「リバタリアニズムとコミュニタリアニズム」というエントリを書いた時に、サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(これは素晴らしい本だ)を読んでいて、もうちょっとちがう議論ができるんじゃないかと感じたことを思い出した。このままだとすぐに忘れてしまうので、ちょうどいい機会だからアップしておきたい(長文なので3回に分けます)。 サンデル教授は、「正義」をめぐるコミュニタリアン(共同体主義者)とリバタリアン/リベラリスト(自由主義者)の対立を、「先祖の罪を償うべきか」という問題で考える。 リバタリアンはもちろんリベラリストも、「自由と自己責任」をセットとする近代的な自我だけが「正義」の根拠だという立場を共有する。サンデル教授はこれを「道徳的個人主義」と呼ぶが、自分が自由な意思で選択したことにしか責任が負えないとすると、彼らの論理では先祖の罪を償うことはできない。これは利己主義ではなく、自ら