「頭がいい人」というと、「話が面白い人」とか、「論理的に話ができる人」とか、そういう風に答える人が多いと思います。 でも、僕が思うには、これは非常に語弊があります。 なぜなら、彼らの多くは、「頭が良い」というよりも「口が良い」と言った方が早いからです。 「頭がいい」と聞かれて、なぜ「話が・・・」という議論になるのでしょう。 これは雄弁術に長けてるか否かの話であって、古代ギリシアの哲学観で言うところの、ソフィスト的見解です。 ソフィストは、多少の議論の余地はあれど、政治ポストに任用されんがために、巧みな話術で説得して指導者を説得して自論を売り込んだ連中のことを言うのが通説です。 ですが、その面だけを取ってソフィストを「賢者だ」と言う主張は、なかなかされがたいものです。 つまるところ、人間というのは「話が上手い」ことだけで「頭の良さ」を相対化して測ることなど不可能なのではないでしょうか。 僕は