『HOSONO HOUSE』が発表されたころ、共にYMOを結成することになる高橋幸宏もまた『サディスティック・ミカ・バンド』で本格的にバンド・デビューを飾っていた。坂本龍一も学生運動と決別し……。YMOで一世を風靡する直前、若き3人の軌跡を『細野晴臣と彼らの時代』の著者が描く。(全3回の2回目/#1、#3を読む) ◆◆◆ 細野晴臣と高橋幸宏。出会いは軽井沢・三笠ホテルのダンス・パーティーだった 1973年5月5日に発表されたデビュー盤『サディスティック・ミカ・バンド』は、ロンドンでT・レックスやデヴィッド・ボウイに感化された加藤和彦のグラム・ロック志向を色濃く反映し、また高橋幸宏が作曲した「恋のミルキー・ウェイ」においては、日本でいち早くレゲエのリズムを取り入れた。 日本ではまだ珍しかったレゲエについて、同じ1947年生まれの加藤と細野晴臣が当時の対談で話している。「いまレギをやりたくてネ