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ブックマーク / ooikomon.blogspot.com (5)

  • 北川美美「きさらぎの身を前傾に押す柩」(「豈」65号より)・・

    「豈」65号(豈の会)、その「あとがき」(筑紫磐井)に、 今回は、第7回攝津幸彦記念賞の発表、特集・北川美美全句集、特集・兜太はこれからどう発展するかの続編で構成した。特に北川美美特集は、評論集『「眞神」考』の刊行に次いで北川美美の全句を伺う作品特集とした。評論集『「眞神」考』の特集は「ウエップ俳句通信」125号で大特集を組んだので「豈」ではあえて行わないこととした。これで北川美美の追悼企画は終えることが出来た。評論集及び全句集特集に当たっては、山田耕司氏並びに母堂の北川尚代様から様々なご協力をいただいたところであり、厚く感謝申し上げる。 とあった。特集「金子兜太はこれからどう発展するカ!!」の論考の執筆者は、董振華「兜太俳句中国文化」、井口時男「金子兜太論余滴」、小野裕三「兜太の世界戦略」。以下に攝津幸彦記念賞(選考委員評は、夏木久・眞矢ひろみ・筑紫磐井・大井恒行)と、同人の一人一句を

    北川美美「きさらぎの身を前傾に押す柩」(「豈」65号より)・・
  • 志賀康「草の花散れば頓悟のときあらん」(「LOTUS」第47号)・・・

    「LOUUS」第47号(発行人・酒巻英一郎)、特集1は「多行形式の論理と実践(作品篇)」で、20名の多行表記の作品が掲載されている。巻頭随筆に酒巻英一郎が「主題と方法ーLOTUS47號『多行俳句形式』特集に向けて」で、その在り様がよく伺える。それについて(原文は正旧漢字)、 (前略)ここには厳密に表現すれば、作品ごとの主題と方法が存する。これらを眺望するに、手短に要約すれば、主題と方法(論)の先行が。主題と方法とはいかにも古典的命題ではあるが、けだし渋滞が旧弊なのでも、先行が予見を赦されたものでもない。方位は定まってゐる。主題の句的止揚と、俳句形式の方法的制覇、その有機的合一。そしてそれら全領域に係わつてくる詩的言語の認識。令和初頭期の言語状況下にあつて、それは直ちに私たちが措かれてある社会的状況にイコールとなり、短詩形言語は、それらをもつとも端的に、かつ期せずして象徴的に表はしてゐる。い

    志賀康「草の花散れば頓悟のときあらん」(「LOTUS」第47号)・・・
    hidex7777
    hidex7777 2020/12/30
    LOTUS47号の多行形式特集。
  • 加藤知子「桜はなびら塩漬けにしてきた心臓」(「We」第8号)・・

    短歌俳句誌「We」第8号(We社)の巻頭評論は加藤知子「『けものの苗』考ードッペルゲンガーを中心として」は竹岡一郎の第三句集『けものの苗』論である。さらに竹岡一郎の20句の作品が掲載され、さしずめ竹岡一郎の特集のような感じさえする。 大獄の灯や豊年を招く聲      一郎 大戦後月は美味くてチキチータ 焼跡や蜻蛉ら余熱喰ひ漁る 「『けものの苗』考」には、次の記述がある。 句集の象徴的な句となっているのは次の句と思われる。 ドッペルゲンガー白檀茂る工場内    「浜降」 「ドッペルゲンガー」(=自己像幻視)はキーワードである。狂気の沙汰のことではなく、当事者竹岡にとっての、〈気〉、〈実在〉、〈事実〉を描くのである。たとえば、極度の暴力に晒され続けると、そのうち精神は肉体から乖離し、ドッペン(ダブル)の人格が現れてくる。そして、徐々にその防衛が習い性と化していく。このような自己の分身による実

    加藤知子「桜はなびら塩漬けにしてきた心臓」(「We」第8号)・・
  • 髙柳重信「身をそらす虹の/絶巓/処刑台」(増補改訂『日本アナキズム運動人名事典』より)・・

    増補改訂『日アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)、書を編纂した「日アナキズム運動人名事典編集委員会」の「増補改訂版刊行にあたって」には、元版刊行から10年後に改訂版を刊行することを期していたという。増補改訂版には、以下の特色があるとも記されている。 1 新たに3,000余名の人物を立項し、元版と合わせて6,000余名となった。 2 附録のアナキズム運動史関連誌リストを充実させ、新たに1945年から日アナキスト連盟解散の1968年までの機関誌リストを加えた。 3 附録に日社会主義同盟(1920年設立)の加盟者名簿を収録した。 4 人名索引に加え、機関誌名索引を載せた。 書の書評を、項目執筆者の一人である久保隆が「図書新聞」3396号(2019・4・20)に、 その中でも、多くの俳句表現者が取り上げられているのは異彩を放っている。もちろん、和田久太郎という存在は、わたし(たち)にと

    髙柳重信「身をそらす虹の/絶巓/処刑台」(増補改訂『日本アナキズム運動人名事典』より)・・
  • 蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」(「オルガン」17号より)・・

    「オルガン」17号の「連句興行 巻捌/脇起 オン座六句『ちるさくら』の巻」、「璞・捌/抜け芝・指合見」の留書は福田若之。その留書に、 脇起で連句を巻くことは、ひとつには、一句を活きた俳諧の発句として読み直すことにもなるはずです。もちろん、連句がその名で呼ばれるようになったのは、すでに明治も半ば過ぎののちのことですし、、このことからわかるとおり、俳諧もまた絶えず移ろいゆく文芸です。しかし、まさしく俳諧がそのように活きつづけているからこそ、今日もなお、僕たちは一句を活きた俳諧の発句として読みなおすことだできるのだと思います。 とある。その脇起のための発句が、ブログタイトルにあげた、蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」である。 ところで、号のメインは座談会Ⅰ(前編)・Ⅱ(後編)の「筑紫磐井「兜太・なかはられいこ・『オルガン』を読む」である。もとはと言えば『WEP俳句年鑑』2019年版の

    蕪村「ちるさくら落つるは花のゆふべかな」(「オルガン」17号より)・・
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