことです。 www.kadokawa.co.jp ところで、発売前から「コミック版は『可憐な女性兵士のけなげなエピソード集』『泣けて感動する話』として『消費』されてしまうのではないか」と危惧するご意見がありました。発売後もよくお見かけします。これはまったく正当な懸念です。 漫画というのは情動を刺激するメディアであり、まさにそこが強みです。強調するにせよ抑制するにせよ、ほぼ全ての漫画家はそこに自覚的です。おそらく誰が描いても感動物語になり得るでしょう。 そして、僕はこの作品で泣いたり感動したりエピソード集として楽しんでも別にいいのだろうと思うのです。自分の情動を止めることなどできますまい
事実として認めたほうがいい過去 日本軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日本の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日本でも忘れられがちな「日本軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日本軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア
浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン
無能な指揮官が率いる絶望的な戦い 日本史の「無能な指揮官」 と言えば真っ先に名前が上がるのは牟田口廉也ではないでしょうか。インド攻略を目指した無謀なインパール作戦を主導し多くの将兵を死なせた人物として悪名高いです。 各国史にはそれぞれ「無能な指揮官」とされる人物がいて、何をもって「無能」とするかによっても異なるので万人が納得するのは不可能なのですが、 「注意深さ、プロ意識、軍事知識の決定的な欠如によって歴史的な大惨事・大敗北をもたらした」 という観点で、前後編で「世界史の無能な指揮官」をピックアップしてみます。 「この人がいない!やり直し!」事案が多数発生しそうな気がしますが、あらかじめご了承ください。 ※2019/2/19 22:30 「7. カルロ・ペルサーノ」の項目の情報に大きな誤りがありましたので、修正しました。 1. 大カエピオ ?-?(共和制ローマ) ハンニバル以来のローマの大
「この世界の片隅に」 太平洋戦争前後の広島・呉を描いたアニメーション映画で、 もはや説明は不要なくらいの大ヒットとなった作品です。 作品の舞台が私の実家の極近所といった設定。 原作者のこうの史代さんが私と同世代ということで、 私が親から聞かされてきた体験談を 全く同じ熱量で彼女も聞いていたのだなと、 原作を読んだ時から感じておりました。 ただ、私が親の世代から聞いてきた体験というのは、 戦争の恐ろしさとか、恨み節とかではなく、 どうやって生き抜く努力をしたとか、楽しみを見出したかという話がほとんどなのです。 この世界の片隅にで描かれる物語は、 戦争の悲惨さ、恐ろしさを声高に訴える内容ではなく、 その時代を活き活きと生き抜いた人たちの日常を淡々と描いています。 このことが多くの人の心を掴み、その時代を知らない人にも共感できる理由ではないでしょうか。 私の父親が当時を語るエピソードにこんなのが
言葉を失うことがある。例えば、東日本大震災の被災地で、原発事故で人が消えた街でーー。何をどう書いても、目の前で起きていること、人が経験したことを、伝えられているような気がせず、言葉だけが浮いていく。 悲惨なできごとを伝える時、しばしば私たちは公式発表された数字に頼る。歴史の教科書も、まずは客観的な数字から始まる。 津波により何万人が亡くなった、原発事故では避難者が何人いた。だから悲惨なのだ、と印象づけられるように。ひとりの死や喪失感を数字に換えることで、こぼれ落ちる何かがあるにもかかわらず。 11月に来日したスベトラーナ・アレクシエービッチは、「数字」で語られる歴史に抗ってきた。2015年にノーベル文学賞を受賞。旧ソ連に生まれた、ベラルーシの作家だ。戦争、チェルノブイリ、ソ連崩壊……。歴史に残るできごとをテーマに選び、ノンフィクション作品を発表してきた。 手法は一貫している。人々のあいだで
時代も立場もバラバラだけど2016年現在、本邦に於ける共産圏指導者の認識ってこんなもんだよね? 実際はどこでも粛清とかあった筈だけどさ。 pic.twitter.com/CDz56gH7qx— 第4インター系 (@Lev1026) 2016年11月26日 速水螺旋人ブログ http://d.hatena.ne.jp/rasenjin/20161126 とうとうこの日が来てしまった。フィデル・カストロが亡くなりました。90歳。そろそろであろうな、とは思っていたので驚きはないですし、大往生でしょうジャージのおじいちゃん。しかし、英雄はついに去ってしまいました。 英雄。フィデルを評するのに、いちばんふさわしい言葉です 良い政治家だったでしょうか? 政治家としては疑問符がつくでしょう。経済政策は失敗し、多数の国民を海の向こうに追いやり、政治犯を獄につなげた。アンゴラで戦争もした。漫画家が仕事するの
フィデル・カストロ逝く。 自分は寄席で、落語家(三遊亭歌武蔵)が高座から伝える時事ネタとしてこのニュースに接した。 (おもしろかったのでいちおう訳すよ。) カストロ:アメリカが滅ぶまで私は死なんぞ。 トランプ:俺が大統領だ! カストロ:あ、では。https://t.co/88LtwcSCKJ— Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) 2016年11月26日 ところで。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-12/2013051203_01_1.html バラク・オバマ氏 「キューバの国と国民の針路を変えたカストロ氏の死去は、さまざまな思いで受け止められているはずだ。国民に及ぼしたとてつもない影響は歴史が評価するだろう」 ドナルド・トランプ氏 「60年近くにわたって自国民を迫害した残虐な独裁者が死去した。彼がもたらした悲劇は決して消え
古典的名著『決定の本質』で、いかにしてキューバ危機が起き、いかにして核戦争が回避されたかを解明したハーバード大学の碩学、グレアム・アリソン。 500年間の「支配勢力」と「新興勢力」の争いを分析したアリソンは、紀元前5世紀に大戦争でギリシャを崩壊させた「トゥキュディデスの罠」が現代の国際政治でも発動する、と主張。目前に迫った「米中戦争」のリスクを警告する。 「戦争なんて起きない」と考えることが戦争のリスクを増やす 2015年9月、米国のバラク・オバマ大統領が、訪米した中国の習近平・国家主席と会談した。 この会談の席で、ほぼ確実に話題にならなかったことが1つある。 その話題とは、「10年以内に米中戦争が勃発する可能性がある」というものだ。 両国の首脳陣にとって、米中の武力衝突など起こりえない話なのだろう。また、米中の指導者たちには、「戦争を起こすほど自分たちは愚かではない」と考えている節がある
1945年8月6日に広島に落とされた原子爆弾によって亡くなった犠牲者の中には、12人の米兵捕虜も含まれていた。アマチュア歴史家の森重昭さんは、40年以上を費やし、被爆米兵の遺族を探し当てた。アメリカのバリー・フレシェット監督が、その記録を『灯篭流し(Paper Lanterns)』にまとめた。 森 重昭 MORI Shigeaki 1937年生まれ。アマチュア歴史家。広島原子爆弾を経験。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版。広島で妻・佳代子と暮らし、2人の子供がいる。 バリー・フレシェット Barry FRECHETTE 1970年生まれ。1992年米ストーンヒル大学卒業。25年間、ボストンで広報の短編ビデオを初めとする制作の仕事に携わる。現在Connelly Partnersでククリエイティブ・サービスのディレクターを務める。「灯篭流し(Paper Lanterns)は、映
大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日本軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住本麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム
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