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人生と文化に関するgoldheadのブックマーク (8)

  • 地方で子どもに与えられる文化資本

    東京生まれ、東京育ち。東京の大学に通い、東京で就職した。 このまま東京で生きていくつもりだった。 が、地方転勤になってしまった。幸いにも転勤先はの実家のある県だ。資格職でキャリアの心配が少ないは、地元に戻れると喜んでいた。 しかし、全国的に見ても田舎とされる県であり東京を出たことがない自分には未知の世界である。 正直まだ受け止めきれていないし、心配も多い。特に運転が苦手でペーパードライバーの自分は車社会に戦々恐々である。職場や地域の文化にも馴染めるかも不安だ。だが、せっかく得たチャンスと捉え前向きに頑張ろうと思う。 問題は子どもである。上の子は4月から小学校、下の子は4つだ。入学する小学校は近所の公立に決まり、保育園も第一志望にすんなり通せた。どちらも地元では雰囲気が良く面倒見が良いと評判のところらしい。 は、幼稚園から大学まで国公立。塾なども通わず学校の勉強だけで進学してきた人だ。

    地方で子どもに与えられる文化資本
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    goldhead 2021/02/19
    勝ち組の子はどんな土地で育っても勝手に勝ち組の上級国民になるんじゃねえの?
  • どさんこが東京で病みやすいのは当然な気がする

    千葉県内の、特に教育熱心でも何でもない普通の公立小学校から、 北海道の、札幌市内の特に荒れているわけでもない普通の公立小学校に転校した私が思ったこと。 北海道の子たちは、優しくて面白いけど、ものすごく怠惰だった。 千葉の小学校で並だった私の成績は、北海道の小学校では「すごく頭がいい」扱い。 千葉と比べて授業がかなり遅れているので、二度習うことなんて出来て当たり前だった。 何の努力もしていないのに、頭のいい人というポジションになってしまった。 そして運動。私は千葉の小学校では下から数えて何番かってくらい鈍くさい方で、 鉄棒も縄跳びも逆立ちも必死で練習して何とか付いていっている状態、まさに「自他ともに認める運動音痴」って感じだったんだけど、 北海道では「一見のろくさそうに見えて意外とデキる奴」みたいな扱いになってた。 千葉で皆が当たり前に出来ていたはやぶさ(二重あや)が、北海道では「出来たら神

    どさんこが東京で病みやすいのは当然な気がする
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    goldhead 2011/03/02
    俺の父は北海道勤務で人生観が変わったとか言って会社を辞めた。俺はそのとき北海道で生まれた。
  • 『坂の上の雲』は、いつまで棚の上に並んでいるだろう?:日経ビジネスオンライン

    前々回から始まった「秋の読書」編。言葉をあやつるコラムニストと広告表現のプロ、しかも高校の同級生同士で選んだ「青春の5冊」をめぐる率直すぎるやりとりを、姉のようにクラスメイトのように見守る清野さんの冷静なツッコミ入りで、引き続きお送りいたします。あなたの「夜長の一冊」がここから見つかる、かもしれません。 お約束ですが、連載をまとめた最新刊『ガラパゴスでいいじゃない』、寝付きにくい夜にどこから読んでどこで終えても安心の読みやすさと面白さ。よろしくお願い申し上げます。 小田嶋 俺、せっかくだからと思って、自分が挙げたを、来る前に屋で探してきたんだよ。 岡 見つかった? 小田嶋 それが驚くことに、書店の店先ではほとんどが入手できないことを知って、愕然とした。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』がたった340円だった、ということは、まあいいにしても、フィリップ・ロスなんて自分的にはずっと大きな名前

    『坂の上の雲』は、いつまで棚の上に並んでいるだろう?:日経ビジネスオンライン
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    goldhead 2010/11/08
    春樹問題。
  • お前らの地域で有名だった変人・変態 ニコニコVIP2ch

    今20代男子に圧倒的支持を受けている通販サイト 「ここの服を買っておけば無条件にカッコよく見える」 という品揃えをキープ。 「合コンに着ていく服って、どういうものがいいんだろう?」 こんな悩みを持っている男子諸君は今すぐチェック!! ひとつ買って頂ければ、良さがわかってもらえる自信があります! ご来店、お待ちしております!by店長 ⇒【MENZ-STYLE】に行ってみる 1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/11/22(日) 07:22:56.53 ID:5RsSv6AH0 俺が小学生の時だが 真っ赤な服に麦わら帽、黒髪ロングでマスクしてる女が公園のベンチに出没してた 当時は石投げたりして、時々追っかけられたw 通学路から離れたところだったから先生からの注意とかなかったな そもそも不気味なだけでその人はなにもしてないんだが 3 以下、名無しに

  • 就職しないで生きるには: たけくまメモ

    ↑就職しないで生きるには(上の図版は旧版。現在刊行中の表紙は色が違っているが中身は同じ) レイモンド・マンゴーの『就職しないで生きるには』は、1979年にアメリカで初版が出版され、81年に晶文社から日語版が刊行されました。今なお現役で刊行されている大ロングセラーであります。 俺は最初の邦訳刊行時に読んだんですが、81年といえば、俺が20歳から21歳にかけての年であります。まだ20歳だったこの年の春、俺は学校を中退して、家出したのでした。それからしばらくはホームレス状態が続き(最初の半年は物のホームレス。野宿こそしなかったが友達のアパートを転々としていた)、お先真っ暗な状況だったのですけど、そういう時に、屋でこのを目にしたのでした。俺の心情そのままのタイトルは、衝撃的でした。 書を一言で説明するなら、「ドロップアウトした人のための“起業のすすめ”」であります。ドロップアウトを直訳す

    goldhead
    goldhead 2009/09/10
    俺は俺を、たぶん遅れすぎたヒッピーワナビーなんだろうと思う。
  • 科学と生活のイーハトーヴ » Blog Archive » 私が女性であるということ

    自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。 それまでは、「自分は女性だから損をしている」「得をしている」と考えたことは一度もなく、すべては個人の努力次第で決まると考えていました。 子供を産むまでの経歴をざっと振り返ると、保育園→公立小学校→私立中高一貫女子校→東大東大大学院→ポスドク→一部上場品メーカー。 自分なりの悩みや紆余曲折はあったものの、世間的には「順調」な人生を送ってきたといえます。 だからこそ、というべきか、私はずっと、単純な「努力教」信者でした。 自分を支え、導いてくれた人たち(親、友人、先生方など)に感謝の気持ちはもっていたものの、はたしてそれが十分であったかどうか。 たまたまそういった人たちがそばにいて、好意を寄せてもらえたということ、多くのチャンスに恵まれたということを、自分にそれだけの価値があっ

  • 言葉なんかおぼえるんじゃなかった - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

  • グリーフワーク | 碑文谷創 事務所

    葬祭業者の中には、葬儀後の遺族へのアフターケアに注目するところが多くなった。いくつかの業者は遺族のケアに取り組む。この仕事をする人を「グリーフワーカー」と称するのを見たことがある。これはたぶん「遺族のグリーフワークの援助者」という意味をもたせたいのだろうが、ちょっと考え直したい和製英語である。 グリーフワークはさまざまに訳されている。「喪の仕事(作業)」「悲哀の仕事(作業)」などが代表的である。 グリーフは辞書によると「(グリーブの名詞形)深い悲しみ、悲嘆、悲痛」とある。グリーブはラテン語「重くする」の意味からきた語で「深く悲しむ、心を傷める」の意味である。描写的に言うならば「胸が切り裂かれるような心痛」がグリーフなのだろう。 このグリーフを身近な者との死別の悲しみのときに用いる。別な言い方をするならば、身近な者との死別はグリーフ、心が傷むような深い悲しみをもたらす、ということである。 ワ

    グリーフワーク | 碑文谷創 事務所
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