先年、世を去った往年の女優、原節子。出演映画のDVDが多く発売されているが、その中に「原節子十六歳〜新しき土」がある。ドイツと日本が合作した初めての国際映画で1937年の公開当時、大々的に宣伝され、日本人を熱狂させたと記録にある。 映画の正式な題名は「新しき土」、ドイツでは「サムライの娘」だった。初めて見たが、他愛のない日独防共協定のプロパガンダであった。噴火口の描写がやけに多く、火山の近くに大都会がある。原が着物姿のうえ、草履などを履かず、足袋はだしで北アルプスの焼岳に登り、主演男優が上高地の冷たい大正池を泳ぐなどつじつまの合わない演出。救いは、ただただ原の可憐(かれん)さと美貌という映画だ。 今見れば、アナクロニズムの塊のような映画が何ゆえにフィーバーしたのかを知ろうと、この本を手にとった。 驚いたことに「新しき土」が企画されたのは、ドイツと日本の枢軸関係がそれほどでなかった31年頃。