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戦争と女性に関するobsvのブックマーク (13)

  • ウクライナ生まれのベラルーシ人が描いた独ソ戦の話「戦争は女の顔をしていない」

    のき @hayamanooo 今起きてることに自分が向き合うための助けになるんじゃないかと思って、録画して溜めちゃってた100分de名著の『戦争は女の顔をしていない』回を観た。かつてのロシア戦争がひとりひとりの人生にどれだけの苦しみを及ぼしたのかということを知って、改めて人の声を少しずつでも聴きたいと思った。 2022-02-26 11:36:37 Proxxy @flextv 戦争は女の顔をしていない 「人間の尊厳」「ジェンダーの問題」「戦争が生み出す差別」「人間の源的な感情とは何か」 「戦争」を告発するだけにとどまりません。描かれた女性たちの姿からは、戦場でも女性でありたいという希求や、女性ならではの苦悩、悲しみが克明に描く nhk.or.jp/meicho/famousb… 2022-02-26 12:35:04

    ウクライナ生まれのベラルーシ人が描いた独ソ戦の話「戦争は女の顔をしていない」
  • 日韓の対立をあおったのは誰か

    吉見義明氏が毎日新聞のインタビューで、慰安婦問題について語っている。この記事は見出しで「『従軍慰安婦はデマ』というデマ」と書き、文では「慰安婦問題はデマ」と書くなど混乱している。この問題を風化させないためにも、話を整理しておこう。 まず「従軍慰安婦」という軍属は存在しない。慰安婦という言葉も戦時中はほとんど使われていなかったが、日軍が戦場で慰安所を管理し、そこに娼婦がいたことは事実である。それを「デマだ」という人はいない。娼婦は朝鮮戦争にもベトナム戦争にもいた。 しかし慰安婦と慰安婦問題は別である。吉見氏は「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与して強制連行はなかったわけだから」という松井一郎氏の発言を批判しているが、この発言は正しい。慰安婦問題を作り出したのは、吉見氏と朝日新聞なのだ。 1991年に初めて「私は慰安婦だった」と名乗る女性が出てきたときは、大した問題ではなかった。彼

    日韓の対立をあおったのは誰か
  • 今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか

    林博史・関東学院大学教授 「慰安婦」はいなかったとする「否定派」の主張を、資料の検証や元「慰安婦」の聞き取りを行っている歴史学者、政治学者らが反証し、問題の争点を浮上させた映画『主戦場』。4月から上映している東京・渋谷の映画館イメージフォーラムではいまなお終映日未定のロングランとなっており、現代ではアンタッチャブルとなりつつあった「慰安婦」問題への関心が高まっている。 また、現在開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されていた少女像(※1)について批判が殺到、脅迫やテロを予告するようなファクス・電話が相次いだため、展示開始からわずか3日で同企画展自体が中止となった。これついては、「表現の自由」の制限のみならず、歴史を歪曲する動きが表出したことも懸念すべき点だといえよう。それを裏付けるように、大阪市の松井一郎市長は8月5日に記者団に対し、

    今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか
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    obsv 2019/08/08
    慰安婦の実態としては大体述べられている通りだろう。人権意識は乏しかった。一方国際問題化したのは「軍の慰安婦狩り」で公娼制ではない。意図的に混同して人権問題を政争の道具にした左派も解決を妨害した共犯だ。
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

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    obsv 2018/01/09
    "国益の確保、学術的厳密性の重視、傷ついた人々への配慮の三つの要請を同じ一つのみぶりで片づけようと考えること自体に無理がある。"
  • 私が慰安婦問題で覚えた違和感~「強制連行は論点ではない」「他国の例を批判しても日本の罪は消えない」の一点突破で、直接の加害者でもない一般日本人は、70年以上前の戦時性暴力と素直に向き合えるのだろうか?

    良識派は「国際社会で強制連行の有無は論点になっていない」といいます。 返す刀で「そんなことに拘る人間は人権意識の低い馬鹿なネトウヨだ」と罵ります。 しかし、慰安婦問題は、最早お利口な「国際社会」だけで語られる話ではなくなってしまいました。 偏狭なナショナリズムを煽り、慰安婦問題の解決を阻害するような動きや団体に対しても、 続きを読む

    私が慰安婦問題で覚えた違和感~「強制連行は論点ではない」「他国の例を批判しても日本の罪は消えない」の一点突破で、直接の加害者でもない一般日本人は、70年以上前の戦時性暴力と素直に向き合えるのだろうか?
  • 少女像、その「不便さ」について

    ソウルの日大使館前に続き、釜山の日領事館前にも「少女像」が建てられた。その「少女像」が、日の植民地時代末期のいわゆる「大東亜戦争」時代に、日軍の性的奴隷として連れていかれた「従軍慰安婦」を象徴する造形物だということを知らない人はいないだろう。韓国だけでなくアメリカにも建てられており、日政府はこの象徴的な造形物に神経質な反応を見せた。また、その反応が高まるほどに「保護」されるべき理由はさらに強くなり、結果的にこの造形物は従軍慰安婦に関する記憶闘争が繰り広げられる「ホットスポット」になってしまった。 私はこの「従軍慰安婦」という歴史的事実の存在を絶対に忘れてはならないという、「記憶派」の一員であることは間違いない。しかしこの「少女像」に関して、日政府や一部の日人が感じるのとは異なる意味で、ある「不便さ」を感じている人々がいなくはないということを知っている。私もやはりその感触を共有

    少女像、その「不便さ」について
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    obsv 2018/01/08
    “敗北したり侵略されたりした民族を、蹂躙された女性に置き換えて反撃の内的動機を作りだすのは、一次元的な民族主義によくある感性戦略といえる”
  • ドイツの日韓史研究者が慰安婦像の海外建造に反対する理由

    日韓合意にもかかわらず、韓国側は釜山の日総領事館前に慰安婦像を設置。日は抗議のため在韓国大使らを一時帰国させた。これほどまでに日韓関係を左右する「慰安婦像」について、外国人識者はどう見ているのか。日韓両国の歴史に詳しいドイツ歴史学者のラインハルト・ツェルナー氏に聞いた。 * * * 〈元慰安婦たちの勇気で、軍隊による組織的な性暴力が人道に反する罪だと宣告する道が開かれました〉 今年2月、サンフランシスコで設置が承認された慰安婦像に刻まれた文言だ。「宣告」する相手は日。世界各地に設置が進む「慰安婦像」をめぐり、日韓の対立がさらに深まっている。 そもそも「慰安婦像」の問題は、像の設置を進める団体が「平和を願う」としながら、他方で日に対する「道徳的断罪」も意図しているところにある。 韓国人が自らを道徳的に正しいと位置付け、日を批判する態度は、すでに15世紀から見られるものだ。当時の朝

    ドイツの日韓史研究者が慰安婦像の海外建造に反対する理由
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    obsv 2018/01/08
    “豪州のストラスフィールド市が慰安婦像設置を見送ったのは、韓国人社会の民族主義を見抜いたからだ。市の調査報告書には「複数の日本人への種族的な中傷がこの慰安婦像にはある」との懸念”
  • 「ドイツは謝罪していない、日本は20年間一人で取り組んで来た」 ラインハルト・ツェルナー

    これはラインハルト・ツェルナーの論ではない。その事はお断りしておかねばならない。 論では「日では『性奴隷』と『強制』が国際的な議論の場において、どのような文脈で論じられているかがよく理解されていない」とか、日の名誉回復とは「犠牲者の苦しみに心を寄せる」ことだと安倍首相に注文している。日の保守派にKY度が甚だしいのはその通りなのだろうが、「学術的に見ても、河野談話を見直す必要性はまったくない」というツェルナーも、なんだかなぁという感じではある。最新号ということもあり、今回その部分は転載しなかった。ツェルナーが余談として、ドイツ軍の性の問題とそれに対する後始末について述べているのがこの部分である。 ドイツといえば、強制収容所における強制(究極の選択)売春が有名だが、国防軍用の慰安所も存在した。そして、慰安婦に対しドイツは謝罪していないとツェルナーは指摘している(慰安所が「日帝国軍の

    「ドイツは謝罪していない、日本は20年間一人で取り組んで来た」 ラインハルト・ツェルナー
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    obsv 2018/01/08
    “第二次大戦中にドイツ国防軍のための慰安所を国が運営していた。このことについて現在まで公に論議されたことはないし、政府としての反省も元慰安婦に対する謝罪もしていない”
  • 秦郁彦

    世の中で言われている従軍慰安婦問題について考察したサイトです。 当サイトは、問題になっている従軍慰安婦問題についての真実を掘り起こす為のサイトです。 我々の祖父を貶める、いわゆる従軍慰安婦問題は捏造されたものである! 当サイトでは、いわゆる従軍慰安婦問題の真実を明かすことを目的としています! 慰安婦.netのサイトマップ(sitemap)です 慰安婦.netのサイトマップ(sitemap)です。様々な情報をご覧下さい。 地政学とリアリズムの視点から日の情報・戦略を考える|アメリカ通信国際情勢の中で、日のとるべき方向性を考えます。地政学、リアリズム、プロパカンダの観点から、日の真の独立のためのヒントとなる情報を発信してゆきます。 米軍もさんざ日じゃ慰安させ ――朝日川柳―― 再燃した慰安婦狂騒曲 二〇〇七年三月六、七日の日共産党機関紙『赤旗』は、「安倍首相『慰安婦』発言に世界から批

  • 「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル

    〈疑問〉日の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言

    「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル
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    obsv 2014/08/05
    ついに朝日が虚偽を認めた。政府は河野談話含め更に調査と追及を行い、真実を明らかにし、歴史の冤罪について国家の名誉を回復してもらいたい。
  • 日本人慰安婦の話(美輪明宏)と元日本軍慰安婦に関する正確な知識

    ~二次加害者とならないために~ 日人慰安婦の話と、元日軍慰安婦に関する正確な知識 2015.1.14 【日人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより) 今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。 あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。 従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。 これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。 でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。 そして聞けるのは大体、韓国中国の従軍慰安

  • 慰安婦告白本に性奴隷と思えない記述 高額貯金、ダイヤ購入など

    韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が逆上している。日政府が、慰安婦問題をめぐる「河野洋平官房長官談話」の作成経緯を検証する方針を示したことに、「歴史の真実は生きている方々の証言だ」などと猛反発しているのだ。こうしたなか、元慰安婦の証言を記した著書に、家が購入できる大金を貯金し、ダイヤモンドを買うなど、とても「性奴隷」とは思えない記述が多々あることが注目されている。 興味深い著書は、元慰安婦という韓国人女性、文玉珠(ムン・オクチュ)氏が語り、慰安婦問題に取り組む森川万智子氏が構成と解説をつとめた「ビルマ戦線 楯師団の『慰安婦』だった私」(梨の木舎)だ。 同書によると、韓国・大邱(テグ)の貧しい家庭で生まれた文氏は16歳の秋、日人と朝鮮人の憲兵と、朝鮮人の刑事に呼び止められ、満州(中国東北部)東安省に連れて行かれ、朝鮮人の家で慰安婦にさせられた。大邱に一度戻った後、18歳のとき「日軍の

    慰安婦告白本に性奴隷と思えない記述 高額貯金、ダイヤ購入など
  • 1968年における「慰安婦が半強制的な形で派遣された」という指摘 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    以前、「日社会は1990年代まで慰安婦問題をどのように捉えてきたか」という記事を書き、敗戦直後から慰安婦に関連する議論がどのように展開されたかを簡単に述べましたが、「「従軍慰安婦問題」の歴史は意外と新しい」とかのたまう人がやはり多いようですので、改めて述べておきます。 まず、最初に言えるのは、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(1995)、朝日新聞の報道(1992)、吉田清治氏の「私の戦争犯罪」(1983)よりも先に千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)があり、それ以前にも慰安婦らの悲惨な境遇に関して1960年代後半〜1970年代初頭には既に多くの書籍・記事が出ていました。それを知らない、調べない人は「「最初」の慰安婦問題は、1980年代に、吉田清治という山口県の男性が、戦時中に済州島で朝鮮人を奴隷狩りしたという衝撃的な告白をしたことからはじまります。」*1とか言ってしまうわけです。 さて、それ

    1968年における「慰安婦が半強制的な形で派遣された」という指摘 - 誰かの妄想・はてなブログ版
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