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社会と東北地方太平洋沖地震と災害に関するnaga_sawaのブックマーク (2)

  • 東日本大震災、仮設住宅に移るまでに起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    前回の投稿「東日大震災、体育館避難所で起きたこと」では、震災から4年以上が過ぎているにもかかわらず想像をはるかに超える反響をいただきました。 「自分も考えます」「家族と話してみます」というコメントが多く、防災や減災に取り組んでくれる人が多い、思ったほど風化していないと感じることができ嬉しく思っています。防災の基は家庭教育だと思っています。備える・身を守る・避難する・二次災害を防ぐ。これは、学校で短期間に学ぶよりも家庭で子どもや孫に繰り返し「刷り込む」ように教えることが効果的だと思います。 一言で「防災」といえども、災害の種類によっても対策が異なります。地震のように現在の科学では詳細な予測が不可能なものから、台風・豪雨・豪雪のようにある程度予想可能なもの。津波や噴火や豪雨など、逃げることが有効なもの。深夜の豪雨や豪雪のように逃げることに危険を伴うもの。すべての災害に有効な手段はないとも言

    東日本大震災、仮設住宅に移るまでに起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
    naga_sawa
    naga_sawa 2015/11/08
    鬼怒川氾濫のあともそうだけれど、エリア災害の場合は火事場泥棒対策がでてくるよね/人探しと物資分配は相変わらずの課題か/研究レベルでは色々検討されてるけれど需要がレアなせいか実用に落とし込めてないのよね
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    東日大震災。 東日全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日中の人に御礼を述べさせていただきます。 来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親とと一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅でと一緒で

    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
    naga_sawa
    naga_sawa 2015/06/28
    阪神淡路の頃を思うとマシになってて、当時の知見が生かされてるんだなーと思う/後は地方部の人口規模だから成り立っているとも/大都市圏だと避難者の数が捌けなくなってこう上手くは回せないだろうな
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