人に言っていい言葉じゃないよ、って言葉を平気で投げつけててどん引く。 未手術の人がトイレ一緒じゃ嫌とかスポーツにおける区分けとかそういう気持ちは同感するとこもあるんだけど、対話する気もなくひたすら攻撃的で怖い。 ツイッターにいるそういうフェミってどんどん憎悪を増幅していってるし、多数が引リツで批判していいね集めて勝つみたいな空気になってて本当に怖い。 私自身も多少フェミだと思ってたけど、なんかもう無理。
私は自然科学を専門とする研究をしており、共働きの妻と2人の子供、そして猫1匹と共に、オーストリアに住んでいる。 妻も同じく自然科学系の研究で博士号を取得しているが、ある理由から、研究者としての道には進まずにまったく別の仕事をしている。このことについては追って詳しく述べたいと思う。 まずは、twitterに投稿したら大きな反響があった、妻が体験したある出来事について紹介したい。 「Dr.で間違いないでしょうか」 それは数カ月前に、妻が下の子を連れて仕事で日本に帰ったときのこと。仕事を終えてオーストリアに戻る際、日本の空港のチェックインカウンターで「(チケットに)Dr.と表示されていますが間違いないでしょうか」と質問されたのだ。 なぜ、その航空会社の人はそんな質問をしたのか。 欧州の多くの国でそうであるように、私たち家族が生活するオーストリアでも、性別に関係なく個人のキャリアに対する尊重は大き
2017.08.25 17:00 「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】 社会学者の平山亮さんは、去る2月に『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)を上梓されました。その名のとおり「介護する息子」の研究をとおして、介護=ケアと、庇護される立場の男性性=息子性を分析する、男性によるあたらしいジェンダー論でした。 近年、「男性の生きづらさ」を照射する日本の男性学が注目されています。その「男性の生きづらさ」の例として挙げられているのは、一家の稼ぎ手=稼得役割になることが求められる一方、「イクメン」が理想とされ、家事や育児も期待されるたいへんさです。しかし、そもそもいまだに男女が平等とは言えない状況で、その「生きづらさ」は本当に的を射ているのか? 今回は、平山さんに「男性の生きづらさ」論によってごまかさ
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