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政治と組織に関するobsvのブックマーク (29)

  • 小林よしのりも「カルト」と批判! 山谷えり子をなぜ放置するのか - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    いったいなぜなのか。山谷えり子拉致問題担当相兼国家公安委員長や高市早苗総務相など、安倍内閣の閣僚とネオナチや在特会など極右団体との関係が明らかになってから2週間。その間に「知らなかった」という彼らの弁明が真っ赤なウソであることも次々に明らかになった。ところが、新聞やテレビなどのマスコミではこの問題はほとんど報道されていないのだ。先日、始まった国会でも彼らを追及しようという動きはまったく出てこない。 とくに信じられないのは、山谷えり子がなんの責任も問われず放置されていることだ。周知のように、山谷はヘイトスピーチ団体「在特会」との密接な関係を暴露されたのだが、その報道に対する姿勢はウソとごまかし、開き直りに満ちたものだった。 山谷はまず、「週刊文春」(9月25日号)で在特会の関西支部長(当時)だった増木重夫氏と20年来の付き合いがあることを指摘され、この増木氏、京都支部長になるN氏、在特会の関

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  • http://n-knuckles.com/case/politics/news001686.html

    http://n-knuckles.com/case/politics/news001686.html
  • 日本型デモクラシーは外圧でしか動かない : 池田信夫 blog

    2013年02月23日15:25 カテゴリ法/政治型デモクラシーは外圧でしか動かない アゴラの書評の補足。丸山眞男は天皇制に象徴される「まつりごと」構造を講義では日型デモクラシーと呼び、その特異性を考察している。これは現在の政治を考える上で重要なヒントを提供している。 デモクラシーを「民主主義」と訳して近代政治の必要条件だと思うのは間違いである。フクヤマもいうように、市民革命はデモクラシーによって起こされたのではなく、国王に対して貴族やブルジョワジーなどのインサイダーが起こした反乱だった。人口の圧倒的多数を占める一般大衆が普通選挙で政治的意思決定に参加したのは20世紀以降である。 日では、このような意味でのデモクラシーは必要なかった。天皇のような最高権力者はつねに「みこし」としてまつり上げられ、対外的な儀礼などを行なう名目的な権威になり、実質的な意思決定はみんなで相談して全員一致

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  • 橋下氏がじゃんけんで議員を決めるわけ : 池田信夫 blog

    2012年11月25日00:12 カテゴリ法/政治 橋下氏がじゃんけんで議員を決めるわけ 橋下徹氏がみんなの党との公認調整を「最後はじゃんけんで決めていい」と発言したことに、与野党の非難が集中しているが、これは維新の会のコンセプトからいうと自然な発想だ。ニューズウィークにも書いたように、橋下氏を「君主」とする維新の会の意思決定システムでは、彼以外の議員は彼の命令に従う将棋の駒にすぎないからだ。 大阪で彼が人気を博した理由は「選挙で選ばれたんだから命令する権限がある」という権限論で、既得権を守る労働組合の抵抗を踏みつぶしたことだった。平松前市長のように、すべて話し合いで決めたら何もできない。そして日では、それが「いい上司」なのだ。 こうしたまつりごと構造は、1000年以上前からみられる。普通の国家では、国王や大統領が決定して官僚がそれを実行する左のような構造になっているが、日では右のよう

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  • 「民主主義」という幻想 : 池田信夫 blog

    2012年08月05日23:50 カテゴリ法/政治 「民主主義」という幻想 きのうアゴラの合宿で田原総一朗さんと中村伊知哉さんと話した「決められない政治」についての議論がおもしろかったので、感想をメモしておく。 なぜ政治が混乱しているのかという話になると、すぐ衆参のねじれとか選挙制度とかいう話になるが、私は根的な問題は日が民主主義ではないことだと思う。そもそもdemocracyを民主主義と訳すのは誤訳で、もとになったギリシャ語のdemosは民衆、kratiaは権力という意味だから、「民衆支配」ぐらいだろう。これはaristocracyの対義語で、一部の貴族ではなくコミュニティの全員が意思決定に参加することだ。 この意味では、日政治の実態はデモクラシーではなくアリストクラシーである。なぜなら、選挙で選ばれた国会議員が立法機能をもっておらず、官僚のつくった法律に注文をつけるロビイストで

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  • 「まつりごと」の構造 : 池田信夫 blog

    2012年07月28日13:51 カテゴリ法/政治 「まつりごと」の構造 日政治がグダグダになっている原因を「民主主義の不足」に求めて「ネットで直接民主主義」とか「官邸デモで政治を変えよう」などというのはナンセンスだ。ある意味で、日は古来から非常に民主的な国であり、むしろ民主主義の過剰が「非決定」をもたらしているからである。 この点を丸山眞男は論文「政事の構造」や講義で論じている。そのキーワードは、まつりごとである。これを漢字で「政」と書くため、古代の日では祭政一致だったという俗説があるが、日では祭祀と政治は古代から明確に分離されていた。記紀では「まつる」の主語は天皇ではなく、その派遣したヤマトタケルやオホビコノミコトなどの皇子であり、彼らは天皇に職務を委任されて奉仕する(まつる)。つまり日では政治とは、臣下が天皇に奉仕することなのだ。 これは皇帝が権力を独占して国家を支配する

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  • 陸軍士官学校や海軍兵学校を出たエリートが、なぜ太平洋戦争で無謀な戦いをしたのか? : 哲学ニュースnwk

    2012年07月27日20:00 陸軍士官学校や海軍兵学校を出たエリートが、なぜ太平洋戦争で無謀な戦いをしたのか? Tweet 1: ロシアンブルー(やわらか銀行):2012/07/26(木) 13:37:34.68 ID:g0jjll5B0● (17)いざ、江田島・海軍兵学校 1944(昭和19)年の秋は、まだ空襲がなかった。 海軍兵学校のあった広島県・江田島の湾に夕日が沈むころ海に沿った練兵場に円陣を作る。 内側に1号生の74期、外側には2号生の75期、 3号生の私たち76期がすれ違うように回りながら軍歌演習が始まる。 よく歌ったのは日清戦争がテーマの「如何[いか]に狂風」だった。 海軍や海軍兵学校について書かれたは数知れない。 よって、戦後生まれでありながら私より兵学校事情に詳しい方がいたりもする。 この日ばかりは先輩を殴り放題の「棒倒し」や、いつも失神寸前になる「甲板掃除」など、

    陸軍士官学校や海軍兵学校を出たエリートが、なぜ太平洋戦争で無謀な戦いをしたのか? : 哲学ニュースnwk
    obsv
    obsv 2012/07/27
    「東大を出たエリートが、なぜ安全対策が不十分な原発を作って爆発させたのか。」 内輪受けだけが重視される、閉鎖的な組織体系を作ってるからじゃないか?本質的には、日本人のコミュニティ形式に問題がありそう。
  • ついにとどめを刺される「全学連」 東大の自治会が引き起こす社会運動史上の大事件とは | JBpress (ジェイビープレス)

    「全学連(全日学生自治会総連合)」という名前には、2つの見方がある。かつて学生運動に身を投じた、60歳を超える人たちには善かれ悪しかれ大学時代を象徴する、学生運動の拠点。60歳から40歳くらいの人には、時代遅れの連中が左翼ごっこをする舞台程度にしか見ていない人が多いだろう。それより下の世代で知っているのは、いわゆる共産趣味者(左翼を観察する趣味の持ち主のこと)か、今なお残る(政治)活動家くらいではないだろうか。 現在5つある全学連の中で最大の規模を持つとされるのが、「民青系全学連」と呼ばれる全学連である。民青とは、正式名称は日民主青年同盟といい、「日共産党の導きを受ける」青年政治組織である。その民青が執行部で主導権をとるため、民青系と呼ばれる。その民青系全学連が近く解散する可能性が高くなってきた。 引導を渡すのは、「東京大学教養学部自治会」(通称「東C自治会」)だ。代々民青が執行部を

    ついにとどめを刺される「全学連」 東大の自治会が引き起こす社会運動史上の大事件とは | JBpress (ジェイビープレス)
    obsv
    obsv 2012/05/24
    既に多数の学生とは縁遠い世界になってるね。大学の"就職予備校化"を鑑みると学生自治の将来は暗いように思える。大学生の政治離れ・政治無関心もさびしいものだが。京大の方はどうなってるんだろう。
  • 多数派であることのリスクについて - 内田樹の研究室

    神戸新聞に隔週で「随想」というコラムを書いている(これが二回目)。神戸新聞を読んでいない方のために再録しておく。 これは先週書いたもの。 橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。 首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。 公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。 まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。 私はこの手法に反対である。 脅