小渕恵三内閣で文部大臣を務めた有馬朗人氏(4列目の右から2人目、野田聖子氏の隣、1999年1月14日撮影、写真:AP/アフロ) 物理学者として、あるいは政治家としての追悼記事は、もっと適切な方がお書きになるだろうと思います。 私にとって有馬さんは高校、大学学部学科の先輩であり、私自身が学生時代は授業を受け、大学で教えるようになってからは、国連「世界物理年」のスタッフとして、責任者の彼を支えたこともありました。 そのおり、卒業から50年ぶりに母校の高校に有馬さんを繋いだところ、翌年から学園長に就任するという機縁もありました。 そんな経緯がありますので「教育」に関する話題、もっとはっきり書くなら、日本中が「あれは失敗だった」と断定する「ゆとり教育」に特化して、有馬さんを送り、一つの時代の曲がりかどを考えてみたいと思います。 有馬朗人とは誰だったのか? 初めに、時事通信電(https://new