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musicとhistoryに関するhidex7777のブックマーク (6)

  • 良さが分からない名盤(30−1位)(後編)

    一般的に「名盤」とされる作品でも、「良さが分かりづらい作品」があるのではないか それを確かめるため、ツイッターで「良さがよく分からない」、もしくは「良さが分かるまで時間がかかった」名盤について投票を呼びかけ、数多くの方にご参加頂きました (参加者:305名、エントリー数:520作品) 一般的に名盤とされてるアルバムで、「良さがよく分からない」、または「分かるまでに時間を費やした」作品を一人当たり1枚から最大5枚まで、このツイートに返信か私にDMで頂けますでしょうか。今週末までを目処に集計し、発表したいと思います。 — 𝑷𝒆𝒕𝒆𝒓 (@zippu21) May 16, 2022 この記事では、前回の記事(100位-31位)に引き続き、投票が7票以上あった30位の作品から順に発表していきます。 なお、前編の記事をまだ読まれていない方は、是非そちらを先に読まれることをお勧めします。

    良さが分からない名盤(30−1位)(後編)
  • ヤフオク! - ■ Orange-98 ■ YMO レコーディング・サンプラー ...

    ■ Orange-98 ■ YMO レコーディング・サンプラー ■ PC9801版 拡張ボード仕様 ■ ■■ 商品説明 ■■ 出品物の説明が難し商品となりますが、出品者は1980年代にYMO(イエローマジック・オーケストラ)で、 シンセサイザー関係のエンジニアをしておりました。 その当時、YMOやJ-POP系の音楽制作の現場では、現在で言うサンプラーとかサンプリング・マシンと呼ば れるようになったレコーディング機材が求められておりました。 現在では珍しくありませんが、当時はまだ単体の録音機材としてはサンプラーが生まれていない時代でした。 その時代に当時の東芝EMIが自社スタジオのレコーディング機材としてサンプラーを開発しました。 YMOファンの方であればご存知かと思われますが、それがLMD649と呼ばれたサンプリング・マシンでした。 LMD649はYMOのアルバム「BGM」や「テクノデリッ

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  • 校歌が8番まである小学校 「死」「はりつけ」歌詞も:朝日新聞デジタル

    校歌が8番まである学校がある。農村に囲まれた福岡県うきは市の市立江南(えなみ)小学校。歌詞は、江戸時代の庄屋をたたえる内容で、明治後期に作られ、「死をもて誓いたる」「はりつけの刑罰」といった校歌らしからぬ文言もあるが、先人の遺訓として脈々と歌い継がれている。 校歌の歌詞は体育館のステージに向かって右側に1番から4番まで、左側に5番から8番までが分けて掲示されている。6日の始業式で、児童は右から左へ目線を動かしながら斉唱した。七五調の歌詞がリズムよく続き、2分20秒で歌い終わった。 元々は浮羽郡内唱歌として作られ、24番まである。そのうちの一部が校歌に採用された。前身の小学校から約140年の歴史があるが、いつ校歌になったのかは定かではない。鉄道唱歌の作詞者として名をはせた国文学者の大和田建樹(たけき)(1857~1910)が明治40年代に作詞。作曲は童謡「きんたろう」で知られる田村虎蔵(18

    校歌が8番まである小学校 「死」「はりつけ」歌詞も:朝日新聞デジタル
    hidex7777
    hidex7777 2017/04/29
    「水道工事の請願書」パンチライン。
  • <軍歌>戦友(Comrade-in-arms)

    作詞:真下飛泉 作曲:三善和気 歴史: 「戦友」は明治38年、まだ日露戦争が続いているときに作られた歌です。来は、一人の兵士が出征後負傷して凱旋し、村長となるまでを歌った、極めて長い「学校及び家庭用言文一致叙事唱歌・戦績」という10編から成る唱歌の中の第三篇でした。 作詞者・真下飛泉には戦争体験はなく、のちに義兄となる木村直吉から、奉天(ほうてん・現在の中国東北部の瀋陽市)会戦の実情を聴いて作詞したと伝えられています。戦友を失う兵士の哀愁を切々と歌い込む歌詞と、同じく哀切極まりない曲が人々の共感を呼び、たちまち全国に広まって永く歌い継がれました。戦前の日でこの歌を知らない人はなかったといわれます。 唱歌「戦友」を軍歌という人もありますが、唱歌「戦友」は軍歌ではなく、反戦歌でもなく、戦死者を弔う鎮魂歌だと思います。戦時中、軍部は出征兵士を送るときにこの歌を歌うことを禁止しまし

    <軍歌>戦友(Comrade-in-arms)
  • 図書館で偶然見つかった楽譜から多声音楽・ポリフォニーの起源が明らかに

    By pjbishop93 誰しもが親しんでいる音楽を構成する3つの重要な要素は、「旋律(メロディ)」「拍子(リズム)」「和音(ハーモニー)」の3つであるとされています。このうち、複数の旋律が1つの音楽を作り上げる多声音楽(ポリフォニー)は9世紀ごろに始まった比較的新しいものとされていたのですが、イギリス・大英図書館で偶然見つかった資料からは従来の説よりも100年以上前からポリフォニーが使われ始めていたことが浮き彫りになってきました。 Chance discovery casts new light on origins of polyphonic music | Music | The Guardian http://www.theguardian.com/music/2014/dec/17/polyphonic-music-fragment-origins-rewritten Disc

    図書館で偶然見つかった楽譜から多声音楽・ポリフォニーの起源が明らかに
    hidex7777
    hidex7777 2014/12/29
    年代と世紀がぐちゃぐちゃやん
  • 戦前日本にはなぜトンデモ軍歌が溢れていたのか|軍歌を見れば、日本がわかる|辻田真佐憲

    辻田真佐憲 一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日の軍歌 国民的音楽歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

    戦前日本にはなぜトンデモ軍歌が溢れていたのか|軍歌を見れば、日本がわかる|辻田真佐憲
    hidex7777
    hidex7777 2014/07/29
    「控えめにいっても狂っています」
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