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コミュニケーションと哲学に関するobsvのブックマーク (3)

  • 「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記

    インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。 少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日人の宗教観は"be

    「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記
  • 「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみた : 哲学ニュースnwk

    2015年02月08日00:00 「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみた Tweet 1: 【中国電 58.7 %】 ◆An3ZhmquT2 2013/08/24(土) 08:50:18.84 0 「対話」とは「会話」とも「ディベート」とも違う 会話は異質な個人個人が異質性を保持したまま結合する形式のため、そこに対立は存在しない ディベートはある限定されたテーマについて、私情を挟まず論理的に相手を説得する技術が求められ、そこには討論者の心は無い(無くても良い) 書で著者の使う「対話」とは哲学的対話である 身分、地位などを捨て、自分固有の体験、信条、価値観にもとづいて、相手との対立点を積極的に見つけ発展させて行くことである 特に「体験、信条、価値観に基づく」と言う部分が重要であり、これはこれまでの自分の人生を背負っていることに他ならない また、相

    「「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの」(中島義道著)を読んでみた : 哲学ニュースnwk
  • 現代哲学からのアプローチ・・・「グローバル化する現代と伝統文化」(信頼の低下とコミュニティの矮小化)

    歴史は終焉した」とするフランシス・フクヤマも、リベラルな民主主義が世界中を席捲して、それに代わるイデオロギーは出てこないと言っていたが、近年、個人主義化した社会の弊害を説くようになりました。すなわち、「リベラルな民主主義は、何らかの共通した文化的価値が適切に機能していて初めて成立する」とし、個人主義的文化の問題点として、 1. 協同的な営みの前提条件としてのルールの否定 2. コミュニティの喪失 を挙げています。 1の「ルールの否定」というのは、個人主義ですが、一種の自閉した身勝手さへ変貌しつつあります。他者への責任を考慮することもなく、個人の自由を最大限に追求することが目的そのものとなってしまい現代の思想の中でも、自由を極限まで推し進める人たちもでてきています。しかしこのフクヤマは、それに対して批判的です。価値観・規範・経験を共有することが、社会資であり、それと同時にコミ

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