生きる意味、という難題 人間はいろいろなことについて意味や目的を問うてしまう。 考えることができるということは、人間のとても幸福な側面でもあるし、この上なく不幸な側面でもある。 いずれにしてもわれわれは、一心不乱に何かに取り組んでいても、ふと立ち止まり、自分の姿を見つめ直して、「なぜ」、「何のために」と問うてしまう。「なぜ働くのだろう」、「何のために勉強するのだろう」と。 あるいは、自分や身近な人に不幸が(幸運でもいい)生じるようなときにも、われわれはやはり同じように問うてしまうだろう。「なぜこんな目にあうのか」、「この人の人生は何のためにあったのだろう」と。 このような生の意味をめぐる問いに直面しても、われわれのほとんどは、ほどほどのところで考えることを止めてしまう。なぜだろう。おそらくその理由の一つは、そうした問いが孕む不吉な予感にあるのではないか。 つまり、そうした問いにかかずらって