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日本と戦争に関するpeketaminのブックマーク (3)

  • 戦前&戦時中に掲げられた標語(スローガン)をまとめました - 日常にツベルクリン注射を‥

    人だけではないとは思いますが、人間は標語(スローガン)がお好きなようです。コロナ禍の現在においても「ステイホーム」「3密」など、簡潔で分かりやすい標語がもてはやされたりします。 今回は、日国内における戦前&戦時下の標語(スローガン)をいくつかまとめてみました。国民を戦争に導くために、官民一体となって様々な標語が作られたのです。 誰でも知っているであろう代表的な戦時下における標語の1つが『欲しがりません 勝つまでは』でしょうね。そのような標語をいくつかご紹介していきます。 戦前&戦時下の標語まとめ 『欲しがりません、勝つまでは』 出典:1942年「国民決意の標語」入選作品 戦時下の標語としてはおそらく最も有名なもの。この作品は1942年に一般公募された国民決意の標語 - Wikipediaという企画の入選作品の1つです。作者は小学5年生の三宅阿幾子さんでした。 後に人の回想によると、

    戦前&戦時中に掲げられた標語(スローガン)をまとめました - 日常にツベルクリン注射を‥
    peketamin
    peketamin 2021/07/09
    まとめ感謝。 読んでるだけで腹立ってくるなあ
  • 戦後処理について

    2019.08.09 第二次世界大戦に関する戦後処理の多くは、サンフランシスコ平和条約で行われました。 サンフランシスコ平和条約第1条は、45カ国との間で戦争の終了をうたっています。 第2条では、日の領土権の放棄が規定され、朝鮮半島、台湾、千島列島・南樺太、南太平洋の諸島が分離地域となりました。 第14条(a)で、連合国に対する賠償が規定され、また、日の在外財産に関しては、連合国が処分できることとされました。 サンフランシスコ講和会議には52カ国が招待されました。 カンボジア・ラオス・ベトナム・中国の4カ国は招待されませんでした。 ビルマ・インド・ユーゴスラビアの3カ国は招待されたにもかかわらず、参加しませんでした。 また、カンボジア・ラオス・ベトナムの3カ国は、招待されていなかったにもかかわらず、参加しました。 その結果、サンフランシスコ講和会議には52カ国が参加しました。 その52

    戦後処理について
  • 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』というで明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書

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