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ブックマーク / bookface.hatenablog.com (16)

  • 悪魔のいる天国 星新一 - bookface’s diary

    1961年12月、中央公論社から刊行された星新一(1926~1997)の短編小説集。挿画、装は真鍋博。 目次 合理主義者 調査 デラックスな金庫 天国 無重力犯罪 ロケットと狐 誘拐 情熱 お地蔵さまのくれた熊 黄金のオウム シンデレラ こん ピーターパンの島 夢の未来へ 肩の上の秘書 殺人者さま ゆきとどいた生活 夢の都市 愛の通信 脱出孔 もたらされた文明 エル氏の最後 サーカスの旅 かわいいポーリー 契約者 となりの家庭 もとで 追い越し 診断 告白 交差点 薄暗い星で 帰路 殉職 相続 帰郷 NDLで検索 Amazonで検索 日の古屋で検索 ヤフオクで検索

    悪魔のいる天国 星新一 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2022/02/09
    “挿画、装本は真鍋博”
  • 安東次男詩集 日本國民詩集 - bookface’s diary

    1952年12月、三一書房から刊行された安東次男(1919~2002)の第3詩集。 ここに攻めた二十七篇の詩は、ぼくが意識的に詩らしいものを書き始めた一九四九年以後現在に至るまでの作品から拔いたものであります。篇中「佐渡、黄金風景、緩衝地帶、塵芥運搬人、薄明について、大古墳、故郷のなかの異國にて、女たちへの讃歌、シャン・ド・マルスの歌、囚われの五月」は詩集「六月のみどりの夜わ」に収めてあります。「テルコとナナ」は同詩集中の「タヴァーリシチ女房よ」を、「にわとりの歌」は、「にわとりの資論」を書改めたものです。その他の作品についても少しずつ手を加えました。「死者の書」から「太陽」(舊題、「卵」)までは詩集、「蘭」より拔きました。從ってそれ以外の、「ビールと花とうっとりとした風景、愛とは、日脱出、日の梅雨、秋の島についてのノォト、石、罰當り」の七篇が今までの詩集に入らなかったものです。製作

    安東次男詩集 日本國民詩集 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2021/05/25
    「あとがき」
  • 詩のかたち詩の発見 よみうり詩壇の十年 小野十三郎 - bookface’s diary

    1987年11月、浮游社から刊行された小野十三郎(1903~1996)の詩論集。編集は寺島珠雄(1925~1999)。 私など詩を書いていると、どうしても散文的な叙述体でながさなければならないところがある。これは詩の書き方が、歌うというよりも描くという方法に拠ってきた者の当然のなりゆきだけれど、書き終わって読みかえしたら、そこのところで、詩の全構造のタガがゆるんでいることがわかって、こんなはずじゃなかったがなァとしばしばおもう。近ごろの詩には、各行がそれ自身のイメージを結びつつ、叙述のつなぎがなく進行しているものが多いから、そういう詩の書き手は、あとで多少の手直しをすることがあっても、とにかくそれは詩の文体としては統一されていて、私のようなおもいにかられることはそうないだろう。 詩の書き方にはいろいろとあってよい。その方がおもしろい。しかし、そこで構造がゆるんでも、詩を書きはじめたころから

    詩のかたち詩の発見 よみうり詩壇の十年 小野十三郎 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2021/03/03
    “「詩の力学としての叙述体 まえがきに代えて」より”
  • 俳句史大要 歴史と評伝と評釈 橋閒石 赤松勝編 - bookface’s diary

    2011年6月、沖積舎から復刊された橋閒石の俳論集。編集は子燕連句会の赤松勝。底は1952年關書院版。 この小著は主として俳句の道に初心の人達を対象として筆を執ったものです。従って俳句史と名付けても、単に歴史的推移の大要のみを扱うに止まらず、簡単ながら成るべく多くの句の評釈をも添えて作品の鑑賞に便ならしめ、時代並びに作者の句風をおのずから理解せしめようと試みました。俳句とはどういうものかと云う質の問題から入ったのも、始めてこの道に進もうとする人々に対する老婆心からです。又俳句史としては宗鑑守武から筆を起すのが普通ですが、俳句質並びに由来する所を明らかにする為には当然連歌の起源発達から説かねばなりません。第二講を設けたのはこうした理由からです。元来俳諧文学は連句を除外しては全く無意味なのですが、書が範囲を俳句に限られている関係上、連句に就いては極度に省略せざるを得ませんでした。一介

    俳句史大要 歴史と評伝と評釈 橋閒石 赤松勝編 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2021/02/18
    「はしがき」「編者あとがき」あり。
  • 跫音 木島始編 - bookface’s diary

    1957年11月、出版書肆パトリアから刊行されたハンセン病小説アンソロジー。著者代表は国立療養所邑久光明園創作会、編集は木島始。 ……白い砂、青い松、ないだ海、あたたかい微風、なだらかな坂道、……わたしは小島を一周してそれから文芸会のひとびとと話をすることになつた。主なる話の内容は、相像力と言葉の造型性についてであつた。わたしは、じぶんの喋る言葉が浮づつて、およそ造型することからほどとおいのを自覚していた。わたしは文芸会のひとびとの作品をすでに読んではいた。気候温暖な瀬戸内海の小島――自然の条件としてはもっともすごしやすいと思われる環境にすんでいるひとびとと、すでに言葉をとおして、顔みしりであつたのだ。しかし、直接、顔みしりになるときびしい断絶がわたしたちのあいだに横たわつていることに気づいた。適当な比較ではないかもしれないが、ナチスの拷問をうけたものとうけないものとのあいだにあるどうしよ

    跫音 木島始編 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2020/12/31
    跋あり。
  • かきがら 小池昌代 - bookface’s diary

    2020年9月11日、幻戯書房から刊行された小池昌代(1959~)の短編小説集。カバーは水野里奈。 書には、七つの短篇をおさめた。冒頭の一篇「がらがら、かきがら」は、書のために書いた。牡購の季節は終わりかけていたが、わたしはこれが最後かと思いながら牡螺フライをつくり、同じとき、新型コロナウィルスが、世界中を静かに侵し始めていた。わたしは、店頭にあれば牡蝋を買い、再びこれが最後かと思って牡螺フラィをつくり、深海魚のようなきもちで、一人、短篇を書きながら、耳の奥に、「がらがら」という音を聞いた。牡嘱殻と牡螺殻とが、ぶつかる音だ。空白を押しつぶす、崩壊の音。しかし妙に、力の湧き出る音である。 「がらがら、かきがら」以外の六篇は、さまざまな場所 に、ばらばらに書いた。一冊にまとめる途上で、それぞれが枝葉を伸ばし、互いが互いと、つながろうとしているように見えた。そこで、別々の鉢に植えられていた植

    かきがら 小池昌代 - bookface’s diary
  • 個人的理由 高田渡詩集 - bookface’s diary

    1972年4月、ブロンズ社から復刊された高田渡(1949~2005)の第1詩集。 あとわずかでボクの二十(はたち)も終ろうとしている。これらの詩は十八~二十までの二年間の記録である。父も十九~二十の時に詩を書いていた。そして、それらの作品は四十年以上も過て初めてうすっぺらな一冊の詩集となったのである。 「詭妄性詩集――高田豊」 今、わが家にはこの一冊のカビ臭い詩集だけが残っている。 話は変わるが、木島始著「詩・少年・アメリカ」というの中に『小熊秀雄論』というのがあるが、その始めに書かれているコトバは、 「詩(シ)は刺(シ)である」 である。 「詩は身体の一部や心の一部を撫でてとおるだけの薬味ではない。……」ボクの詩はこれらには程遠いようである。毎度毎度お世話になっている今江祥智大兄ィ流で言うならば、ボクのこれらの詩は、 「フン!ビビンチョ、オタンコナスのコンコンチキの青二才、豆腐の角に頭

    個人的理由 高田渡詩集 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2020/08/29
    あとがき2。
  • カリスマのカシの木 富岡多恵子詩集 - bookface’s diary

    1959年9月、飯塚書店から刊行された富岡多恵子(1935~)の第2詩集。装幀は池田満寿夫。 富岡がH賞をもらったとき、その祝賀講演会でぼくは彼女の紹介をやらされた。そのとき、ぼくは彼女と始めて会ったのが前日の事件であること、そしてそのときの彼女とぼくの行状をつぶさに臆面もなく報告したのだが、そのあとの自己紹介の場で、彼女が、いま長谷川龍生のいったことは嘘がまじっているという風なことをいって弁明につとめた。ぼくは、その場で非常な憤激をおぼえた。とにかく彼女をかんぷなきまでに、ひっぱたいて公開の席で詭弁を弄することが、いかにいけないことであるかを、さとらしめようと思った。 しかし、それはある理由で中止することにしたのである。何故ならば彼女のお母さんが、はるばると大阪から、娘の晴れの授賞式を参観しに来ていたからである。 その後、「季節」というつまらない詩の雑誌でそのときのことをゴシップにかき、

    カリスマのカシの木 富岡多恵子詩集 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2020/08/03
    長谷川龍生による「解説」、富岡多恵子による「ノート」あり。装幀池田満寿夫。
  • 返禮 富岡多恵子詩集 - bookface’s diary

    1957年10月、山河出版社から刊行された富岡多恵子(1935~)の第1詩集。第8回H氏賞受賞作品。 富岡多惠子さんに、はじめてあったとき、きみの好きな詩人はだれときくと、彼女はたちどころにローレンスですとこたえた。ちょうどチャタレイ問題がやかましかったころだが、好きなのはそういうベストセラーになった小説ではなく、D・H・ローレンスが若いころに書いた、あまり日の読者には知られていない詩だと知って、この女はちょっと変ってるなと思った。私もむかし、口ーレンスの詩をいくつか読んで、プリミチブな生命感に打たれたことがある。しかし、それは所詮私には異質の詩精神であって、この二十二才の女子大学生に、彼の詩について百枚の研究論文を書かせるほどの魅力ある存在とはならなかった。ローレンスの詩のどこにほれたのか、いまそのことを、彼女が精力的に書きはじめた詩の内容とかんれんさせて考える時間はないけれども、一つ

    返禮 富岡多恵子詩集 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2020/08/03
    小野十三郎による「序文」、富岡多恵子による「あとがき」あり。
  • 戦争詩論 1910―1945 瀬尾育生 - bookface’s diary

    2006年7月、平凡社から刊行された瀬尾育生(1948~)の詩論集。表紙は東幸央。 目次 ・詩の戦争戦争の詩 Ⅰ 一九一〇年代からの問題 Ⅱ 詩の新しい担い手 Ⅲ 超越化について Ⅳ 一九三三年からの問題) ・モダニズムの戦争・プロレタリア詩の戦争 Ⅰ モダニズムの戦争 Ⅱ プロレタリア詩の戦争 ・大江満雄の機械 Ⅰ 前提 Ⅱ その履歴 ・詩と戦争の底にあるもの “詩と非詩の逆立”について 「語りうるということ」について 書評等 瀬尾育生『戦争詩論1910-1945』(詩人たちの島) 「戦争詩論 1910-1945」瀬尾育生(森のことば、ことばの森) 朔太郎の「汚名」?  瀬尾育生『戦争詩論』を読む(柔ら雨(やーらあみ)よ 欲(ぷ)さよ) NDLで検索 Amazonで検索

    戦争詩論 1910―1945 瀬尾育生 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2020/07/10
  • 北信濃の歌 津村信夫の思い出 津村昌子 - bookface’s diary

    1987年2月、花神社から刊行された津村昌子による津村信夫の回想記。 歳月の流れは早く、私ももう七十余歳。ふと気付くと、信夫の人生の倍も生きたことになります。夫なきあとの人生は、一瞬の夢の間のようにはかない気もしますが、ひとつひとたどれば、たくさんの思い出が交錯し、私にとってはやはり捨てがたい大切な日々でした。 信夫が亡くなった当座は、茫然自失の毎日で、神経衰弱になり、二度も入退院をくり返すしまつでした。どうやら健康をとり戻したのは、翌昭和二十年春になってからのことです。戦争末期の空襲で東京の兄たちも、神戸の母も相ついで焼け出され、鎌倉に移ってきたことも私には力強い支えでした。そして終戦。それにつづく世の中の激しい変動。もう私事でメソメソしているわけにはいきません。べるため、娘を育てるため、そして信夫の分までが、庭を守るために懸命に生き、しだいに私も変っていきました。 でも、女手ひとつで

    北信濃の歌 津村信夫の思い出 津村昌子 - bookface’s diary
  • ANDROMEDA あんどろめだ 西脇順三郎詩集 - bookface’s diary

    1955年1月、トリトン社から刊行された西脇順三郎の第9詩集。装画は著者。 日の古屋で検索 ヤフオクで検索

    ANDROMEDA あんどろめだ 西脇順三郎詩集 - bookface’s diary
  • 動物から 横倉れい詩集 - bookface’s diary

    1977年4月、書肆山田から刊行された横倉れい(遊佐礼子)の第1詩集。 初めて動物の詩をかいたときから、いつかは自分の動物たちを集めたいと願ってきました。「動物から」におさめた十六の作品はわたくしのなかの捉えどころのない何かをとゞめたしるしがあります。このなかのひとつの文字は、わたくしだけの時間の刻み目といのちの体験を吸いこんで浮びあがってきた泡立ちみたいなものかも知れません。 なぜ動物に心を動かされるのか動物にうたってもらいたくなるのかは自分にもよくは分らないのです。ただ以前から感じていることは、人間の、自分たちのいのちのあり方に納得できないで、少しでも良く変えようと踠いたり抵抗したり戦ったりすることが自由を手に入れ自分の選択した好きな生き方にひらかれた道を歩むことになると信じこんでいる傲慢さは動物――生きものたちのいのちの従順さにくらべれば哀しいものではないだろうかということです。知識

    動物から 横倉れい詩集 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2019/11/30
    懐かしい。/お会いするまでサン=ジョン・ペルスの研究者さんだとは思いもよらなかった。
  • 一九三〇年代モダニズム詩集――矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦 - bookface’s diary

    2019年8月、みずのわ出版から刊行された矢向季子、隼橋登美子、冬澤弦の詩集。編集は季村敏夫。装幀は林哲夫。 上梓のきっかけは、一冊の同人誌映画との出会いだった。小林武雄編集の『噩神(がくしん)』創刊号で矢向季子を知った。身震いした。映画は、日統治下の台南の詩人を描く『日曜日の散歩者』(黄亞歴監督)。台湾を襲った地震の映像のあと、同人誌『神戸詩人』が迫ってきた。西脇順三郎らの『馥郁タル火夫ヨ』から引用があり、明るさの戻った部屋で茫然としていた。「現実の世界は脳髄にすぎない」「詩は脳髄を燃焼せしむるものである。こゝに火花として又は火力としての詩がある」、わたしはあらためて、戦時下の詩をたどりはじめていた。 同人誌映画との遭遇が、次から次へと出会いを導いてくれた。平坦ではなかったが、みえない数珠のつながる道のり、促されるまま従った。 (「はじめに/季村敏夫」より) 目次 矢向季子詩集抄

    一九三〇年代モダニズム詩集――矢向季子・隼橋登美子・冬澤弦 - bookface’s diary
  • 近代絶唱詩集 神保光太郎・中島健蔵編 - bookface’s diary

    1947年12月、日讀書組合から刊行された近代詩アンソロジー。編集は神保光太郎と中島健蔵。題字、装画は武者小路実篤。 目次 凡例 序-近代日詩の道- 神保光太郞 一 雙蝶のわかれ 北村透谷 二 秋の入日 國木田獨歩 三 扣鈕 森鷗外 四 初戀 島崎藤村 五 六人の處女 おえふ 島崎藤村 六 六人の處女 おきぬ 島崎藤村 七 六人の處女 おさよ 島崎藤村 八 六人の處女 おくめ 島崎藤村 九 六人の處女 おつた 島崎藤村 十 六人の處女 おきく 島崎藤村 十一 潮音 島崎藤村 十二 千曲川旅情の歌 島崎藤村 十三 椰子の實 島崎藤村 十四 落葉(ポオル・ヹルレエヌ) 上田敏 十五 山のあなた(カアル・ブッセ) 上田敏 十六 髮(レミ・ドゥ・グルモン) 上田敏 十七 誠之助の死 與謝野寬 十八 荒城の月 土井晩翠 十九 おほいなる手のかげ 土井晩翠 二十 内裡雛 河井醉茗 二十一 山の歡喜

    近代絶唱詩集 神保光太郎・中島健蔵編 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2019/08/17
    日本讀書組合なんちゅう団体さんがあったんか。
  • 久保田万太郎回想 - bookface’s diary

    1964年12月、中央公論社から刊行された久保田万太郎の回想集。編者は佐藤朔、池田弥三郎、白井浩司。 書は、はじめ、「久保田万太郎追悼号」として、雑誌「三田文学」の、復刊第一号とする計画のもとに、編集が進められた。従って、それは、休刊以後も存続していた三田文学のメンバーのうち、特に故人と親しい関者にあった人々の手によって、立案され、進行していった。事実上の編集事務は、白井浩司が担当し、原稿依頼者の名は、三田文学会の会長であった奥野信太郎氏であった。 ところが、編集の進行途上において、従来の三田文学会の改組、新発足のことが並行し、そのため、雑誌の発行が、やや遅延することが予想されるに至った。そこで当初の計画を変更して、これを「三田文学」および三田文学会とは切り放して、独立した単行として、慶応義塾内に設けられた「久保田万太郎著作権運営委員会」の手により、久保田資金による記念事業の一つとして

    久保田万太郎回想 - bookface’s diary
    Nean
    Nean 2019/08/04
    “久保田万太郎の女運 今日出海”……気になる。
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