タグ

コンピューターに関するpeketaminのブックマーク (9)

  • SKIコンビネータ計算 - Wikipedia

    SKIコンビネータ計算は型無しラムダ計算を単純化した、ひとつの計算モデルである。このモデルは、ある種のプログラミング言語と考えることができるが、人間によるソースコードの記述には適さない(難解プログラミング言語には時折採用される)。その代わり、このモデルは非常に単純なチューリング完全な言語であるため、アルゴリズムの数学理論においては重要である。また関数型言語を実行する抽象機械のモデルとして使っている例もある[1]。 ラムダ計算におけるあらゆる演算は、SKIにおいて3つの定数記号S, KおよびI(これらをコンビネータと呼ぶ)および変数記号によって表現できる。2引数の関数適用演算のみを持つ形式言語の構文木と考えれば、定数記号と変数記号を葉とする二分木と捉えることもできる。 実際には、 I はモデルを簡単にするために導入されたものであり、SKIシステムを展開するにはSとKの2つで十分である。 素朴

  • TRONの生みの親、坂村健教授がTRONについて語る | スラド IT

    taka2曰く、 「国産OS」として定期的に話題になる「TRON」を生み出した坂村健教授がTRONについて語っている(Yahoo!ニュース)。 このインタビュー記事ではTRONが生まれた背景や現在の利用シーンについて語られているほか、1980年代には米国との貿易摩擦問題でTRONに対し圧力がかかったとされる話についても触れられている。これによると、実際にはTRONは確かに米通商代表部(USTR)によって「貿易障壁リスト」入りの候補とされたが、坂村教授が米政府代表者に説明を行なった結果、実際にはリストには入っておらず、それ以上の問題にはされなかったという。 このことは「TRONプロジェクトの30年」記念Webサイトの「思わぬ反撃」や「思わぬ結末」でも記されている。

    peketamin
    peketamin 2020/05/08
    "仕様を考えて、実装して、そこから得た知見を仕様にフィードバックするという ループを高速に回さないと本当にいいものはできないような。" 同意。あれ、でもTCP/IPの仕様ってずっと変わってない。そういうもの?
  • 「主張しないOSだったから世界に広がった」TRONの生みの親・坂村健が語る - Yahoo!ニュース

    発のコンピュータOSで世界シェアの約60%を占めるものがある。1984年にプロジェクトが開始された、組み込み型OS「TRON」だ(現在、正式にはT-Kernel)。このTRONを発案・牽引してきたのが東洋大学の坂村健教授だ。現在のIoTの先駆けとして国際電気通信連合(ITU)の「ITU150周年賞」も受賞している。未来をいちはやく構想してきた坂村氏に、世界に広がった理由などを聞いた。(ジャーナリスト・森健、撮影:塩田亮吾/Yahoo!ニュース 特集編集部) コンピュータを動かす基的なシステム=OS(オペレーティング・システム)というと、WindowsmacOS、あるいはスマートフォンのAndroidやiOSなど「情報処理用OS」が頭に浮かぶだろう。だが、名前こそあまり知られていないが、世界中の多様なコンピュータに関わる日発のOSがある。「TRON」だ。「組み込み型OS」というタイ

    「主張しないOSだったから世界に広がった」TRONの生みの親・坂村健が語る - Yahoo!ニュース
    peketamin
    peketamin 2020/05/06
    コンピューター偉人伝のその人だ。快挙、偉業。
  • 高橋秀俊 - Wikipedia

    高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、日の物理学者。日のコンピュータのパイオニア。理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。文化功労者。正四位勲二等旭日重光章に叙される。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。 父の高橋穣は、心理学者・倫理学者で東北帝国大学教授や学習院大学教授を務めた。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 来歴・人物[編集] 1937年に東京帝国大学(現・東京大学)理学部物理学科を卒業し、助手に就任。1942年に助教授に、1957年に教授に昇任した。 早くから電磁気学、特に回路論的思考を深く身につけ、分野にとらわれない自由な発想で数多の卓越した研究を行った。中でも1942年の「1次元系では相転移現象は起こらない」ことの簡潔明瞭な証明は周囲に深い感銘を与え、また、1944年にチタン酸バリウムが

  • アイバン・サザランド - Wikipedia

    アイバン・エドワード・サザランド(Ivan Edward Sutherland, 1938年5月16日 - )[1]は、アメリカの計算機科学者で、インターネットの先駆者の1人。コンピュータグラフィックス、バーチャルリアリティの先駆者。今ではパーソナルコンピュータ上で当たり前となったGUIの先駆けとなるSketchpadを発明したことで知られる。 経歴[編集] 現在のカーネギーメロン大学であるカーネギー工科大学で電子工学の学士号を、カリフォルニア工科大学で修士号を取得後、1963年 MITで博士号を取った。 サザランドは革新的なインタフェースである Sketchpad を発明した。円弧の直径など線分や円弧の関係や制約に従って描画することができる。水平な直線や垂直な直線を描画でき、それらを組み合わせて図形にすることができる。図形の基形状を保持しつつ。コピー、回転、拡大・縮小が可能である。Sk

    アイバン・サザランド - Wikipedia
  • COBOLをシートに手書きしていた頃。80〜90年代、OSS普及前の開発風景に学ぶこと - エンジニアHub|若手Webエンジニアのキャリアを考える!

    COBOLをシートに手書きしていた頃。80~90年代、OSS普及前の開発風景に学ぶこと インターネットが一般的ではない時代にエンジニアはどのように仕事をしていたのでしょうか。WebDINO Japanの瀧田佐登子さんに、かつてのエンジニアの姿、そしてオープンソースという概念が一般化していく過程を、貴重なエピソードとともに聞きました。 オープンソースというカルチャー、そしてそこから生み出されるソフトウェアは今やあらゆる開発活動に不可欠なものです。多くのIT、インターネット関連企業の開発は、オープンソースなくしてもはや成り立たないでしょう。 一方で、言うまでもなくオープンソースという概念がまだ一般的ではない時代もあり、そしてその時代にも開発は行われていたのです。 「オープンソース」という言葉は、1998年に『伽藍とバザール』の著者、エリック・レイモンドによって発表されましたが、この言葉が指し示

    COBOLをシートに手書きしていた頃。80〜90年代、OSS普及前の開発風景に学ぶこと - エンジニアHub|若手Webエンジニアのキャリアを考える!
  • アーロン・スワーツ - Wikipedia

    アーロン・スワーツ(英語: Aaron Swartz、1986年11月8日 - 2013年1月11日[1])は、アメリカ合衆国のプログラマ、ライター、政治活動団体設立者、インターネットハクティビスト。またRSSが普及するための技術的な基盤を作った人物でもある。 スワーツは、RSS(ウェブフィード・フォーマット)[2]や、web.py(ウェブアプリケーションフレームワーク)[3]を開発した人物で、Reddit(ソーシャルニュース)の元共同経営者の1人だった。スワーツは、社会学や市民的な覚醒に関心を持ち、社会正義を求める積極行動主義(アクティビズム)にも熱心だった[4][5]。2010年にローレンス・レッシグが責任者を務めるハーバード大学のエドモンド J. サフラ研究所の研究員になり、組織不正について研究した[6][7]。スワーツは、オンライン海賊行為防止法案(SOPA)に対する反対運動で知ら

    アーロン・スワーツ - Wikipedia
    peketamin
    peketamin 2014/10/03
    自由で洗練された世界を夢見たが力を尽くしても変えられない人々に絶望して死を選んだように思えた。残念すぎる。
  • マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去 | TechCrunch Japan

    Three years after one of the most visible hacks in recent history played out in real-time in front of millions of Twitter users, one of the hackers responsible for the breach will now serve time in fe

    マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去 | TechCrunch Japan
  • コンラート・ツーゼ - Wikipedia

    コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse, 1910年6月22日 - 1995年12月18日)は、ドイツ土木技術者で発明家であり、コンピュータの先駆者である。 概要[編集] 世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ Zuse Z3 を開発し、1941年5月に稼働させた。1998年、Z3 はチューリング完全であることが証明された。 また、S2 という世界初のプロセス制御コンピュータとされる計算機でも知られている。ツーゼは1941年に世界初のコンピュータ企業を設立した。この会社は世界初の商用コンピュータZ4を開発した。1946年には世界初の高水準プログラミング言語であるプランカルキュールを設計している[2]。1969年、Rechnender Raum(Calculating Space、計算する宇宙)を出版し、デジタル物理学の概念を提唱した。 初期の業績の大部分は家族や民間の資金で

    コンラート・ツーゼ - Wikipedia
  • 1